組織の中の集団心理 -効率よりも中庸を-
釘原直樹 くぎはら なおき 九州大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。大阪大学人間科学部助手、九州工業大学教授などを経て、現職。専攻は社会心理学。大規模な装置設営や被験者集めに苦心しながらも種々の実験を遂行。著書に『人はなぜ集団になると怠けるのか』(中公新書。中央公論新社)、『グループ・ダイナミックス』『スケープゴーティング―誰が,なぜ「やり玉」に挙げられるのか』(ともに有斐閣)など。 |
正論は正しいか?
ニーチェの言葉に「善い者たち、正しい者たちを警戒せよ。かれらは、自分自身の徳を創り出す者を、好んで十字架にかける――かれらは孤独者を憎むのだ」(『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳、中央公論新社)というものがある。誰も反対できない正論というのは数多くある。ハラスメント、平等、権利、人権、プライバシーの保護など。これに反した人は正しい者たち(例えばテレビのコメンテーターや評論家)から徹底的な攻撃を受ける。
しかし、場合によっては、これが「角を矯(た)めて牛を殺す」ことにならないであろうか。このような風潮が極端になれば、さまざまな副作用が現れる可能性がある。例えば、人間関係が機械的になり、社会や職場から闊達(かったつ)さが失われ、多数者のwell-being(幸福)が損なわれるかもしれない。正しいことにも悪いことにも限度があり、正しいことを徹底的に追求すれば悪に転じる可能性がある。
効率や利益も、いわゆる「正しいこと」である。そのために、改革開放、規制緩和が声高に叫ばれ、成果主義が大学でも採用されている。特に大学では、若手の採用時に論文の数や英文業績が重視される。科学研究費の獲得にも論文の数が少なからず影響する。最近はこの風潮が極端になり、これがデータの捏造(ねつぞう)や剽窃(ひょうせつ)につながっていると筆者は考えている。成果主義が不正の増大を生み出しているのである。STAP細胞事件も、まさにこのような状況が生み出した極端な例と思われる。研究不正を防止するために研究者の監視や罰則が制定されているが、これが闊達な研究活動を阻害している。効率や成果主義も、それがもたらす副作用をモニターしながら、適切なレベルに落ち着かせることが大学当局や政府の担当部局に求められる。政策担当者は正しいことを徹底的に追求するのではなく、中庸を絶えず意識して政策立案を行う必要がある。
怠け者の役割
人事についても同様のことが考えられる。大抵の集団や組織は能力や役割が異なる人々によって成立している。それは、①集団に貢献していることが多くの人から認められ評価され尊敬されている人(ヒーロー)、②一生懸命努力するけれども評価されず、かえって蔑(さげす)まれることさえある人(小役人)、③努力もせず、他者に迷惑を掛けてばかりいるために多くの人から嫌われている人(スケープゴート)、④努力しないで他者に迷惑を掛けているにもかかわらず多くの人から好意的評価を受けている人(マスコット)である。
このような傾向は家庭でも見られ、特に問題を抱えている家族の中では、兄弟の中で役割が上記4種類に分化することがあると言われている。ヒーローの役割は兄弟の中でも年長の子が果たすことが多く、学業も優れ身なりもきちんとしていて先生のお気に入りだったりする。これと正反対の役割を果たすのがスケープゴートである。素行不良で成績も悪く、家族の非難を一身に浴びる者である。自分が悪いことをして注意を引くことによって家族の絆を強める役割がある。一方、小役人は控えめでおとなしく、目立たずそれなりに努力することによって集団から被害を受けないようにしている。それからマスコットはかわいくてユーモアがある年下の子がなることが多い。家族は、子どもたちがこのような役割を演じることによってその安寧やバランスを維持しているとも考えられる。もしこの中の誰か1人でも欠けると、家族はたちまち瓦解(がかい)してしまう可能性もある。
こうした役割の分化は問題を抱えた家庭のみならず会社や組織でも生じているであろう。会社の中でも「怠けている」「無能だ」と非難され、周りの人が迷惑を被っていると思われている人がいる。しかし、そのようなスケープゴートの存在が、周囲の人の自尊心やモチベーションの維持向上に貢献している可能性もある。またマスコットも業績には直接は貢献しないが、間接的には集団の雰囲気や士気に良い影響を与えているであろう。
このように、集団には表面的な業績だけでは推し量れない貢献をしている人がいる。ヒーローの業績は小役人の地道な努力が基盤にあり、マスコットが皆を和ませ、さらに足を引っ張るスケープゴートがいるから、より輝かしいものになると考えられる。
組織の中に多様性を
また、集団の業績は一般に2割の人が生産量の大部分を生み出す「2・8の法則(パレートの法則)」に従うと言われている。みこしを担ぐ場合、2割の人が一生懸命支え、6割の人は担ぐふりをしていて、2割はぶら下がっているという比喩もある。筆者によるプロ野球の試合の勝敗分析結果もこれを証明している。少数の上位打者やエースの活躍いかんが勝敗を決している。その他の選手のパフォーマンスはほとんど結果に影響しない。ただし、時間がたてば役割交代が起きることもある。人が全力を出す期間は限られているので、怠けることによって体力を温存していた人が、次の段階で中心的役割を担うことになる。この意味でも集団メンバーの多様性は必要である。
「怠け者」のレッテルを貼られた人の中には、このように天の邪鬼(あまのじゃく)的な人、スケープゴートとなって集団の崩壊を食い止めている人、自分の力を発揮できる場がまだ与えられていない人などが含まれている可能性がある。集団の成員の多様性を低下させることが、その活力をかえって低下させることは想像に難くない。