After/Withコロナ:今後の人事を考える~
データドリブンHRMと中小企業人事への展開
高橋佑輔 たかはし ゆうすけ 1978年生まれ。国会議員公設秘書として、選挙区における政策・広報・選挙等の各種戦略の統括責任者を務める。その後、中小企業のマーケティング担当役員、経営再建担当役員を経て、日本生産性本部経営コンサルタント養成講座を修了。本部経営コンサルタントとして、企業の診断指導、人材育成の任に当たる。 |
Withコロナの人事部
2020年4月7日の新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言は、「VUCA(ブーカ)」という言葉に、改めて深刻なリアリティを付与した。VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をつなげた造語で、社会環境の変化が予測困難であることを意味している。一時の混乱は鎮静化したとはいえ、依然としてWithコロナがVUCAの影を長く引き延ばし、多くの市場で環境変化が圧力となって経営の不確実性を高めている。
いかに優れた経営者でも、目に見えない変化に対処することは難しく、市場や自社の姿を可視化することにデータ活用の動機が生じる。環境適合には経営資源を戦略的に投資することが必要であり、その最たるものが人材である。「人は城、人は石垣、人は堀」とは名将・武田信玄の言葉とされるが、経営の成否は「人」が握る。売り上げの変動を追いかけるのと同じ関心を持って、自社の組織状態・社員の士気・職場の雰囲気などを可視化し、追いかけてみるべきである。
企業内の人材を戦略的な資源として捉え、組織全体で育成し、業績への貢献を高めていこうとする発想を、人的資源管理(HRM:Human Resource Management)という。人事労務管理(PM:Personal Management)との違いには、人材をコストではなく資源として捉える点、育成のための投資を重視する点、経営戦略との結びつきが強い点が挙げられる。例えば、サービス・プロフィット・チェーン理論[図表1]によって、サービス業における社員満足度と顧客満足度に相関があることが知られている。近年は、ワークエンゲージメントと生産性との相関もいわれる。HRMは、こうしたエビデンスを支えに教育や福利厚生を通じて積極的に社員へ介入し、組織のパフォーマンスを高めようとする。
[図表1]サービス・プロフィット・チェーン理論
HRMが注目される背景には社会的要請もある。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると、15歳から64歳の生産年齢人口は、2017年の7578.2万人(総人口に占める割合は59.9%)が、2040年には5977.7万人(同53.9%)へ減少する。人口減少時代に競争力を保つには、社員1人当たり付加価値(労働生産性)の増大が不可欠であり、おのずと人事部に求められる役割も、人材の「管理」から「活用」へと変化してくる。
そこへきて、このコロナ禍である。リモートワークの急拡大による社員間の物理的隔絶やコミュニケーション機会の低下は、社員の姿を見えにくくし、HRMの運用ハードルを上げた。「会えば分かる」が言えない新常態の職場マネジメントには、データと少しばかりの想像力を用いた"人の状態の可視化"が必要である。Withコロナの人事部には、データによる組織の可視化と、それを踏まえた活性化、すなわちデータドリブンHRMの役割が期待されている。
データ活用の課題-DELTA
データ活用に期待が寄せられる一方で、そのために克服すべき組織上の課題もある。五つの要因「DELTA」は、Data:質の高いデータ、Enterprise:組織横断的取り組み、Leadership:分析の知識を備えたリーダーの存在、Targets:分析ターゲットの戦略的な絞り込み、Analysts:アナリスト人材の獲得・育成――をまとめたものである。以下に、幾つか例を挙げて説明したい。
[1]Data:質の高いデータ
多くの企業は、人的データを分析に用いることは想定しておらず、「記録」としての性格が強い。そのため、未来の予測に用いるには情報が古すぎたり、断片的であったり、信頼性を欠いていることがある。時にはデータそのものを疑うことが必要である。筆者は、ある会社の社員意識調査について回答の質を統計的に検証したことがある。同調査の結果は経営会議にも取り上げられる重要なものだったが、質問間に極めて強い相関が多々みられ、30問に上る質問が意味的には二つにまで集約された。ヒアリングで実態を確認したところ、一つの質問に二つ以上の問い掛けが含まれていたり、内容が過度に似通っているなどしたことから、ほとんど「感覚」で回答しているとの証言が相次いだ。このようなデータを基に、経営層は毎年の施策を論じていたのである。
[2]Enterprise:組織横断的取り組み
これが実現できれば人的データの活用可能性が拡張する。現状は所管部署ごとに管理されているデータを連結し、組織の全体管理の視点からデータを扱うことを理想とする。例えば、採用は人事部の大きな関心事であるが、採用時の評価を営業部の成績データと連結することで、営業として成功する採用・失敗する採用の確率予測モデルを作成できる。あるAIシステムは、入社後のパフォーマンスを70%以上の確率で予測できるとうたっている。
このように成果の大きい部門横断的なデータ分析だが、縦割り組織の隙間に隠れた厄介な現実に光を当てることもある。営業員向け研修プログラムを検討したいとの依頼を受け、営業部のハイパフォーマーに固有の知識、スキル、コンピテンシーを分析した時のことである。分析から推定されたのは「忍耐力」と「行動力」であり、「企画力」や「商品知識」など、人事部が研修に力を入れていた多くの要素は、パフォーマンスに有意な影響を与えていなかった[図表2]。担当者は針のむしろである。
