株式会社健康企業 代表・医師
はじめに
1月初旬以降、武漢に端を発して中国国内、日本、そして世界で広がりを見せる新型コロナウイルス感染症、いわゆる「新型肺炎」に関する報道が、テレビのニュース番組からワイドショー、ネット等で連日盛んに行われている。
本稿を執筆している2月3日夜の時点で、厚生労働省の発表によれば日本における患者数は16名、無症状病原体保有者が4名となっている。同時点で、中国では既に感染者が1万7205名、死亡者が361名とされ、世界各国で発生する患者数の増加が懸念されている。日本政府と厚生労働省は、1月28日付けで新型コロナウイルス感染症を感染症法の「指定感染症」に指定し、2類感染症(重症急性呼吸器症候群(SARS)や鳥インフルエンザなど)と同等の取り扱いを行うこととなった。
本サイトの読者である、企業等の経営層や人事部門の責任者、担当者の方々は、自社の従業員が新型肺炎を発症し、この新型コロナウイルス感染症と特定されることを(ご自身も含めて)心配し始めておられるのではないかと思う。上述の報道の多くは医学的な専門の情報をベースとして視聴・閲覧する人に向けたものであり、企業等の対応実務に役立つ情報は少ないのではないかと考える。
そこで、今回は緊急解説として、新型コロナウイルス感染症をめぐる企業等の職場での実務対応について、これから毎週1回のペースで危機管理の視点から対策に有益であると思われる情報をお届けする。折々の情報を反映しながら、
①具体的な課題とそれに対する対策の考え方
②実務上の工夫
③人事部門としての対応
――という三つの点からポイントを解説していきたい。
新型コロナウイルスは危機管理対策上のリスク
読者の方々の企業や職場では、新型コロナウイルス感染症への対策を既に実施されているだろうか? ちなみに1月下旬には、業務での海外渡航禁止や通勤時のマスク着用、アルコールによる手指消毒、各事業所での体温計の準備、家族が感染の診断をされた場合の出勤停止措置を通達している企業も見られている。
ここで考えていただきたいことは、今回の新型コロナウイルス感染症はパンデミック、つまり世界的に、非常に多くの感染者や患者が発生する流行となる可能性があることだ。それに対して楽観的な見方と悲観的な考え方が交錯している状況にあると思う。
ここで10年ほど前に起きた、2009~2010年の新型インフルエンザパンデミック(H1N1)2009の規模と参照してみると、推定による患者数は2000万人強、患者発生のピーク時には1週間で200万人に達し、不幸にして亡くなられた方は200名弱であったと報告されている。また、季節性のインフルエンザでは二次性と呼ばれる、インフルエンザウイルスではない細菌による中高年層の肺炎患者が問題となるが、この当時は若年層のウイルス性肺炎が多かったとされる(国立感染症研究所WEBサイトによる情報より)。
現時点の推定では、中国国内の北京、上海での新型コロナウイルス患者数のピークは3カ月後の5月ないしそれより早い時期とみられているようである。1月末現在の情報では、中国の患者のうち重症例は20%、死亡例は2%とされている。(国立感染症研究所WEBサイトによる情報より)。
日々情報が更新される中、私見ではあるが、新型インフルエンザパンデミック(H1N1)2009に準じる患者数に到達する可能性がある一方、重症化や死亡に至る割合は、同様にコロナウイルスが病原体であったSARSほどには及ばず、症状が出ても軽症のうちに治癒する人が多いのではないかと考える。
読者の各職場でも、日本では中国より遅れて、例えば6~7月に患者数のピークがやってくる可能性があることと、それが人材と事業活動に影響を及ぼす危機管理対策を要する事態であることを想定しておく必要がある。
そのために、課題と対策を[図表1]に示すように、
①日本で流行が起きるまでの間(予防・準備の期間)
②流行のピークがやってくる段階(対処・対応の期間)
③流行が収束していく段階(復旧・復興の期間)
――の三つに分けて考えることをお勧めしたい。
[図表1]新型コロナウイルス感染症の流行を想定した対策の段階とリスク・損失
そして自社内の関係者と早急に、各々の期間で人材と事業にどのような影響、つまりリスクと損失が生じるのかを想定しておくことが重要となる。
もしも2月中に、従業員が感染したことがマスコミ等で報道されると評判リスクとなることを想定しなければならない。武漢の住民が中国の他の地域で差別的な扱いを受けたり、ヨーロッパでは極東などのアジア地域から来た人を差別する事象が生じている。患者ないし感染者が日本全国で20人程度しか発生していない段階であるので、同じようにバッシングを受けたり、消費者から忌避され、果てはブランドが棄損する可能性も想定しておく必要がある。
2月初旬は[図表1]に示した予防と準備の段階と考えられるので、リスクが顕在化したときの事態を可能な限り想定し、その影響を少なくする対策を講じていくことが肝要となる。従業員が新型コロナウイルス感染症を発症した場合の、取引先や株主、行政機関や地域住民等とのリスクコミュニケーションを想定し、関係者と手順を話し合っておく必要があるだろう。
