2020年07月31日掲載

Point of view - 第161回 本田一成 ―新型コロナウイルスに嗤われないための人事対策を探せ

新型コロナウイルスに嗤われないための人事対策を探せ

本田一成 ほんだ かずなり
國學院大學経済学部 教授

國學院大學経済学部教授。博士(経営学)。人的資源管理論、労使関係論専攻。主な単著に『チェーンストアの人材開発』(千倉書房)、『チェーンストアのパートタイマー』(白桃書房)、『チェーンストアの労使関係』(中央経済社。以上チェーンストア労働三部作)、『主婦パート』(集英社新書)、『オルグ!オルグ!オルグ!』(新評論)、『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議』(新評論)など。

新しくはない「新しい生活様式」

 新型コロナウイルス禍で発表された「新しい生活様式」という言葉を聞いた瞬間、近著『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議』(新評論)の制作中に気づいたことを思い出した(この本は売れ行きがよろしくない割に関連原稿や講演の依頼が続いている)。
 この日本最大級の争議が終結したのは1954年秋であるが、その直後に総理大臣になった鳩山一郎が翌1955年に「新生活運動」を提唱している。新しい生活なる国民運動のスローガンや手法は、本当は新しくない。鳩山の前の昭和時代や明治時代にもみられた。なお、当時、鳩山総裁の日本民主党は「政界を徹底的に浄化する」「官界を粛正し汚職を追放する」などと唱えている(井上寿一『終戦後史1945-1955』〔講談社〕)。吉田 茂前首相への敵愾心(てきがいしん)の表れであるとされているが、現下の政治状況では令和時代への皮肉に聞こえる。

労働現場の「逆回転」

 思えば、新型コロナウイルスによって、労働現場はいわば「逆回転」の辛酸をなめさせられている。働き方を改革して長時間労働を是正するはずだったのに、いまや短時間労働を成立させる方法を考えさせられている。足りないアルバイトの充足手段を必死で探していたのに、殺到する応募者を追い返したり解雇したりしている。労働者性を引き剥がそうとしていたフリーランスはやっぱり労働者なのだと逆戻りしてきた。
 逆回しになるほどねじれた世界では、使い古しの新しい生活様式の提唱などは当然だろうが、労働政策でも型破りといえる新しい転換が起きている。従前の雇用保険制度からはみ出した各種手当や助成金、雇用みなし措置の拡大などである。いくら新型コロナ禍だからといっても、かつての常識では考えられない内容、議論を飛ばした即決対応であるから驚く。労働法の先生方にとっては許せないレベルの話ではないのか。
 しかし半面では、だからこそ新型コロナ禍が過ぎ去るのを待望するだけではなく、ポストコロナ社会を綿密に計画する姿勢が大切であると痛感した。現にさまざまな団体で「ポストコロナプロジェクト」が始まっている。そこに労働分野の計画や人事対策を差し込んで、大きく改革できるチャンスではないのか。

サービス産業ウオッチャーから三つの提案

 そんな気持ちで、専門領域ゆえウオッチしてきたサービス産業の労働現場、とりわけいつも気にかけている小売業の店頭はどうかと目を向けてきた。すると、家庭生活が限界で、病気の不安もあるのに全然休めない、という惨憺(さんたん)たる職場になっていた。膨らんだ販売量に、除菌消毒、換気、行列対応の果てしない追加の反復作業がのしかかる。院内感染への危惧や配慮と店内感染のそれは比べるべくもない。店頭のみならず、サービス産業へ一定の応用範囲があるものとして、早急に、あるいはコロナ収束後の約束として、絶対に改めるべきだと思う点を三つだけ記す。
 第1に、もういい加減に従業員を休ませるための営業休日を入れる決断が必要だ。コロナ期に1週間に一度の定休日を入れ、終息後も定着させるべきである。夜間営業にしろ、24時間営業にしろ、年末年始営業にしろ、どれほど従業員を苦しめているのかを、緊急事態で敏感になった目に焼き付けてほしい。店が営業していて買い物ができることへの感謝は、毎日・長時間営業で麻痺(まひ)し、封殺されてきた。どうして消費者であることをそこまで優遇するのか。ワーク・ライフ・バランス(WLB)ならぬワーカー・カスタマー・バランス(WCB)の視点を入れよう。
 第2に、病気有給休暇の法制化である。もちろん、使用者側を経由した休業手当や雇用調整助成金やその運用上の工夫もあろうが、労働者側の「病気で休む権利」を入れることは、現状を見ればもう常識ではないのか。これには人事部門も反対せずに、ぜひ労使で取り組んでほしい。なぜなら、緊急時には病気有休を国に買い上げてもらう、本当に「躊躇(ちゅうちょ)のない」即効策をビルトインできるからである。
 第3に、無理を押して開店した店頭では、悪質クレーマーやカスタマー・ハラスメントの先を行く「カスタマー・バイオレンス」(CV)が多発した。客から感謝されるどころか攻撃され、客同士の争いにも巻き込まれる。バイオレンスなる表現が大げさではないことは、読者の皆さんのほうがよく知っているはずである。従業員が身の危険を感じて安全な場所へ避難したいと思うのならそれはCVである。明確なCV対策を打ち出せるよう法制化し、それが遅々として進まないのなら各社の制度を整備して既成事実化させよう。もちろん、避難や心身の回復のために上記の病気有給休暇を使うのも「あり」とする。
 例えば、CVは職場での話だが、こういった人材は帰宅後の生活でもさまざまないじめ、差別、攻撃を受ける危険性が高い。また、子どもの虐待、家族へのDVが増え、コロナ離婚なる言葉も生まれるほど多くの被害者が出ている。だが、人間の苦境は新型コロナが引き起こしているわけではない。新型コロナウイルスとは長い付き合いになる、と共生宣言も出された。それならあえて擬人化して言わせてもらおう。コロナさんにポンポンと肩をたたかれた人間がしでかしているのである。むしろ、コロナさんはしっかり人間の命や暮らしを守らなければならない時代であることを教えてくれた。
 しかし、「教えてくれた」では済まない。ポストコロナの労働社会を見通すために何をすべきか。非常事態中の自社の従業員が、職場や家庭生活でどんな気持ちでどう働き暮らしているのか。本当に欲しいものは何か。そうした声を集めて記録し、集積した情報を分析することが第一歩となる(「コロナ社会学」の創設)。長い付き合いになる、といわれたコロナさんは、ひたすら「元通りになってほしい」という人間の願いを聞いて(わら)っているのかもしれないのである。