2018年05月25日掲載

Point of view - 第111回 谷 俊子 ―「働き方改革」は楽しいですか―若年層と管理職のギャップ

「働き方改革」は楽しいですか―若年層と管理職のギャップ

谷 俊子 たに としこ
関東学院大学経営学部 非常勤講師

1986年山武ハネウエル㈱(現アズビル㈱)入社。2001年より山武労働組合専従執行委員および産業別労働組合JAM全国組織中央執行委員。家族の転勤のため2003年に企業を退社し大学院へ入学。2009~2017年東海大学に勤務。2016年より現職。
慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、東北公益文科大学大学院公益学研究科修士課程修了、同博士後期課程単位取得退学。公益学博士。主著に『ワーク・ライフ・バランスとケアの倫理―イクボスの研究』、『働き方改革と多様な働き方―キャリアの変化は楽しい』(いずれも静岡新聞社)がある。

「働き方改革」が入社前から身についている世代

「若者が会社をすぐ辞めてしまう傾向にはどう対処したらいいのでしょうか。今の若者の気持ちが分からず困っています」

企業向けの研修を行っている際、このような声が近年さらに増えたように感じる。筆者は、かつて企業の人事部員として働いていたので、企業側の気持ちはよく分かる。一方で、現在は大学教員として若者の本音を聞く機会も多い。企業側の社員定着に関する悩みと、若者の就業意識の変化。この二つには全く違う価値観と深い溝があるように感じている。

筆者は30年ほど前に社会人になった、いわゆる「バブル世代」であり、基本的には古い価値観を持った人間である。安定した収入を得ることが働く上で最も大事。残業代が増えればおしゃれな洋服も買えるから忙しいのも嫌ではなかった。いつのまにか企業名そのものが自分のアイデンティティとなり、単なる組織の中の一人にすぎなくても、社会でひとかどの人間になったような気分になれる。自ら転職するということは考えもしなかった。

しかし今の時代、筆者のような考え方の学生はかなり少数派である。大学で教え始めて10年。新しい価値観を持った学生の増加は著しい。10年前は「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を知らない学生も多かったが、今は授業を受ける前から知っている。「どのような会社で働きたいと思いますか」と尋ねると、「長時間残業のない、休日がきちんと取れる会社」「男女ともにやりがいのある仕事をさせてくれる、差別のない会社」「子育てと仕事、両立できる会社」という声が返ってくる。

日本社会が推進してきた「働き方改革」の理念が、若い世代にはしっかり根付いているのは喜ばしい。30年前の新入社員ならタブーだった働き方の要望が、今は入社前から主流になっているのである。また社会で役に立つ仕事ができるかどうかが重要で、今いる企業でそれが不可能ならば早期退職も厭(いと)わない。これも働き方改革が推奨している雇用の流動化の実現である。

若者の価値観に共感できますか

企業の方々に問いたいのは、「あなた自身が、若者のそのような生き方に心から共感できていますか」「働き方改革を楽しく率先し推進していますか」ということである。

企業人の声に耳を傾けると、必ずしも働き方改革を肯定している人たちばかりではないように感じる。働き方改革への不満の多くは、「働き方改革を推進しても仕事は減らない」「仕事は減ったが、それ以上に担当者も減らされた」「子育て支援には賛成だが、支援する側の負担は増えるばかり」などがある。

少子高齢化に伴う働き手不足の課題を解決する施策として、生産性向上や技術革新等が進められているが、現在働いている人たちはそれらによって「自分の仕事がAIに取って代わられてしまうのではないか」「失業してしまうのではないか」という不安を抱えている。

若者たちは、そのようなネガティブな空気を敏感に感じ取ってしまう。人生の先輩たちが将来に不安を持ちながら、働き方改革を無理やりにやらされている会社。「ここに数年いても自分の明るい未来はないのでは」と感じる若者もいるだろう。「もっと未来のある、社会の役に立つ、やりがいを感じられる所で働きたい」。そう考える若者に対して、企業の先輩たちはどのように相談に乗ってあげることができるだろうか。

若者の退職を防ぐ具体策

新しい価値観を持つ若者の退職を防ぐには、いくつかの具体策もある。

一つには、仕事の一部分だけをやらせるのではなく、早い時期から全体像を見せる、仕事の面白さを伝えることが大事になってくる。昭和の時代ならば「入社して3年は我慢が大事」と説得すれば通用したかもしれないが、今は1年目で早くも見切りをつけ、退職してしまう若者も多い。決断にスピード感のある若者に負けないくらいのスピードで、さまざまな仕事を任せて本当の面白さを伝えることがカギとなるだろう。

二つ目として、若者の仕事観・人生観に耳を傾ける、理解を示すということが大事である。管理職世代は、筆者と同様「バブル」の価値観が根底にある。社会人になったころに刷り込まれた価値観を変えることは容易ではないが、少なくとも若者の価値観を否定せず、理解する努力や共感する姿勢を見せることが大事だろう。頭ごなしに「俺の若いころは…」と古い価値観を押しつける上司は最悪である。

社会の成熟によって人口増加も見込めず賃金も停滞する日本で、若者はワーク・ライフ・バランスによって社会への順応と生き残りのための戦略を実践しているのである。資格を取得したり語学を身につけたりして、企業に頼らない生き方や、グローバルに活躍できる力を獲得しようと努力する若者も多い。残業をしたくないのは、プライベートな時間に勉強をしたり、心や体を十分に休めたり、企業社会に負けない健全な自分でありたいと思うからである。昭和時代には、そのようなことを考えなくとも条件のいい就職先は身近にあった。時代に順応しようと努力する今の若者は尊敬に値するのではないか。

三つ目は、先輩や上司が楽しく仕事をしている姿を見せる、ということである。前述のようにイヤイヤ働き方改革を進めていたり、ITやAIをネガティブにとらえたり。不平不満が以前より多くなってはいないだろうか。暗い顔で仕事をしてはいないだろうか。確かに人員削減で一人ひとりの業務量は増加しているのに「残業はするな」とお達しが出る中、「不平不満は言わないように」と伝えるのも酷な話だと思う。しかし、今より少しだけ魅力的な先輩・上司になって、仕事の楽しさ、会社の魅力を伝えられれば、若者も今の会社に希望を持つのではないだろうか。

もちろん、管理職が態度や考え方を改め、相談に乗ってあげるだけでは解決できないことも多くある。人手不足による長時間労働、既存組織の硬直化、改革が容易に進まないなどの課題は、職場で働く人々の力だけでは解決できない。最近はパワハラの概念も浸透し、「うかつな発言ができない」と考える上司も増えている。一方で若者は、意外と身近な大人との原始的なコミュニケーションを待っている。それはSNSの進化などでリアルな会話が昔よりも減少していることもあるだろう。

筆者はすでに企業を卒業し、社会全体の「働き方改革」について研究している身である。そのため若者の退職は決して悪いことではなく、むしろ雇用の流動化を促進し、日本的雇用システムを変えるには良いことだと信じている。しかし企業の方々にとって、大事な戦力となる若者の喪失は大変な痛手である。中には「直属の部下が最近退職し、傷心が癒(い)えていない」という方もいらっしゃるかもしれない。

そのような方には筆者の近著『働き方改革と多様な働き方―キャリアの変化は楽しい』(静岡新聞社)をお勧めしたい。日本社会の新しい働き方、価値観を感じることで、若者の心を理解し、また自分自身の今までの働き方を見直し、気持ちを軽くしていただけるのではないかと思っている。