2014年08月29日掲載

Point of view - 第25回 高木朋代 ―定年と向き合う ――「自己選別」「すりかえ合意」の美学

定年と向き合う
――「自己選別」「すりかえ合意」の美学

高木朋代  たかぎ ともよ
敬愛大学 経済学部 教授
専門は人的資源管理論、組織行動論、労働社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程。博士(社会学)。高年齢者の雇用問題について長年研究を行い、『高年齢者雇用のマネジメント』(日本経済新聞出版社)で、「第49回エコノミスト賞」「第23回冲永賞」「第25回組織学会高宮賞」「日本労務学会賞」などを受賞。近年では、高年齢者および障害者の社会生活と雇用について、国際比較研究を手がけている。

 

簡単にはいかない高年齢者の雇用問題

 希望者全員を段階的に65歳まで雇用することを義務づける、改正高年齢者雇用安定法が2013年4月から施行されている。
 高年齢期の就業機会が大幅に拡がるとして、喜んでいる人もいるかもしれない。あるいは、膨れ上がる人件費を懸念して頭を抱えている企業もあるだろう。たしかに、景気の好転を反映する程度には、雇用が伸びる可能性はある。特に人材不足が生じている労働集約的な産業や業種、また小規模企業では、雇用増は大いにあり得るだろう。しかし、そうした事情を除けば、法が改正されたからといって就業希望者が急増し、雇用が直ちに進展することはないと思われる。
 なぜならば、現在起きている人材の獲得合戦において、多くの場合、企業が欲しているのは高年齢層ではないからである。高年齢者と人事管理に関する直近の調査結果(*)によると、若年層の不足を訴える企業は多いが、その一方で、高年齢層の不足を訴える企業は少なく、過剰を訴える企業は予測以上に多かった。そればかりでなく、高年齢層の中途採用を検討したものの取りやめる企業も多く、約7割の企業が、希望する職務能力を満たしていないことを理由に挙げていた。
 つまり、長年の課題であった高年齢層の過剰感と能力のミスマッチ問題は、ここにきて解消されたというわけではない。高年齢者の雇用環境は依然として厳しいものといえるだろう。

*編注:「高年齢者・障害者の雇用と人事管理に関する調査」(2014年)。筆者が研究助成を受けていた「最先端・次世代研究開発支援プログラム」における調査研究の一環で行われた最新の調査で、データは未公表。

企業経営を揺るがしかねない雇用圧力

 法がどのように定められようとも、企業にとっては、未(いま)だ希望者全員を65歳まで雇用継続することは難しいのだ。無理に雇用を推進しようとすれば、全従業員の賃金水準の低下を招くことにもなりかねない。さらには、60歳以降の雇用圧力が高まり過ぎるならば、逆に、60歳に到達する前に、雇用関係を整理する方向に施策が動くことにもなりかねない。
 定年までの雇用を前提とする心理的契約が、労使間で取り交わせられてきた日本の労働社会では、雇用保障の脆弱(ぜいじゃく)化は契約違反と見なされ得る。そうなれば、日本企業の強みであったはずの、人と組織の信頼関係が損なわれていくことも起こりかねない。

希望者全員雇用の幻想

 このように考えると、改正法後も、実際には高年齢期の雇用機会は限られた範囲でしか拓かれていないと考えるのが妥当であろう。そこで、この限られた機会をいったい誰に割り当てるのかが、次なる大きな問題となってくる。このとき、高年齢従業員たちの間で激しい競争が繰り広げられるのかというと、そういうことにはならない。
 基本的には誰もが、必要とされ続ける有用な人材であり続けたいと願い、生涯所得を極大化したいという野心を持っている。しかし人は必ずしも利己心のみに駆られて行動するわけではない。むしろ、他者に思いを馳(は)せ、道徳的判断を下す正義感や公正性を持ち合わせていると考えられる。一般的な高年齢従業員たちは、これまで働いてきた中で、同僚と比べたときの自分の立ち位置というものを大体理解している。そして、職場や企業の状況を察する感度も持ち合わせている。
 そうした中で、たとえこの会社で働き続けたいと思っていたとしても、自ら身を引く「自己選別」によって、静かに職場を去っていく人々が一定数出てくるであろう。また同時に、当初は自発ではなかったはずの転職を、最終的には自らの主体的意思決定として選択していく「すりかえ合意」によって、職場を移っていく人たちも一定数出てくるだろう。

大切なことは、定年後の自分がイメージできること

 高年齢者雇用の促進は社会的要請であり、雇用が拡大していくことが望ましい。しかし実態として、全員雇用が難しい現状においては、選抜に伴う摩擦を回避する、「自己選別」「すりかえ合意」という職業人としての美学は、必ずしも否定されるべきものではないと思われる。
 もちろん、こうした人間行動がある程度称賛される風潮は、たとえ引退しても安心して暮らせる盤石な社会保障が前提となることは言うまでもない。また、経験と知識が豊富な熟練者を迎え入れる体制や意識改革が、職場と働く側の両方に備えられている必要もあるだろう。加えて、引退した後に拡がる膨大な余暇時間をどのように過ごすのかが、職業生活に終止符を打つ前に、具体的に思い描けることも大切なことだ。
 この文章を書いている筆者は、今英国にいる。この国には伝統的な社交の場として、紳士クラブというものがある。筆者が知るのはそのうちの10件程度だが、見る限り、どこも高齢の紳士たちがのんびりと過ごす場のイメージが強い。人によってはパブもその代わりになるのだろう。こうしたクラブは、アッパークラスのためのものだけではない。新興のブルジョア向けのものもあり、また特定の政治思想、業界、趣味や嗜好(しこう)に則してクラブが存在している。つまり気の合う者同士が集い、交流する場が、職場や家庭以外にあるのだ。ちなみに紳士クラブは、現在では女性にも開かれている。日本においても、こうした場が必要なのではないだろうか。