また、もし従業員が患者となったとしても、当然悪気なくそうなったのであり、いじめや嫌がらせを職場内でも受けることがないよう人事部門として注意を促していく必要があるだろう。
従業員に適切な行動基準の徹底していくことから
次に重要なことは、リスクゼロを目指すのではなく、その可能性を軽減していく[図表2]のような考え方を職場全体で共有することである。
ピラミッドで示したように、何となく発病し、重症化するわけでなく、そもそも感染の機会があって感染し、そのベースに手洗いやその他の注意を怠っている可能性がある。
[図表2]患者が発生するリスクを軽減する、という考え方
ちなみに「リスクゼロを目指すのではなく、これを軽減する」という考え方は、労災事故を防止し、対処する労働安全管理の分野で「ハインリッヒの法則」や「バードの法則」という名で知られた原則にも合致している。
本稿執筆時点では、多くの店舗でマスクの在庫が底をつき、ネットオークションで高額で販売された等の報道がなされているが、マスクを着用すればリスクがゼロとなるわけではない。また、今回の新型コロナウイルス感染症は、発症する前でも他の人を感染させる可能性があるとされている。完璧な対策は物理的に不可能であることも関係者間で共有し、従業員に誤解の無いように周知しておくのがよいだろう。
今の段階では、以下にまとめたような適切な行動を従業員の方々に徹底していくことをお勧めしたい。
[図表3]予防・準備段階から従業員に徹底する適切な行動の例
●社屋に入館する際の手指のアルコール消毒の徹底
●通勤でマスク着用の場合にはそれを入り口で廃棄する
●就業中にも適宜、手洗いを徹底する
●帰宅時にも同じ対応を徹底する
●発熱、咳等の症状が出た場合には出勤せず、自宅からまず電話連絡等を行う
●勤務中に発熱、咳等の症状が出た場合には躊躇なく相談する
●糖尿病や高血圧症、その他治療中の人は早めに主治医に発熱等を感じた場合の対応について、相談しておくように促す
●同居家族が発熱等を生じた場合には自宅からまず電話連絡等を行う
●不要不急の外出を避ける 等
これらのうち、手洗いの仕方については、新型インフルエンザ用ではあるが、厚生労働省が啓発ツールとして提供している『手洗いポスター』(2014年3月6日)を周知に利用してもよい。
また、社屋の入り口などにはアルコール消毒剤を設置し、警備の方がおられるのであれば、全員必ずマスクを廃棄し、手指の消毒を行ってから入室することを徹底してもらうように依頼することができる。
発熱、せき等の症状が出た人は自宅待機させた上、事前に保健所へ連絡して受診という流れが厚生労働省により説明されている。もしも従業員がそうなったケースで、産業医や保健師が常駐している、あるいは嘱託でも相談が可能である環境であるならば、電話でそうした専門家に相談できる手順を設けることもできる。また、同居家族に発熱等が生じた場合にも同様の手順を決めることもできる。早急にこれらの手順への協力を頼むことができるか、産業医等の専門家との相談をしていくのがよいだろう。
人事面の措置を工夫する
地方都市であれば自家用車に通勤も可能であるが、首都圏では電車やバスといった公共の交通機関を利用した通勤が避けられないと思う。その場合、電車やバスの車内は感染する可能性が高まる濃厚接触の機会となり得る。
したがって、感染するリスクを減らすのであれば、次のような人事的な措置を発動することが可能であろう。
[図表4]感染リスクを低減する人事面の措置
●時差出勤の奨励・励行
●テレワークや在宅勤務制度の活用
●テレビ電話会議システムの利用
●(安全であるなら)サテライトオフィスの活用 等
働き方改革が進む中、こうした措置をいち早く検討していた企業では、これらを発動してみる良い機会ではないかと思う。完全に実施するのではなく、可能な範囲から実施していくことができる。
繰り返しになるが、リスクをゼロにすることはできない。しかし、できるだけの措置を講じて従業員の感染・発症を避け、その影響を最小にしていく努力が2月初旬の段階では重要であると思う。
《参考情報》
厚生労働省「新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け)」(令和2年2月6日時点版)
亀田高志 かめだ たかし 株式会社健康企業 代表・医師 大手外資系企業の産業医、産業医科大学講師(産業医養成機関)、産業医科大学が設立したベンチャー企業の創業社長兼専門コンサルタントを歴任。現職でも、SARSや新型インフルエンザ、東日本大震災後の惨事ストレスへの対策等に関する講演、研修、コンサルティングや執筆を手掛ける。本サイトでは連載解説「人事労務から考える危機管理対策のススメ」を執筆。著書に、『改訂版 人事担当者のためのメンタルヘルス復職支援』(労務行政)、『社労士がすぐに使える!メンタルヘルス実務対応の知識とスキル』(日本法令)、『[図解]新型インフルエンザ対策Q&A』(エクスナレッジ)など多数。 |