2018年03月13日掲載

「働き方改革」の焦点――労働市場改革と「働き方改革」をつなぐカギ - 第2回 裁量労働制を巡る真の課題と可能性


田添忠彦 たぞえ ただひこ
ソフィアコンサルティング株式会社
代表取締役社長

◆第1回:「副業・兼業」に秘められた人事戦略のカギ

◆第2回:裁量労働制を巡る真の課題と可能性

◆第3回:過重労働規制の裏側にある示唆

◆第4回:解雇規制緩和論の脆弱性を克服するカギ

◆第5回:プロジェクト思考で進める間接部門の「働き方改革」

◆第6回:あらためて浮上する人材育成の価値

1.批判にさらされる裁量労働制

2月中旬の裁量労働制に関わる比較データ問題以降、国会での「働き方改革」審議において、裁量労働制への野党の批判が止まらない状況となっている。当初政府は、「働き方改革」法案の中の裁量労働適用拡大に関わる部分の先送りによって事態打開を図ったが、結局当該部分の法案からの削除に追い込まれた。

今般の働き方改革関連法案要綱において、政府はかねてからの方針に基づき、「高度プロフェッショナル制度」の新設と合わせ、「柔軟な働き方推進」の要として企画型裁量労働制の適用対象拡大を盛り込んでいた。その「柔軟な働き方」に関わる制度のリスク面を「過重労働やブラック労働の温床」と捉える野党の思惑は、この間の経緯を見るに、どうやら法案全体の廃案にあるようである。

政府にとってさらにタイミングが悪いことには、昨年末に裁量労働制の対象外職種への600名に及ぶ不正適用が明らかになっていた大手不動産会社において、一昨年当の裁量労働制が不正適用されていた社員が過労自殺し、同じく昨年末に労災認定(過労死)されていたことが、その後報じられた。しかも、その不正適用業務は、当初指摘されていたような「営業職」ですらなく、不動産物件の管理業務に従事する社員だったとされている点がより深刻である。

こうした一連の報道により、わずか1カ月程度のうちに、「裁量労働制=悪=ブラック労働の温床」との印象が、世間にはすっかり定着することになった。

ところで、裁量労働制の導入率(制度適用となっている労働者の割合)は、厚生労働省の「就労条件総合調査」(2017年)によれば、「専門業務型」で1.4%、「企画業務型」ではわずかに0.4%にすぎない。つまり、ほとんどの労働者には無縁の特殊な制度と言っても過言ではない。その特殊な制度について、なぜ政府自民党は適用の拡大を目指し、野党はそれに強く反対するのか。まずはその点を考えてみることを契機に、裁量労働制の仕組みそのものを再検証し、そのメリットと留意点を整理する中から、「働き方改革」における意味を掘り下げておきたい。

2.裁量労働制の特徴

裁量労働制とは、適用対象要件を満たす労働者について労働時間管理の裁量を本人に委ね、実際の勤務時間実績に関わらずあらかじめ決められた時間勤務したと「みなす」ことにより、残業手当支給等を伴う労働時間管理からの実質的な適用除外を行う法的な制度である。

「専門業務型」と「企画業務型」の2形態があり、先行導入された「専門業務型」は、弁護士や公認会計士はじめ業務独占的な国家資格保有を伴う専門業務をはじめ、情報システム設計のような一般専門業務までも対象としている。それに対して、後発の「企画業務型」は、主に本社勤務の経営企画やマーケティングのように、業務の企画的性質が強くルーティンワークの比率が少ないため、本人に労働時間管理の裁量を大幅に委ねるのが適切な業務に従事する労働者を対象とした裁量労働制である。

いずれも適用要件や適用手続きが厳格かつ複雑なため、先に見たように低い適用率にとどまっている実態がある。

とはいえ、その純粋な趣旨をくみ取れば、ルーティンワーク的性質が極めて少ないナレッジワークに従事する労働者を形式的な労働時間管理から解放し、その職務実態に合わせて裁量権を本人のセルフマネジメントに大きく委ねた就労管理を実現しようとする点で、合理的な制度なのである。

3.かみ合わない議論

一方、過重労働、ブラック労働の広がりを見れば、社員を実質的に労働時間管理の対象外とする制度の適用対象業務の拡大は、さらなる過重労働のリスクを生み出しかねない。野党が続けてきた執拗(しつよう)な法案批判は、直接にはこの点への懸念がベースにある。結果的に適用対象業務拡大に向けた改正は、今回の法案からは省かれる方向となったものの、発端となった裁量労働制を巡るデータ不備を根拠に、引き続き「働き方改革」法案全体の廃案を主張するとなると少々意味が違ってくるのではないかと考える。なぜなら、政府はこうした過重労働リスクへの歯止めとして、残業上限規制の法令への格上げと罰則規定の新設を合わせて提示しているからだ。しかも、その法案化に当たっては、労働組合代表も議員となっている「働き方改革会議」において長時間の議論を重ね、労働界と経済界の間で一定の合意を積み上げた経緯もある。そうしたプロセスを踏まえずに法案見送りにまで言及するのは、やや暴論であろう。

