2015年05月08日掲載

Point of view - 第41回 桜井なおみ ―健康的に働くという意味と必要性 真のダイバーシティを目指して ~がん患者が働きやすい職場づくりへ向けて~

健康的に働くという意味と必要性
真のダイバーシティを目指して

~がん患者が働きやすい職場づくりへ向けて~

桜井なおみ  さくらい なおみ
キャンサー・ソリューションズ株式会社 代表取締役社長
東京生まれ。大学で都市計画を学んだ後、卒業後はコンサルティング会社にてまちづくりや環境学習などの仕事に従事。
2004年、がん罹患後は、働き盛りで罹患した自らのがん経験や社会経験を活かし、小児がんを含めた働く世代の患者・家族の社会・生活支援活動を開始、現在に至る。
一般社団法人CSRプロジェクト代表理事、NPO法人HOPEプロジェクト理事長。技術士(建設部門)、産業カウンセラー。

 

なぜ、いま、がんと就労なのか?

 人事・労務管理者なら、社員から「がんと診断された」という報告を受けた経験もあるだろう。また、社員にはいなくても、家族や親せき、友人など周囲に、がん経験者がいるだろう。
 がんは、就労可能年齢の多くの人が罹患(りかん)する病気である。昨年、厚生労働省から発表されたデータによれば、働きながら治療を受ける社員は全国に約32.5万人いるとされている。また、働く世代のがん患者が離職、死亡することによる逸失損益は、約1兆8000億円に上るという試算もある。このように「がん」は、昨今の医療費の高額化と相まって、個人の課題ではなく、家庭や企業の経営、国家成長に対しても大きな社会的な損失を与えている。そして企業においても、生活習慣病予防(一次予防)、健診(二次予防)といった観点だけではなく、三次予防、つまり「有病者の離職予防」も新たな健康管理の課題となっている。
 国の社会保障制度や費用、健康保険組合の在り方を含め、私たちは今、戦後の大きなパラダイムシフトの時期を迎えているといえよう。

がん患者が働く意味

 100人いれば100通りの働き方があるように、人の働く意味も100通りほどある。では、なぜ、がん患者は治療を受けながらも働こうと思うのか。これまでの調査結果などから、大きくは、①生きがいのため、②治療費のため、③生活費のため、という三つに整理される。
 がんはどんな治療をしても、生活習慣を変えたとしても、「100%確実に治る」といい切れる病ではない。病状が進んだときには生命の危機に直面する病気であるだけに、何か特別な表現手段を持たない限りは、仕事を、「生きてきた証し」「生きがい」として考える人は多い。
 では、社会はどのようにがんを認識しているのだろうか?
 内閣府による「がん対策に関する世論調査」(平成26年11月)によると、仕事と治療等の両立についての認識について、「働きつづけられる」と考える人は約3割しかおらず、7割の人はがんになったら「治療と職業生活の両立は困難である」と認識している。また、「両立を困難にする最大の要因」としては、「代わりに仕事をする人がいない・頼みにくい」「休むことを許してくれるかわからない」「体力的に困難」といった声が、それぞれ約2割になる。
 関連するさまざまな施策は進められてはいるが、まだまだ現場レベルでは、ワークシェアなどもうまく浸透していないという現状が、この調査結果から浮かび上がってくる。

「思いのすれ違い」を防ぐために

 患者は心と身体に「葛藤」を抱えたまま職場に戻ってくる。そのため、今までは気にならなかった周囲の一言に固執する、疎外感や孤独感を感じるなど、「コミュニケーションのずれ」が生じやすい状況だ。
 私はこれを「思いのすれ違い」と呼んでいる。ひとたび、すれ違いが起こると、次々に悪い方向へ転がりだし、「スパイラルな混乱状態」に陥ってしまう。その結果、「退職」が双方にとって一番良い手段のように見えてくる。
 このとき最も大切なことは、情報共有である。一番良いのは、本人が医師からの説明を翻訳して人事・労務管理者へ伝えること。つまり、「病名ではなく、配慮してほしい事柄を、見通しと意向を含めて報告する」ことだ。しかしながら、患者側には、医師の説明を社会の言葉に翻訳できる「患者力」が、まだ備わってはいない。この「患者力」の低さを補うものが医師の発行する「診断書」になるが、医師は患者の就労状況を知らないため、「病名」と「治療方法」程度しか記載しない。産業保健スタッフがいる企業では、この「翻訳」を任せればよい。大部分の企業ではそうしたスタッフがいないため、自分たちで推測、判断せざるを得ない状況になっているのが「思いのすれ違い」が起こる原因になっている。

がんになっても安心して暮らせる社会に向けて

 私が経営者や人事・労務管理者へお伝えしたいのは、まずは双方の信頼関係を築いた上で、「すぐ決めない、配慮事項を聞きだす、制度を運用する」の三つのステップを、最低でも1年、長くて3年は続けてほしいということだ。
 弊社のスタッフは大部分が「がん経験者」であるが、経営者としての私は、「悪いところではなく、良いところを見る。そしてそれを適所で活かす」というスタンスでいる。「人材は人財」であり、ベストなパフォーマンスを発揮できる環境を用意するのが経営者、人事・労務管理者の本来業務である。
 今後、雇用年齢の長期化が見込まれるわが国においては、さまざまな疾患や子育て、介護などの家庭の事情を抱えながらも、一つの目標として65歳、70歳まで働けるような社会づくりが必要になる。こうした労働動向、また、大きな労働市場の一つとして「がん」を考えていくことが、これからの人事・労務管理者に求められる必須スキルである。真の多様性ある社会を追求していきたい。