経営コンサルタントが人事部長になって学んだ
「理論」と「現場」の関係
太期健三郎 だいご けんざぶろう 神奈川県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、三和総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社)に入社。株式会社ミスミ、株式会社グロービスを経て、2008年にワークデザイン研究所代表に就任。2014~2015年には研究所代表と兼任して、大手コンビニチェーンに焼きたてパンを供給する中堅食品メーカーで人事部長を務める。「外部コンサルタント」と「内部実践者」の両者の視点を併せ持つ人事コンサルタントとして活躍中。コンサルタントを"企業のドクター"と考え、「患者(クライアント企業)の声をよく聴き、現状を丁寧に診断する」をモットーとする。主著『ビジネス思考が身につく本』(明日香出版社) ※ワークデザイン研究所のサイトはこちら |
私は20年あまり経営コンサルタントとして働いてきた。2008年には独立して自らの事務所も構えた。その中で、2014年から2015年にかけて、事務所の代表と兼任して、大手コンビニチェーンに焼きたてパンを供給する中堅食品メーカーで人事部長を務めた。困難なことが幾つもあったが、とても貴重で、やりがいと学びの多い時間だった。
今回は、私が事業会社の人事部長になってあらためて学んだ「理論」と「現場」の関係を述べたい。
私が人事部長となった経緯
その食品メーカー(以下、L社)との関わりは2012年に始まる。L社の社長とは過去に同じ企業で働いていたという縁があった。2012年10月から私はコンサルタントとしてL社の企業変革の支援をすることになった。
私の自宅からL社は少し遠い場所に位置していたので、毎週2日間、ビジネスホテルに泊まって通うことにした。社内に自分の机を用意してもらい、朝から晩まで内部に深く入り込んでさまざまな変革や制度の導入・運用に取り組んだ。
そして、半年後には週に3日間、さらにその後、週に4日間と徐々にL社で仕事をする時間が増えていった。自宅に戻っての準備も考えれば、このころの私は、一部の執筆、研修の講師を除いて、L社のコンサルティングに専念していた。しばらくすると、社長から「社員になって内部変革者として働いてくれないか」という打診を受けた。コンサルタント冥利に尽きるとても有り難い言葉だったが、同時に、大きな決断を要することをひしひしと感じていた。しばらく返事を保留させてもらった後、私は半年後に人事部長という立場でL社の一員となった。
経営の理論は現場では役に立たない空論か?
外部のコンサルタント、人事部長としての経験で、「理論」と「現場」の両者の関係※をあらためて考え、学んだ。『「理論」と「現場」の……』なんて、何をいまさら、と思う方もいらっしゃるかもしれない。
※理論:経営学理論、ビジネスの原理原則、構造を説明するフレームワークなど
現場:企業経営や業務が行われる場、現実、現況
世のビジネスマン、経営者の中には「経営学なんて机上の空論だ」「現場とはかけ離れている理想論だ」と言う方は少なくない。理論を深く理解し、実践した上で言っているのだろうかと疑問を持つこともある。
理論の上っ面だけをかじり、本質を理解できなければ役には立たない。
「30分でわかる○○○の教科書」というノウハウ本を読んで分かったつもりになっても、実際の場面では使えないだろう。
ビジネス誌に載っている他社の成功事例をそのまま自社に適用しようとしても、ビジネス書、例えばベストセラーとなった『V字回復の経営』(三枝 匡 著、日経ビジネス人文庫)などを読んで熱く感動し、興奮覚めやらぬままに改革の手法、プロセスをまねても、成果を出せることは少ない。
失敗して、「あの会社だからできる特別な事例だ」「うちの会社とは別の世界の話だ」と諦めるのも早計だ。
理論は原理原則であって、どの企業にも使える万能薬ではない。自社の現状に応じて適用するものなのだ。
私は経営コンサルタントとして理論、フレームワークを使って、さまざまな制度、仕組みをクライアント企業に導入支援してきた。一つとして容易なものはなかったが、中でもL社では困難を極めた。
