2012年10月15日掲載

HRエグゼクティブの羅針盤――企業の未来と人事の哲学 - 第4回 ダイバーシティは誰のため?

 


舞田竜宣  まいた たつのぶ HRビジネスパートナー株式会社 代表取締役/
多摩大学大学院客員教授


 これからの人材マネジメントを指揮する人に求められる、深い哲学を磨くこの企画。今回のテーマはダイバーシティである。テーマは二つ。

 (1) アファーマティブ・アクションは是か非か
 (2) 育メンの処遇

 今回も多数のエグゼクティブから意見が寄せられた。

問1 アファーマティブ・アクションは是か非か

■アファーマティブ・アクションとは

 アファーマティブ・アクション(日本ではポジティブ・アクションとも呼ばれる)とは、「積極的差別解消策」のことである。日本では女性に関して使われることが多いが、本来は人種・民族・宗教・出身地・家庭環境・性別・障がいなど、生得的な「違い」が社会的な「格差」につながらないよう、積極的つまり人為的な施策を講じることを意味する。
 例えば米国では、一流の高等教育機関(高校、大学、大学院)ほど、入学選考におけるアファーマティブ・アクションが取られている。学生の顔ぶれが多様になるよう、一定率の割り当てがなされている。だから、学業成績の良い米国生まれの白人が落とされて、その人より点数が劣る、英語も怪しげな日本人が合格してしまうことが実際にある。
 職場におけるアファーマティブ・アクションでは、性差が取り上げられることが多いので、そういうポリシーをとっている会社では、女性登用に数値目標を掲げ、その目標達成のために女性を“優先的”に引き上げる。

■アファーマティブ・アクションへの意見

 こうしたアファーマティブ・アクションについて、読者に是非を問うたところ、圧倒的多数は、人為的な作為を施さず、自然に任せるべきだという意見だった。
「性別に関係なく、合理的に管理職への登用をするべきと思います」
「男女にかかわらず、できる人間・能力のある人間が上に上がればよい」
「管理職としてふさわしい社員を登用するというのが前提で、それ以外の要素は判断基準としては二の次と考えます」
 これは、会社という“社会”のルールは実力主義であるべきで、結果的には適者生存が是であるという考え方に基づくものと思われる。
 また、このような意見もあった。
「男女平等の状況が現出することを前提に公正さを追求するのであれば、まずは形式的には、同じように取り扱わざるを得ないのではないだろうか。たとえそれがこれまでの男性にとって有利だったとしても」
「逆の意味での男女差別を生むことになり、モチベーションの低下を引き起こす」
 これは、性差を理由に扱いを変えることは公正ではない、という“手続きの公正”論の立場からの意見といってよいと思う。

■ダイバーシティ推進は逆差別か?

 実力主義も、公正論も、極めて正しいもののように思われる。
 だが、そうすると、実力主義と公正(フェアネス)を、おそらくは日本以上に重視している米国社会で、なぜアファーマティブ・アクションが認められているのかが疑問になる。
 アファーマティブ・アクションが逆差別政策だとすると、差別を厳しく禁じる米国で、それが許されているのはなぜなのか?
 果たして私たちは、ダイバーシティという名の下に、新たな差別政策をとろうとしているのだろうか?
 例えば、昇進を優遇しなくとも、女性社員向けに啓発や教育を施す会社は日本でも見られるが、それは会社の資源(お金や時間、人材や施設など)を男性のために使わず女性のために使っているのだから、やはり逆差別をしていることになるのではないか。
 それは、不正義を行っているということになるのだろうか?

■今が「あるべき姿」でないのなら

 ここで、アファーマティブ・アクション推進派の読者の意見を見てみよう。
「基本的に組織における女性管理職の人数が圧倒的に少ない現状があることが第一の理由です」
「労働力市場に多くの女性が参入していながら、管理職比率が低いのは、日本社会がいまだ「先例主義」にとらわれているからだと思う。クォータ(割り当て制度)のような形で形式化していくことから慣習化へつながるのではないか」
 こうした意見は、今われわれが生きている現実が「理想の姿」からほど遠いのであれば、あるべき姿に近づけるために現実的効力をもつ施策を講じるべきだという考え方であろう。つまりは理想の現実化である。
 実力主義や公平な手続きは、社会のルールとしては理想的だ。だがそれで理想の社会が実現できるのか、ということが、大事な問題となる。ある方の意見では、そうした理想的ルールの下で自然に任せていては、「時間がかかりすぎる」というものもあった。
 理想的なルールは、理想的な社会を実現するとは限らない。そうした皮肉な現実を踏まえるのであれば、アファーマティブ・アクションは過渡的政策として是とされるべきだと考えられる。