もっとも、野党の主張がそこまで先鋭化する背景には、「働き方改革」法案の底流にある労働市場改革についてのビジョンが共有されていないという問題がある。政府は今回の「働き方改革」を通じて、単に個別企業の労務管理体制の改善だけを目指しているわけではない。その先に、「副業・兼業」の普及等とも合わせて雇用流動化を進め、「企業内労働市場」からの労働市場「解放」と経済活性化=デフレ脱却を目指している。一方、野党からは、これに代わる経済活性化のビジョンは特段聞こえてこない。そういう立場から個別企業における労働時間管理リスクを捉えるので、議論がなかなかかみ合わなくなる。

4.労務管理制度の機能についての認識の齟齬

では、メリットを重視する立場とリスクを懸念する立場の間に、合意への接点は見いだせるのだろうか。その点を見極めるには、ことの発端である裁量労働制そのものの人材マネジメントにおける機能を掘り下げる必要があろう。

そもそも企業の人事政策において、なぜ労働時間制度を変えたり、新たに整備したりする必要があるのだろうか。それは、社員がこなすべき仕事が変化しているからである。例えば、経理における伝票集計業務や生産体制が確立した工場でのライン作業のように、労働者本人に業務プロセスそのものの変更に関わる裁量権がない定型業務であれば、一般的な労働時間管理制度による就労管理で何ら問題はない。しかし、メーカーをはじめ多様な業種業態で、そうした定型業務の構成比率は徐々に減少し、労働者自らが仕事の成果を引き受け、その「成果物」の性質に応じて業務プロセスそのものを主体的に変更したり、または新たに立案しなければならない非定型的業務の構成比率が増大している実態がある。

筆者が考えるに、裁量労働制の適用比率の現状は、そうした業務実態の変化に対して、あまりにも僅少と言うほかない。就労管理制度と業務実態の間の乖離が著しいなら、その乖離を解消しようとするのは自然な経営判断である。まず確認すべきことは、業務の実態に合わせて就労管理制度を変える、これが正常な"順序"である。決して、最初に制度を変え、その後に制度によって業務実態を変える(もしくは、変わる)のではない。

ここまで考えてくると、私たちは重要な問題に思い至らないだろうか。現在、産業界を挙げて進む「働き方改革」について。

今年も多くの企業で「社長年頭挨拶」の中に盛んに言及されている「働き方改革」の実態は、そのほとんどが労働時間短縮など労務管理面の問題解決を意味している。つまり、ほとんどの経営者の念頭にあるのは、広義のコンプライアンス対策としての「働き方改革」なのである。そのため、労働時間短縮やその裏付けとしての業務効率化や生産性向上が、労務管理の枠内で処理可能な課題として捉えられている。中には、「働き方改革のために、わざわざ経営戦略を検討するのは、本末転倒だ」との認識も聞こえるほどである。

つまり、多くの経営者にとっての「働き方改革」とは、人事部門主導による労務制度や管理ルールの整備を通じて、労務管理の枠内で解決可能な経営テーマなのである。「労務制度変更⇒業務プロセスの改善」という思考の構図になっているのだ。そこには、「働き方」にビジネスモデルを含めて捉え、その変化(もしくは変革の戦略)にうまく制度を適合させようとの発想は薄い。「働き方改革」の主流は、残念ながら「ビジネスモデルの変化⇒変化に合わせた制度や体制整備」とはなっていないのである。

5.裁量労働制の有効活用への課題

もっとも、企業経営者が「働き方改革」を労務管理制度の枠内で捉えようとするのには、労働法制に基本的な要因がある。いま適用拡大が検討している裁量労働制を見ても分かるように、その導入には極めて厳格な要件が設定されているからだ。適用対象労働者の要件が、2種類の制度型によりかなり狭く定義されていることに加え、「企画型」の導入には労使委員会の設置とそこでの決議も必要になる。つまり、残念ながら現状の裁量労働制は、それにふさわしい業務実態が存在するからといって、手軽に活用できる仕組みではない。その複雑さが、労務管理を特異な領域に押し込め、同時に経営との一体性を損なっているのである。