コンビニチェーンにおいしく安全な食品を安定供給するために、工場は24時間365日稼働している。そのことが現場に与える緊張感と負荷の高さを想像していただけるだろうか。そして、その現場を支えてくれているのは200人を超える多国籍の外国人従業員だ。さまざまな価値観、労働観を持ち、異なる言語を使う彼らの人材マネジメントの困難を想像してもらえるだろうか。何かを社内で伝達するためには多数の言語に翻訳、通訳をしなければならない。勤務シフトを決めるのは複雑なパズルを解くようなものだ。困難は外国人労働者の人材マネジメントに限ったことではない。
世間では戦略的採用などと喧伝(けんでん)されているが、恒常的な人員不足の中では、それ以前に募集しても応募者の絶対数が集まらない。
賞与、昇給額を決めるにも、そのベースとなる人事評価が十分には機能しない。
管理職研修を実施しようとしても、同じ時間・同じ場所に管理者を一堂に集めることができない。そんなことをしたら現場は回らなくなる。
複雑で困難な「現場」があり、対応するにも、ヒト、モノ、カネ、時間などさまざまな制約条件が存在している。
しかし、それらを嘆いていても前には進めない。そのような時こそ「理論」は役に立つ。「理論=あるべき姿」と「現場=現実」とのギャップを考えながら、実践していく。これまで多くの制度構築、運用をしてきた経験則で磨かれた理論は、人事部長として社内変革を進めていく上で"武器"となった。
「理論」と「現場」は相互補完の関係にある
「理論」と「現場」の関係をどう捉えればよいのだろうか。
理論は万能ではないが、現場を考えるベースとなる。同時に「三現主義」(現地・現物・現実)と言われるように、現場にこそ実践のための知恵や情報があふれている。
理論を経営、現場に適用する。そして、うまく機能しないならば修正し、再度実行する。試行錯誤の繰り返しだ。経営者もコンサルタントも「抽象的な理論」と「具象的な現場」の間を"反復横跳び"のように交互に往復する。「理論」と「現場」はどちらが大切かという二項対立ではなく、両者は相互を補完する関係なのだ[図表1]。
図表1 理論と現場は相互補完の関係にある
マネジメントの基本であるPDSサイクル(もしくはPDCAサイクル)の各ステップでも、その関係は変わらない[図表2]。
図表2 PDSサイクル各ステップで理論がベースとなる
理論、フレームワークを使うベネフィット(利益、効果)
ここで、理論がビジネス、経営にもたらす主要なベネフィット(利益、効果)を整理したい。
まず、何か施策を始める時に考えるべき視点、要素を漏れなく考えやすくなる。
次に、施策を進めていき、結果が表れた時、それが成功であれ失敗であれ、原因が特定しやすくなる。原因は、制度・仕組み自体なのか、運用方法なのか、運用する人のスキルなのか、コミュニケーションの問題なのかといった根本に迫ることができる。原因が正しく特定できれば、次の対応策の優先順位づけ、実行が的確なものになる。
また、現場での取り組みを理論、フレームワークに整理しておけば、社内(他事業所、他部門など)で横展開しやすくなるし、経緯・履歴として組織に残しやすくなる。
そのほかにも、さまざまなベネフィットを持つが、ここでは上記にとどめる。いずれにせよ、理論をうまく活用することで状況判断や意思決定の効率とスピードを飛躍的に高めることができる。
業績が順調な時は理論を軽視しても問題は表面化しない。しかし、そうでない時は理論に立ち戻ることが大切だ。理論を無視して従来の方法でゴリ押ししても、行き詰まり、ジリ貧になる。事態は悪化し、取り返しのつかない状況になることもある。
「理論」をすべての社員に理解させることは難しいだろう。しかし、改革を計画し推進する管理者と、経営者だけは理解していればならない。その人たちが理解していれば改革は着実に進むはずだ。
これが、L社で私が最も痛感し、学んだことだ。
おわりに
ちなみに、L社の社長と私は、前掲『V字回復の経営』の著者 三枝 匡氏が社長を務めていた株式会社ミスミで一緒に働いていた盟友だ。
業種業態も違い、東京に本社を持つ上場企業のミスミと比べてL社には異なる点も多かったが、われわれがミスミで学んだ経営理論、手法は大きな財産になり、企業変革をするベースとなった。
最後に、L社で共に働き、変革に取り組んだ経営者、管理者、全社員に感謝したい。
【参 考】
多数ある経営理論、フレームワークをここで説明する紙幅はないので、参考までに労務行政研究所のポータルサイト「jin-Jour」で私が執筆してきた以下のコラムを紹介する。
●人事パーソンのための実践!ビジネスフレームワーク
https://www.rosei.jp/readers/web_limited_edition/series?series=3077