■もう一つの見方

 もう一つの論点として、人の認識の問題もある。男性が女性を見るとき、また女性が女性を見るときに、無意識にでも偏った認識があるとすると、そうした認識の上で運用される“公平なルール”は、”不公平な結果”を招くおそれがある。しかるに今はどうか。読者の意見を聞いてみよう。
「女性に対して日本企業は今でも先入観、固定観念があるように思います。それは結婚や子育てで・・(中略)その影響は男女が同一の能力を持った際の昇格に影響を与えているのはもちろん、能力が若干劣る男性でも先入観があるため、女性より先に昇格させることもこれまではあったのではないでしょうか」
「現在はまだ「女性は事務屋さん」という常識がまかり通っている企業がほとんど。まずはその概念を変えるために一定の認識変化が起こるまでは、アファーマティブ・アクションを進めるべき。その後は、個人の価値次第とすればいいでしょう」
 となると、人々の認識を正さなければならないことになるが、そもそも認識というものは、どのようにして形成されるのだろう。

■「当たり前」を変えるには

 心理学的には、人は現状を合理的に解釈するように自分の認識を組み立てる。例えば、社会の下層に特定の人種が多ければ、人はそれを見て、「そうなっているのは、その人種が劣っているからだ」と考える傾向がある。会社の中で女性管理職が少なければ、多くの人はそれを見て、「“やはり”、女性は管理職には向かない」と無意識のうちに思ってしまう。そして、「女性は補助的な役割が当たり前」という“常識”が形成され、新しく社会に出ていく若い男女も、そうした“常識”にとらわれて思考し行動する。
 つまり、人々の認識を変えようとしたら、まず現実を変えてしまうことが最も有効かつ確実な手段なのである。男性も女性も管理職になっている現実を作ることが、「女性も管理職になって当たり前」という新しい常識をつくり、そこに至って初めて「昇進に男女は関係ない」と心の底から皆が思うようになるのである。
 私たちはよく、現実を変えるためにまず人々の認識を改めようとする。だが、それは科学的には順序が逆なのだ。だから一向に認識も現実も変わらないのである。正しくは、まず現実を変えることで、一般の認識が変わる。では現実を変えるものは何かというと、それは認識ではなく意志である。

 ○ 意志 ⇒ 現実変化 ⇒ 認識(常識)化        
 × 認識(常識)の変化 ⇒ 現実変化

 

問2 育メンの処遇

■問題提起―休業中の経験をどう評価するのか

 育児休業をとって育児に励む男性、いわゆる「育メン」が増え、注目されている。例えば1年間の育児休業をとって職場復帰した男性がいたとする。彼を、他の同期と同じタイミングで昇級・昇格させるべきなのだろうか。
 他の同期は1年余計に会社の仕事をしてきたのだから、普通なら経験や成果の蓄積に差が生じているはずである。ならば、その差を昇進に反映させるべきなのだろうか?
 育児休業とキャリアの問題は、もちろん男女ともまったく同じことがいえる。問題提起として、あえてここでは男性を例にとったが、本質的な問題として、性差はなしで考えてみよう。
 それと、念のために書き添えておくと、ここで問いたいことは、同じ年次なら昇進も同じであるべきかという年功序列的な話ではなく、休業中の経験の違いがキャリアにどう影響する(べき)かという話である。

■多数派の意見

 読者の意見は、上記のようなケースでは昇進が遅れても仕方がないというものが圧倒的に多かった。
「休業中は会社に貢献していないので、差をつけるべき」
「昇進、昇格等、組織における処遇はあくまでも会社への貢献度で判断すべき」
「育児休業を取得した期間分のみ、昇進に反映させるべきである(遅らせるべきである)。これは、男女に関係なく当てはめるべきであり、浪人生と同じ扱いをするべきであると考える」
――等々。
 通常、会社における処遇は、会社に対する貢献度に応じてなされる。だから、このような意見はごく自然、当然な考え方であるといえよう。

