2016年06月24日掲載

Point of view - 第65回 村本高史 ―新しく生きる日々の中から

新しく生きる日々の中から

村本高史  むらもと たかし
サッポロビール株式会社 経営戦略部 プランニング・ディレクター

1987年サッポロビール株式会社入社。30代まで開発・広告等のマーケティング部門と人事部門を交互に経験後、40代から再度人事部門に在籍。2011年、人事総務部長当時に頸部(けいぶ)食道がんが再発し、手術で患部再建・喉頭全摘。復職後、教室通学を中心とした訓練で食道発声を習得。現在は経営戦略部にて組織風土改革に携わる一方、闘病体験等を語る会を社内で開催。

 

声を失って

5年前、喉元の食道がんが再発した。勤務先(サッポロビール)では当時、人事総務部長、46歳だった。初発時に放射線治療を限界まで行っており、今度は手術するしかない。患部は声帯の真裏であり、同時に声帯を切除することになる。覚悟はしていたので、ショックというよりも「来るものが来ちゃったなあ」。そんな気持ちだった。

手術の準備をする中、主治医が言っていた「食道発声」の教室を知り、事前見学することにした。そこには声帯を失った同じ境遇の人しかおらず、声帯の代わりに食道を震わせて発声する練習を懸命に、しかし明るく行っていた。その光景に感動し、「生きてさえいれば何とかなる」と大きな勇気と希望を得て帰宅した。

退院し、自宅療養を経て仕事に復帰する際、何よりも影響が大きかったのは、声が出ないことだ。すれ違っても挨拶の言葉も出ないなら、お互いに気まずい思いもするだろう。そう思って、社内外でお世話になった方々に自分の現状をあらかじめメールで報告することにした。「人間は自分が気づいている以上の可能性を持っていて、私もその一人であると信じ、自分にできること、自分にしかできないことを考え、実行していきたい」。その時に自然に出た言葉は、今でも自分のよりどころになっている。たくさんの方々から頂いた激励の返信も、何度も読み返した貴重な財産だ。

その後、発声教室に通学し、自分でも練習を積み重ね、今では日常会話もほぼ問題なくできるようになった。話し方の不便さや不安はあるが、生きている素晴らしさを日々感じている。

役割意識と使命感

自分にしかできないこととは何か。大病後、自問自答する中で、人事に携わっていたころに考えていたことを思い起こした。それは、企業や組織で働く人に必要な二つの意識だ。

一つは、職位や所属に応じた「役割意識」である。機能として一人ひとりに付与された役割をきちんと遂行していく責任感。組織が円滑に回り、企業として永続していくためには不可欠のものである。ただし、加速化する環境変化やいびつな年齢構成の中では、各人の期待に応じた役割を全員に付与することはできない。

もう一つは、組織人として、あるいは一人の人間としての「使命感」。すなわち、職位や所属にとらわれず、大きな見地から自分の成すべきことを考え、実行していくことである。一人ひとりを共鳴させ、結びつけていくためには、企業や組織の理念やビジョンが大きな意味を持つ。それらを浸透させるための重要な鍵は、対話と内省の繰り返しだろう。一人ひとりが使命感を持ち、理念やビジョンを腹落ちさせ、行動に移していけば、企業や組織としての深みが醸し出され、世の中になくてはならない存在になっていく。

そして、この使命感は、理念やビジョンを踏まえて落とし込まれる以外に、一人ひとりの内面から湧き上がることもあってよいはずだ。自身の長年の経験や強烈な体験から発した思いが、企業や組織の活動を増幅していくとともに、新たな可能性を切り拓くことも本当にあるのではないか。

再び、人と向き合って

一昨年秋から、勤務先で終業後に「いのちを伝える会」という会を始めた。自身の闘病体験やそこから感じた「人生の目的と使命」等を伝え、意見交換する会(1回7~8人の規模)で、関心のありそうな人に声をかけ、これまでの開催は20回を超えた。私の経験が健康な人にも何かの参考になるのではないか、一人ひとりが自分の人生を考えるきっかけを提供できないものかと考え、死に直面した経験から「目の前のことに真剣に向き合うこと」「大切なものを心底から大切にすること」の重要性等を伝えている。

また、現在の仕事では、組織風土改革を担当し、本社の中間管理職との個別ヒアリングをもとに横断的なミーティングを展開している。彼らの思いをもとに、お客さまへの提供価値の最大化に向けて、私たちの会社をもっとよい会社にすべく始めたものだ。こうしたことを通して、各人の可能性にさらに火をつけていきたいのだ。

これらの取り組みは、いったん声を失った私が再び自分の声を発し、人と向き合ってこそ、自分ならではの貢献ができるのではないかという、勝手な使命感に立ったものだ。以前に考えていたことは、私自身の問題として現実となった。大げさかもしれないが、生きていく上での勇気や希望を周囲の人たちに少しでも提供することーー。それが私の恩返しとしての使命であり、自らの新しい役割にもなっている。

多様な人たちが、思ったことを語り合い、挑戦に踏み出すことで、驚きや感動が次々と生まれる会社、ひいてはそんな社会をつくる一助となるべく、日々取り組んでいるところである。