江戸幕府の人事制度と現在の人事制度
山本博文 やまもと ひろふみ 東京大学史料編纂所 教授 1957年、岡山県津山市に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院を東京大学史料編纂所助手となり、助教授を経て現職。1991年、『幕藩制の成立と近世の国制』により東京大学から文学博士の学位を授与される。1992年、『江戸お留守居役の日記』により第40回日本エッセイストクラブ賞受賞。主な著書に、『日本史の一級史料』『現代語訳・武士道』『日曜日の歴史学』『歴史をつかむ技法』などがある。 |
昔も今も変わらない、人事の難しさ
私は江戸幕府の人事制度を研究しているが、その長所と短所が現代の人事制度にまで引き継がれていることに人事の難しさを感じる。
現在の政府組織では、キャリアとノンキャリアで異なったキャリアパスが用意されているが、江戸幕府でもまったく同様だった。書院番士(しょいんばんし)や小姓組番士(こしょうぐみばんし)から勤務を始める旗本(御目見え*以上の幕臣)は、「両番家筋」と呼ばれる家格の者たちで、能力が認められた者は目付に登用され、京都町奉行や長崎奉行などの遠国奉行を経て、町奉行や勘定奉行に昇進していく。ところが、町奉行所を支える職員である与力・同心は、専門職として代々、同じ職務に従事する。そこでは、同心から与力への昇進すらない。
*御目見え…将軍に直接拝謁できる幕臣
唯一例外とも言えるのは勘定奉行所で、ここでは御家人(御目見え以下の幕臣)が就任する支配勘定から、御勘定に昇進して旗本となり、勘定組頭を経て現在で言えば財務省の事務次官である勘定吟味役に昇進することもあった。幕府の直轄地を治める代官も、支配勘定や御勘定から出向して勤める。幕府財政を支えるという重要な任務なので、能力と経験が必要で、そのような形になったのであろう。
しかし、それでも財務大臣に当たる勘定奉行は、両番家筋の旗本が就くことが一般的である。彼らは、目付として政策の諮問を受け、遠国奉行として行政や裁判の経験を積んでいるが、幕府財政に関しては素人である。そのため、着任した時には、勘定奉行所で行われている慣行に戸惑うことになる。
幕府が出した天保14年(1842)11月2日の口達(口頭による幕府の指示)に、次のようなものがある。
「御勘定所の儀は、年来流弊ニ而、兎角風俗宜しからざる趣に相聞こえ、奉行の趣意相用いず、或いは奉行を差し越し申し聞け候者もこれ有る哉に相聞こえ、尤も是迄奉行も未熟故の儀には候得共、以ての外の事ニ候」
勘定奉行所には「流弊(りゅうへい…長く行われてきた弊害)」があり、汚職などもあった。しかし、勘定奉行の指示に従わず、また奉行を無視して職務を行う職員がおり、奉行はまったくの飾り物になっていた。幕府当局は、これを固く戒めているのであるが、そのような実態が一般的だったからこそ出された口達であり、奉行の「未熟」も認めざるを得ないところに当局の苦慮もあった。
町奉行所でも事情は同じだった。町奉行所には現在なら汚職とされるさまざまな既得権があり、与力や同心たちはそれまでの慣行にどっぷり漬かっていた。もし、清廉潔白な旗本が町奉行に就任し、その慣行に手を付けようとすると、与力や同心たちは日常の職務をサボタージュするようになり、町奉行の成果は上がらない。結果として、1~2年で町奉行を更迭されることになり、町奉行所の慣行は残ったままになる。
大岡越前のように20年も町奉行を務めれば、次第に与力や同心に対して厳しい態度をとることもできただろうが、多くの新任町奉行は、それまでの慣行を認め、与力や同心の機嫌をとって職務に励んでもらわなければならなかった。奉行がそういう態度をとれば、与力や同心もよく働くようになり、成果が上がって長く奉行を務めることができた。
経営者(ゼネラリスト)の育成と専門職の育成
明治になって、歴史家の聞き取りに答えたもと評定所(寺社・町・勘定の三奉行による政策審議機関)の職員は、「貴君の時の奉行は、たいていはつまらぬ愚物でありましたか」という問いに対して、次のように答えている。
「さよう、しかし全くの愚物では奉行になれませぬ。ちっとは話ができんではいけませぬから(中略)どうしても知行を持っておりましたから、今日の事情に疎いのであります」
学問はあるが世情に疎い奉行ばかりになる弱点を回避するため、幕末においては、評定所の構成員には「成り上がりの奉行」がたいてい1人ぐらいは入っていたという。
大局的に政策を判断することは、必ずしも日常業務を処理する能力がなくてもできることである。しかし、日常業務を処理することによって身につく能力も馬鹿にはできない。そして、日常業務がわからない者は、どうしても部下から軽んじられることになる。
江戸幕府の場合は、旗本の家格という大前提があったから、こうした弊害をついに改めることができなかった。現在では、Ⅰ種、Ⅱ種といった国家公務員の採用試験の区別によって、キャリアとノンキャリアが分けられている。そこにはある程度の合理性もあり、各省庁ではノンキャリアの中から幹部職員への登用もはかられているようだが、依然として両者の間には溝があり、流弊もあるのだろう。
こうした人事制度は、大企業の中にもある。経営者(またはゼネラリスト)の育成は、専門職の育成とともに重要な課題であって、すべてをフラットな組織にはできないからである。そうした課題を果たしながら、職員のモチベーションを高め、「流弊」のない組織を作ることが求められているのである。