■少数派の意見

 むしろ今回のテーマについて、昇進を遅らせるべきではないという意見にはどのようなものがあるか興味があった。こちらもさまざまな意見があったが、とても興味深かったのは以下の意見である。
「男性に限らず、女性の育児休業にも言えるが、育児休業中に仕事をするよりももっと大変な仕事(子育て)をやっているのであり、また、その中で得るものは仕事を通じて得るものと同等もしくはそれ以上と思われる。よって、昇進を遅らせるべきではない」
 この意見には、おそらく二つの意味があると思う。一つは、育児を通じた本人の成長というものを会社は認めるべきだという考え方である。これは、先述の貢献度主義とは別で、広い意味での能力主義といえるだろう。つまり、成長の度合いが同じなら昇進も同じであるべきだという考え方である。
 ちなみに、休業していようといまいと、本人の能力で昇進させるべきだという能力主義の主張は、昇進を“遅らせるべき”派と“遅らせるべきではない”派の両者に見られた。確かに人の成長スピードには個人差があるから、成長を基準に昇進させるのであれば、時間軸はあまり意味のないものとなるだろう。

■子育ての意味

 先ほどの意見のもう一つの意味とは、子育てという「会社の仕事よりも大変な仕事」をしたことを、会社は評価すべきだという考え方である。これは、どういう哲学に基づく主張なのだろう?
 子どもを育てても、それは会社に対する貢献にはならないだろう。だが、それでも子育てがある種の功績として認められるべきだというのは、それが会社を含む社会に対しての貢献だからではないだろうか。
 子育ては、個人の自由の発露であると同時に、いま最も重要な国家課題の一つであることは誰も異論がないだろう。では、それに貢献した人を、会社はどう扱うべきなのだろうか。
 もし、皆さんの会社の経営者が、何の迷いも持たずに、育児を「それは社員の権利としてやっていることなのだから、邪魔はしないけれど評価もしないよ」というスタンスをとったなら、それは経営理念としてどれだけ正しいのだろう?

■企業市民の人事

 育児を社会貢献であると考えるなら、同様のことはボランティア活動にもいえる。社員がボランティア活動で長期間休業したら、それは会社には“関係のない”ことなのだろうか。
 実は今回のテーマの根底には、「個人と会社」を超える「社会の中の個人と会社」という複雑な関係を人事的にはどう考えるべきかという哲学的テーマがある。
 本来なら就業しているはずの時間に、社員が会社の利益にはならないが社会の役に立つ行為をした場合、それを会社としてどう見たらよいのか?
 通常、人事にとって人は“社員”である。だから人の評価は“社員”としての評価であり、その時には会社への貢献度が唯一無二の指標となる。
 だが今日では、会社もただ利益を出せばよいというわけではなく、企業市民としての社会的責任(CSR)が問われるようになっている。だとすると、その会社で働く個人も、もはや会社の利益に貢献するだけでは不十分であって、「従業員としての社会貢献責任(ESR; Employee Social Responsibility)」が問われるはずである。

■CSRとESR

 CSRが、ただどこかにお金を寄付すればよいというものではないのと同様に、ESR(従業員としての社会的責任)も、寄付がすべてではない。企業が自社の特性を活かして社会に貢献することがCSRの本質であるように、個人も自分の状況や志向に合わせて自分なりの貢献をすることがESRのポイントである(例えば、筆者自身は結婚20年にして子どもがいないので、微力ながら動物保護を、各種の寄付活動と併せて行っている)。
 そして、経営戦略にCSRを取り入れる会社がESRを促進し、人事戦略としてESRを目標管理にでも入れるようになった時、その会社は内外ともに真の企業市民になったといえるのではないだろうか。
 今はまだ、そこまで望むのは無理かもしれない。何よりも利益を上げることを唯一無二の目標とせざるを得ない会社も多いのかもしれない。だが、どれだけ儲けたかだけが評価され、儲けることだけがうまい人が出世していく会社が、これからの世の中に、世界に、どうして評価されるだろう。

