2018年08月27日掲載

Point of view - 第117回 田中 聡 ―「うちにはイノベーターがいない」と嘆く前に考えたいこと

「うちにはイノベーターがいない」と嘆く前に考えたいこと

田中 聡 たなか さとし
立教大学 経営学部 助教

2006年 大学卒業後、株式会社インテリジェンス(現・パーソルキャリア株式会社)に入社。事業部門を経て、2010年 同グループのシンクタンク組織である株式会社インテリジェンスHITO総合研究所(現・株式会社パーソル総合研究所)設立に参画。同シンクタンク本部主任研究員を務めた後、2018年より現職。専門は、経営学習論・人的資源開発論。働く人と組織の成長・学習を研究している。パーソル総合研究所 フェロー。東京大学大学院学際情報学府 博士課程。 主な著書に、『「事業を創る人」の大研究』(クロスメディア・パブリッシング)など。

「イノベーター=一風変わったアイデアマン」という誤解

 筆者は人材マネジメントを専門とする研究者である。仕事柄、大企業の人事関係者と議論させていただく機会に恵まれている。最近では、大企業で新規事業を創る人材・組織をテーマに研究していることもあり、「御社の新規事業は最近いかがですか?」と伺うようにしている。すると、驚くほど各社共通して、「困ったもので、うちにはイノベーターがいないんですよ」という嘆きの声が返ってくる。そこで、もう少し突っ込んで、求める人材像を尋ねてみると、「アイデアマン」「異能」「変人」といったキーワードが並ぶ。さながらスティーブ・ジョブズのような人材像を求めているというわけだ。
 思わず「それはなかなかいないですよね」と同調したくなるものだが、ここでは少し冷静になって、その要件の妥当性について批判的に見つめ直してみたい。果たして、大企業の新規事業を牽引(けんいん)する人材にこのような要素は本当に必要なのだろうか?

 経済産業省の調査※1によれば、経営層とイノベーション人材本人の間で「イノベーター」に求める能力・素養のイメージにギャップがあることが示されている。経営層は「推進力」「構想力」「挑戦心」を重視するのに対し、イノベーション人材本人は「観察力」や「他者活用力」を重視することが分かった。では、なぜこのような能力・素養が重視されるのだろうか。
※1 経済産業省(2011~2012年)「新事業創造と人材の育成・活用に関するアンケート調査」

 筆者と立教大学 中原 淳教授が行った共同研究※2によれば、新規事業担当者が最も苦労する経験は「既存事業から必要な支援・協力を得る経験」(38.4%)であり、「新規事業のアイデアをゼロから生み出す経験」(20.6%)とは約18ポイントもの開きがある。つまり、アイデア構想よりも「組織の中でうまく物事を進めるために、周囲を観察し、他者を巻き込む力」が求められているのである。新規事業とは経済成果を生み出す経営活動であり、ビジネスアイデアの革新性を競い合うコンテストではない。社内外の協力を得て経営資源を動員し、製品・サービスを市場に届ける政治的なプロセスまでを含めて新規事業ということを経験者は痛感しているのであろう。
※2 田中 聡・中原 淳(2017年)「事業を創る人と組織に関する実態調査」

 新規事業を牽引する人材には、社内のキーマンを巻き込んで経営資源を動員するネゴシエーターとしての役割が不可欠であり、「社内人脈の有無」は新規事業の成否を分ける生命線と言っても過言ではない。実際、“既存事業での経験がある”人に比べて、“ない”人のほうが新規事業で成果を上げる割合は低いことが、私たちの研究でも実証されている。
 このように考えれば、社内にイノベーターがいないと嘆き、外部から新規事業担当者を採用しようという安易な発想が、実は「合理的ではない」可能性が高いことにお気づきいただけるだろう。新規事業担当者に求める人材要件を見直し、もう一度社内のタレントプールを注視してみることをお勧めしたい。

社内で事業を創る人を発掘する際の三つの視点

 それでは、社内から新規事業を担う人材を発掘・抜擢(ばってき)する際、どのような点に留意すれば良いのだろうか。筆者らが大企業における新規事業創出経験者1500名を対象に行った調査の結果を基に明らかになった知見を3点ご紹介したい。

 まず第1に、新規事業には成長志向の高い人材を登用すべきであるという点だ。
 “ある仕事上の課題を達成するために人がどのような目標を設定するか”という個人の目標志向性には、「業績目標志向性(業績志向)」と「学習目標志向性(成長志向)」の2タイプがある。業績志向タイプは、周囲から自分自身の能力を高く評価されることに重きを置き、業績を上げることに意欲を燃やす特徴がある。一方、成長志向タイプは、周囲からの評価は気にせず、自分自身の知識・能力を高めることに重きを置く特徴がある。

 筆者らの研究によれば、業績志向は新規事業の業績に影響しないのに対し、成長志向は新規事業の業績を高める影響があることが実証された。予測不可能な出来事が立て続けに生じる新規事業では、答えのない中で一人試行錯誤を繰り返す時間が続くことになる。そのプロセスを自己成長の機会と捉え、経験から学ぼうとする姿勢の重要性がデータからも実証されている。ある程度オペレーションが確立した既存事業では業績志向タイプが重用されがちであるが、新規事業では異なるタイプが躍進していることに留意が必要である。

 第2に、新規事業には次世代経営人材候補を登用すべきであるという点だ。新規事業経験を通じた学習の一つに「経営者視点の獲得」がある。つまり、事業担当者や管理職としての視座から全社視点で中長期の時間軸から経営課題を捉える経営者としての視座へ、仕事の見方・考え方が大きくシフトすることである。そのため、新規事業部門への異動を「次世代経営人材の育成機会」として戦略的に位置付け、積極的に経営人材候補を新規事業に抜擢することが望ましいだろう。

 第3に、新規事業に後ろ向きな人材は登用すべきではないという点である。先に述べた経営人材候補は、既存事業でエース級の活躍をしてきた人材である場合が多いが、過去の実績だけではなく、当人の新規事業に対する姿勢にも留意が必要である。筆者らの研究によれば、新規事業に対する前向きな姿勢は新規事業の業績に影響しないが、後ろ向きな姿勢は新規事業の業績に負の影響を与えることが分かっている。
 新規事業には社内からの批判や反対の声が多く寄せられる。担当者本人が、新規事業の可能性に対して懐疑的であったり、否定的な姿勢であったりすることは事業の推進を妨げる要因となる。いくら既存事業で成果を上げ、社内で一目置かれるエース人材であったとしても、新規事業に対して最初から後ろ向きな人材の登用は控えたほうが望ましいだろう。もっとも、前向きであることが登用の要件にならないことも併せて付記しておきたい。

 以上、事業を創る人材の発掘・抜擢において特に重要な三つのポイントをお伝えしてきた。しかし、新規事業は会社全体で育成する事業であり、権限委譲という名の下、新規事業担当者個人に任せっ放しでは新規事業の成果は望めない。そうした経営・人事の姿勢は、「将来的に新規事業に挑戦したい」という社員の潜在的な意欲を摘んでしまうことにもつながりかねない。
 新規事業を生み出し続ける組織風土を醸成するという意味でも、新規事業部門への配属後の育成と評価の在り方、さらには新規事業部門を離任した後のキャリアパスの設計までを見据えた一連の「新規事業部門における人材マネジメント体系」の構築が求められていると筆者は考える。