もちろん、適用対象を広げればブラック労働等の不法行為の発生リスクが増大するという事情があるが、それだけではない。さらに本質的な事情は、形式的な時間管理に縛られない、裁量労働制にふさわしい仕事の現実の姿が、社会的に十分共有されていない点にある。

今般の裁量労働制を巡っての「不適切なデータ」問題も、直接には行政担当者の不手際程度のことが原因かもしれない。しかし、政府において裁量労働制にふさわしいビジネスと仕事の実像が十分に咀嚼(そしゃく)されていれば、こうした「不適切なデータ」が収集され生み出される可能性自体が低かったはずである。

形式的な労働時間管理を適用除外するにふさわしい仕事とは、広義のナレッジワークである。ナレッジワークとは、労働者自身が保有する専門的知識や専門的思考を通じて新たな付加価値が生み出される仕事を意味する。その特徴は、仕事のプロセスの大部分が、組織の指示命令に基づく統制の中での判断を離れ、労働者自身の主体的思考や発想に基づいているだけではない。そこで生み出される仕事の成果(もしくは成果物)が、専門性にふさわしい高い付加価値をもたらす特徴がある。そのため、標準的なプロセスの中で所定の時間で行われる定型的業務への一般的なマネジメントの有効性は低下する。

こうした高付加価値労働に合わせて、仕事上の意思決定の多くを労働者本人に委ねるような、従来とは全く異なったマネジメント手法が必要となる。もちろん、形式的な労働時間管理から裁量労働制に移行すれば、有効なマネジメントが完全に実現するわけではない。しかしながら、業務における権限の大幅な委譲という点で、裁量労働制はナレッジワークにふさわしいマネジメントの重要な要素をカバーしているのである。

6.ナレッジワークにふさわしいマネジメント実現への試練

以上、増大し続けるナレッジワークと、それにマッチしたマネジメントを十分にイメージしながら、新たな法制と就労管理制度を整備する必要性を確認してきた。

では、仮にナレッジワークの実態が社会的に広く共有され、それにふさわしい柔軟な法制が整備されれば、企業組織でのマネジメントは円滑に進むのだろうか。それ以外に残された課題はないのか。

そこで、私たちはかつて成果主義人事の直面した困難に思い至らざるを得ない。高付加価値を生み出す、労働者本人に多くの裁量が委ねられた仕事において、その仕事の成果をどう評価すればよいのかという課題に。残念ながら成果で労働者の処遇や報酬を決定する成果主義人事制度は、その制度自体としてはうまくいかなかった。単純な目標管理や業績管理では個別の業務の成果をうまく測定(評価)できず、うまく評価しようとして制度を精緻化すれば、制度が複雑になりその運用定着の難易度が増すパラドックスに直面した。そうした試行錯誤の中で、成果主義人事制度自体がその狙いに反して労働者のモチベーションを低下させる事象も多く生み出しながら、今日に至っている。

「ではどのような制度ならいいのか?」という問いに対する単純な回答はないが、そのための重要な条件については、すでに私たちはつかみつつある。特に大事なポイントは、人材価値や仕事の成果の基準に関する、個別企業内にとどまらない企業横断的な社会的共有化である。日本型雇用慣行が長く続いたわが国産業界では、人材価値についての社会的共有化が諸外国に比べて遅れている。例えば西欧諸国では、人材の市場価値測定の重要な指標として、産業別の専門性評価に関わるより実務的な資格制度等が発達している。わが国でも、情報サービス産業等でその主要なキャリアの定義や、キャリアによって求められる専門性の定義を業界横断的な標準(ITスキル標準=ITSS)として確立する試みが進んでいるが、まだ一部にとどまっている。

今般の「働き方改革」は、雇用流動化の先に労働市場改革も見据えられている。それを、企業内に閉じられた労働市場の「解放」に伴うデメリットとして認識するのではなく、個別企業の人材価値基準を、企業横断的な市場価値として共有し、市場基準で人材を処遇していく努力の端緒としていくことが、日本企業の経営に課せられた重要な課題となりつつある。

田添忠彦 たぞえ ただひこ
ソフィアコンサルティング株式会社 代表取締役社長
立命館大学文学部卒業。電子部品メーカー人事部、国内コンサルティング2社の取締役、パートナーを経て、2007年2月から現職。上場・中堅企業への人事労務・人材育成戦略に関わるコンサルティング実績多数。診断・戦略立案から制度運用、教育、組織改革までを一貫サポートし、戦略を重視しつつも、個別企業の実情と実務に密着した対話型コンサルティングを進める。企業、教育機関、労組連合、公共機関等での講演や、著作・専門誌での執筆実績多数。
HP:http://www.philosophia.co.jp
mail:tazoe@philosophia.co.jp