■明治と未来の人事哲学

 明治時代、西郷隆盛は、「功績の多いものには報奨を。徳の高い者には高い位を」与えよと言った。
 例えば、利益に貢献した人には金銭的報酬(賞与など)で報いるが、リーダーに選ばれるのは利益貢献と社会貢献のトータルで優れた人である、というような会社があったなら。
 それを支える人事制度である目標管理に、利益貢献と社会貢献の両目標が入り、それらが等しく評価される会社があったなら。
 今はまだ、育児やボランティアを目標管理に入れるなどという発想は非常識かもしれない。だが、今まで私たちは、何度も常識と非常識を入れ替えてきた。
 1980年代までは、終身雇用と年功序列が日本企業の強みだと言われてきたが、今ではそれが日本企業の弱みだとされている。
 1990年代までは、「日本企業はリストラできない」と言われていたのが、今は普通にやっている。
 今の若い人に聞くと、成果主義は当然「良いもの」だと思っているが、彼らはつい10年ほど前まで成果主義が批判の対象であったことを知らない。
 常識など、10年もたてば逆転し得るのだ。

■多様性は誰のため?

 今回は、社会の中の企業という社会的見地から、人事の未来の可能性を考えることが命題だった。これは、問1のアファーマティブ・アクションについても同じだ。
 ダイバーシティを推進する際に論拠として言われる話に、それが企業の“利益”につながるからだというものがある。多様な人材とその視点を取り入れることで、より良い商品開発につながるとか、サービス向上につながるとか。
 もちろん、それはそれで正しいと思う。ただ聞きたいのは、それでは、もしもダイバーシティが利益増大に結びつきそうになかったら、ただでさえ逆差別ともとれる推進活動はやめるべきなのかということである。
 ダイバーシティという人事課題を、会社と個人の枠の中だけで捉え、利潤追求の目的に合わせて考えたなら、そういうことになる。
 だが、ダイバーシティは利潤追求策であるだけでなく、それ以上に企業の社会的責任なのである。現に存在するマイノリティ問題を解消するための、内なる社会改革なのである。

 人事は誰のためにあるのか? 会社のためか。社会のためか。
ここから先は、各企業の理念と、人事の哲学が問われるところだろう。
 だが人事のミッションは、よく言われる「業績に貢献する人事」から、さらに「より良い社会をつくる人事」へと高次化する。それを自覚し、行動していきたい。


【次回テーマ:高年齢者雇用】
 次回のテーマは高年齢者雇用について取り上げる。以下の二つの問いについて、ぜひご意見をお寄せいただきたい。

問1 希望者全員の65歳継続雇用の是非
 希望者全員の65歳までの雇用確保を企業に義務付ける、高年齢者雇用安定法改正案が国会で可決され成立し、来年(平成25年)4月1日から施行になる。
 これにより、人事評価などにより継続雇用の可否を決めることが原則としてできなくなる。この考え方についての賛成、反対を問いたい。

問2 定年制の是非
 他の稿でもたびたび触れていることだが、定年制度は国際的に見て決して一般的なものではない。日本がこの制度を取ってきたのは様々な理由があると思われるが、これからの時代を考えた場合、定年制はそもそも是であろうか、非であろうか。ご意見を伺いたい。

 
   あなたのご意見をお寄せください
    抽選で50名様に図書カード(500円分)をプレゼントいたします。

 (問1) 希望者全員の65歳継続雇用の是非 
 (問2) 定年制の是非 

■上記の問いについて、皆様からのご意見を募集しております。下記にアンケートフォームをご用意していますので、設問に沿ってお答えをお願いいたします

  アンケートはこちらから

■ご意見募集は10月26日(金)17時にて締め切りとさせていただきます

■お寄せいただいたご意見は、本連載次回の内容・構成に反映させていただくほか、「読者からのご意見」として本編で引用・紹介させていただく場合がございます(その場合は、社名・役職・個人名等は一切表記いたしません)

【著者紹介】
舞田竜宣 まいた たつのぶ
HRビジネスパートナー株式会社 代表取締役/多摩大学大学院客員教授
東京大学経済学部卒業。組織行動変革の専門コンサルタント会社を経て、マーサーおよびヒューイット・アソシエイツ(現・エーオンヒューイットジャパン)でグローバルな人事・組織コンサルティングを行う。ヒューイット・アソシエイツ日本法人社長などを経て現職。著書に『行動分析学で社員のやる気を引き出す技術』(日本経済新聞出版社)、『社員が惚れる会社のつくり方』(日本実業出版社)、『行動分析学マネジメント』(日本経済新聞出版社)、『10年後の人事』(日本経団連出版)、『18歳から読む就「勝」本』(C&R研究所、共著)など、監修書籍として『人事労務用語辞典[第7版]』(日本経団連出版)がある。