2018年09月14日掲載

Point of view - 第118回 高山 正 ―失敗を奨励する ――イノベーションを起こすための意外な方法とは!?

失敗を奨励する――イノベーションを起こすための意外な方法とは!?

高山 正 たかやま ただし
税理士
社会保険労務士法人未来経営 人事戦略コンサルタント

現事務所の人事コンサルティング部門の責任者として、人事評価制度導入、目標管理制度の構築、管理者研修などの経営支援を行っている。著書に「モテる会社の人事のしくみ」(税務経理協会)。社会保険労務士、中小企業診断士、産業カウンセラー。

 平成29年度版労働経済白書によると、イノベーションの実現と労働生産性の間には正の相関関係があるという。企業が生産性を上げ、真の働き方改革を実現するには、イノベーションが欠かせないということだ。では、イノベーションを実現するために、人事は一体何をすればいいのだろう。

失敗したスタッフへの驚きの対応

 IBMの現場責任スタッフは、重苦しい面持ちで会長室のドアを開けた。なぜなら、彼は1000万ドル(現在のレートに換算しても10億円以上)の損失を会社にもたらしてしまったからだ。当時のIBM会長トーマス・J・ワトソン・ジュニアは、IBMを世界的企業にまで育て上げたカリスマ経営者だ。そんなワトソンの前に緊張した面持ちでたたずむスタッフへ、彼は「なぜ呼ばれたか分かるかね」と、静かに尋ねた。スタッフは「クビを言い渡されるためだと思います」と、恐る恐る答えた。するとワトソンは「クビ!?」と驚いた様子で、「まさか冗談だろ、君に学んでもらうのに1000万ドルかけたんだぞ」と真顔で返した。「これからもリスクを恐れずに思いっきりやってみるように」そう言い伝えると、スタッフをそのまま帰したのだ。
 なぜ、1000万ドルもの損失をもたらしたスタッフを何のお咎(とが)めもなく、そのまま帰したのか。失敗した社員をわざわざ呼び出してまで、なぜ励ましの言葉をかけたのか。ワトソンは本気だった。"失敗を恐れずに挑戦する"というIBMの文化を自ら実証したのだ。
 都市伝説ともいえる話かもしれない。しかし、IBMの社員たちに伝えるメッセージとしては、十分すぎるくらい強烈だ。そこには、失敗から学び、失敗を生かす文化があったのだ。それがIBMのイノベーションの源泉になったといっても過言ではない。

失敗した社員に報奨を与える

 何もそれは、IBMの専売特許ではない。かつて「シェア1位か2位以外の事業からは撤退する」と言った、あの暴君とも称された専制的経営者、GEのジャック・ウェルチは、出来損ないの製品を作った社員に「おめでとう」と言い、チーム全員にテレビセットを贈ったそうだ。失敗に対して報酬を支払うなんて気でも触れたのではないかと思われるかもしれないが、「そうしないと、社員は新しい挑戦を避けるようになる」と、後にウェルチは述べている。もちろん、失敗に報酬が支払われるからといって、自ら進んで失敗するような人はまずいない。だが、チャレンジすることにそれほど本気で"チャレンジ"していたのだ。

「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」~トーマス・エジソン

 イノベーションや新たな発明は、どこからどうやって生み出されるのだろう。それは一部の天才にだけ訪れるひらめきによるのではない。いくつもの試行錯誤や失敗から生み出されるのだ。
 エジソンは1093もの特許を出願して、本当に役立ったものは片手に収まる程度だった。ベートーベンやモーツァルトが生涯に手掛けた曲は600作を超えるが、そのうち今でもよく演奏されているのは、せいぜい5~6曲ほどでしかない。ピカソは絵画、彫刻、陶芸からデッサンまで数万点に及ぶ作品を残している。しかし、高く評価された作品は、そのうちのほんのわずかだということをご存じだろうか。

確率の問題だ

 これらの事実は、"量"が"質"を創り出しているということを物語っている。そう、イノベーションは慎重に良い製品を作ることではない。確率の問題だ。「数学的法則だ。もっと成功したいなら、もっと失敗する心の準備が必要だ」とは、最もイノベーティブな企業といわれるIDEOの創業者、ケリー兄弟の言葉だ(著書『クリエイティブ・マインドセット』[日経BP社]より)。数多く試みなければ、成功は得られない。幾度となく失敗を経験しながらも、再び立ち上がり、何度もチャレンジする気構えが必要だ。しかしそこには、失敗を学びの場と捉え、肯定する組織文化が備わっていなくてはならない。

安心して挑戦できる文化を

 伝統的な人事は、失敗した社員を罰し、うまくいった社員にはボーナスや昇給といったインセンティブを支払う。社員には、上からの指示に従順であることが強要される。
 もちろんそんな"恐れ"のある環境下で、社員が自らの安全地帯から一歩を踏み出し、何か新しいことに挑戦することはない。帰るべき安全な家があるから、冒険に出かけられるのだ。もう戻ってこられるか分からないのに、わざわざ危険をおかす者はいない。だからといって、社員を甘やかせばいいということではない。しかし、恐怖や短絡的なインセンティブは、社員の思考を確実に狭めてしまう。
 人事の作る評価シートや目標管理には、評価点数や達成率が並ぶ。失敗をしたり目標が未達に終われば、たちまち落第の刻印を押されてしまう。しかし、繰り返しになるが、失敗はまたとない学びの場なのだ。落第点を付けるだけで終わらせてしまうには、あまりにもったいない。むしろ、高く評価してよい場面さえある。なぜなら失敗したということは、その社員が自分の能力以上のことを試みたという証だからだ。
 人事はもっと失敗を肯定的に、そして機会として捉えなくてはいけない。そうすれば、社員たちは安心して未知なる世界の探求へと旅立てる。もし人事が目を光らせるとすれば、それは社員の失敗にではない。挑戦しないことに対してだ。なぜなら、企業の衰退は失敗ではなく、"何もしない"ことに端を発するからだ。上からの叱責を恐れ、じっと殻に閉じこもるようなことがあってはならない。間違いをおかしても、挑戦したことをもっと称え合える文化が、企業には必要なのだ。