働く人に知ってほしい 職場で生かせるアドラー心理学
岩井俊憲 いわい としのり 1947年栃木県生まれ。早稲田大学卒業。 |
はじめに
2014年の初頭からアドラー心理学の知名度が急上昇し、おかげ様でアドラー心理学を34年間学び・伝えている立場の私は、この3年間で各2万部を超える著書を10冊出し、単著の累積販売部数は50万部に迫っている。
しかし、アドラー心理学の知名度は上がっても、その理論と実践法を職場に生かそうとする試みは、まだまだこれからだとの思いが強い。
私はここで、人を育て職場に活力を生み出すアドラー心理学の考え方として、以下の3点を提案したい。これは、今までの在り方を否定するのではなく、新しい価値観を加えることを意味する。
1.人間性を取り戻すこと
2.共同体感覚の視点
3.勇気づけ
1.人間性を取り戻すこと
1990年代初頭にバブル経済が崩壊し、リストラが進められた。1995年ごろからは企業に成果主義が導入され、その背後にある新自由主義的な価値観が、日本の組織風土を変えてしまった。この時期から企業は、良いものを早く・安く・安全に・効率的にというアウトプットの大きさを求める「生産性」重視にシフトした。その一方で、組織の構成員の働きやすさ、居場所作り、信頼感の確保とともに、人を育てるためにはインプットを惜しまないという「人間性」重視の企業風土は失われた。
私は、この時期に生命保険会社から証券会社に部長として転職したIさんの言葉を今でも鮮明に覚えている。他部署の15歳も年下の社員に「私はこの会社に転職してきたばかりで慣れていないのですが、〇〇のことを教えていただけますか?」と尋ねたら、こんな返事が返ってきたのだそうだ。
「俺は、あんたなんかに教えるために給料をもらってるんじゃないんだよね」
教えるといっても、ほんの2~3分の内容である。Iさんは絶句し、2年ほどでこの会社を辞め、独立の道を選んだ。
もちろん今では、成果主義を断念した会社も多いし、行き過ぎた生産性の原理を反省する企業も存在するが、人間性を取り戻すのにふさわしい原理がなかなか見つからないでいる。
この原理として、アドラー心理学は「共同体感覚の視点」と「勇気づけ」によって理論的な裏づけを提供する。その主要な理論が、次の二つである。
2.共同体感覚の視点
アドラー心理学の「共同体感覚」とは、共同体の中での所属感・信頼感・貢献感であり、精神的な健康のバロメーターである。この感覚は、企業の生産性も維持しながら、信頼に満ちた親密な関係を強化するスパイスとなる。
共同体感覚は、組織の構成員が相互尊敬・相互信頼をもとに目標に向かって協力し合う関係として、各自の長所・持ち味を生かしながら居場所をしっかりと確保できるように導く。
ところで、「相互尊敬・相互信頼の関係なんか組織には必要ないのでは?」との反論があるかもしれない。「ビジネスの現場で評価対象となる部下を、尊敬・信頼できるはずがない」と言う人もいる。
確かにそのような側面もあるが、部下は組織を構成する一員の一方、家族を有するかけがえのない一個人でもある。血も涙もある存在である。組織目標を達成するために、欠かせないパートナーでもある。このことを忘れたところから、パワハラやセクハラなどの不祥事が発生する。そもそも尊敬・信頼する存在だと見なせれば、相手の人間性を否定する行為は生まれるはずがない。
3.勇気づけ
アドラー心理学の創始者、アルフレッド・アドラーが「共同体感覚」とともに繰り返し重視した考えが、「勇気」である。「共同体感覚」と「勇気」は、アドラー心理学にとって車の両輪といってもよい。
アドラーが力説した「勇気」は、今日では「困難を克服する活力」である「勇気づけ」として、組織に活気、根気、元気を与えるための重要な支えとなっている。
1.で述べた人間性の対極にある生産性の原理は、①ダメ出し、②競争原理、③結果重視の傾向を持つが、人間性を尊重し、相互尊敬・相互信頼をもとにする「勇気づけ」は、①ヨイ出し、②協力原理、③プロセスも重視の考え方に基づいて展開される。
日本の家庭、学校、企業の教育は、ダメな部分に徹底的にフォーカスし矯正しようと躍起になるが、そのことでどれだけ人を萎縮させているだろうか?
欠点を指摘されると、欠点がますます気になり、本来の長所・持ち味が伸び悩んでしまう。勇気づけの第1のポイントは、本来の長所・持ち味にフォーカスし、そこで人と人とがつながることである。
勇気づけの第2のポイントは、身内との競争よりも目標に向けての協力を重視することである。そのことにより、各人の長所・持ち味が最大限に生かされる。
勇気づけの第3のポイントは、結果がすべてではなくプロセスも重視することである。チャレンジや小さな進歩をも逃さないこと。時に失敗もあるが、失敗は教訓として生かせる要素がふんだんにある。
終わりが近づいた。アドラー心理学の組織への活用に当たっては、拙著『働く人のためのアドラー心理学』(朝日文庫)、『人を育てるアドラー心理学』(青春出版社)を参照いただければ幸いである。