[図表2]ハイパフォーマーの決定木分析
[注]値は偏差値を表す。なお、一部単純化している
しかし、コロナ禍が長期化する中で、分析が示唆するような猪突猛進の飛び込みスタイルでは成績の維持がおぼつかないことは容易に想像できる。過去の成功体験を否定されることに営業部は反発を覚えるかもしれないが、先細りが予測される営業スタイルを放置しておくことに合理性はない。これまで教育と現場のギャップは暗黙的に了解され、ある種の不可侵領域となっていたが、分析によって可視化されたことで変革の圧力が生じ、人事部と営業部が歩み寄る契機となったのである。
[3]Analysts:アナリスト人材の獲得・育成
これは非常に難しい課題だ。組織的なデータ活用には分析の内製化が求められる。特に、データ分析の専門部署を設けることが有効と指摘されている。しかし、専門家が不足していることは周知の事実である。書店に足を運べばデータ分析の解説書は棚にあふれているが、それがかえって需要と供給のアンバランスを象徴している。解決には相当の時間を要する。
この解決をいったんIT部門に委ね、人事部が対策すべきことに焦点を絞ると、「現場管理者」のデータ分析力の強化がカギを握る。人材や価値観の多様化が進むにつれて「人」の問題は細分化かつ複雑化し、包括的に全社レベルで対応することは、時間的にも費用的にも最善解とはいえなくなってきた。改善の舞台は本社から個別の職場に移り、主役は現場管理職である。
データによって今日の人的課題にアプローチするには、管理職のデータ分析力の向上に加え、職場の人的データを収集するシステムが必要である。例えば、1週間や1カ月といった高頻度で実施する少ない設問で構成された調査にパルスサーベイがある。高頻度で行うため、社員の最新状況がつぶさに現れる。反面、実施頻度が高いために、人事部には本格的な調査レポートを発行する暇はない。多くのパルスサーベイシステムには簡易的な分析機能が実装されており、現場管理者はそれを用いて自らデータを分析し、職場の改善につなげていく。人事部は分析マニュアルの作成や研修の提供によって、それを支援することになる。
データドリブンHRMの中小企業への展開と可能性
経営資源の豊かな大企業は、相対的にDELTAを満足させる可能性が高く、おのずとデータ活用の議論も大企業向けに偏る。しかし、分析によって客観的に問題を明らかにし、必要な箇所に資源を集中するアプローチは、経営資源が乏しい中小企業にも適している。分析と聞くと及び腰になる中小企業は多いが、実は、中小企業にこそデータ活用をお薦めしたい理由は3点ある。
(1)分析者と現場の距離の近さ
一つ目は、企業規模が小さいことによる分析者と現場の距離の近さである。分析対象への理解の深さは洞察の質を高める。現場を知らない分析の専門家が大量のデータをこねくり回して発見したものを、現場との距離が近い分析者であれば、Excelのクロス集計だけで直感できることも多い。
(2)組織横断的取り組みの容易さ
二つ目は、組織横断的取り組みの容易さである。例えば、人事の専任者がおらず、他の部門と兼務していることは珍しくない。専門性が深まらない、業務の属人化が進むといった難点はあるものの、データ活用の観点では、容易に組織横断的な取り組みが進められるという利点もある。
(3)分析から改善行動に展開するスピード
三つ目は、分析から改善行動に展開するスピードである。組織が求める分析とは、事業を変化・成長させるものであり、変革をもたらさない分析に時間を費やすことは許されない。ところが、現実には分析結果が現場に変化をもたらすには時間がかかるし、場合によっては報告して終わりということも少なくない。集計母数が多く、誤った判断は影響が大きいため間違いが許されない大企業では致し方ない面もある。しかし、中小企業の強みはスピード感である。多少の朝令暮改は恐れずに試行錯誤を進めていきたい。
広島県のある老舗旅館では、毎日顧客アンケートを回収し、それを役員が直接確認している。アンケートに記載された社員へのクレームや感謝の言葉はすべてカウントされ、ルールに従って公正に人事考課へ反映される。良い点も悪い点も自分に返ってくるため、社員は適度な緊張感を持って業務に携わり、自発的な改善も盛んである。この結果、同社の顧客満足度は常に地域最上位クラスを維持しており、注目すべきことに社員定着率は他社と比較して圧倒的に高い。
ハックマンとオルダムは、職務特性モデル(MPS:Motivating Potential Score)により、仕事の魅力度を次の式で定義した。
同社では、サービスのデータと人事のデータを統合しており、役員が中心になって課題解決に向けた改善のPDCAを高頻度に繰り返す仕組みが機能している。つまり、組織による公正なフィードバックが確立されている。顧客の評価は不満も含めて関係する社員に伝わるため、職務の有意義性も高まりやすい。そして自発的な改善があるのは、自己裁量権が許されているからである。こうしたことが仕事の魅力度を高め、離職の予防につながっていると考えられる。
また、同社が行っている分析手法が「足し算」「引き算」「平均値の計算」だけである点も強調したい。担当役員は社員全員の顔、名前、性格を熟知しており、分析はアンケートの結果にそれらの情報も加味して行う。分析の確かさは成果が証明している。中小企業には多変量解析や機械学習を駆使できる人材は乏しい。しかし、大事なことは分析方法そのものではなく、データから何を読み解くかである。
有効性の高さにもかかわらず、中小企業におけるデータドリブンHRMの広がりは、今一つだ。このことは、企業そのものにとどまらず、地域経済の損失でもある。ある自治体の商工業振興ビジョン策定に携わっていたとき、担当者が「若者が街を出て行くのは、若者に魅力的な働く場がないからです。だから、誘致や起業に賭けなければいけない」と嘆いていた。しかし、企業誘致は厳しい条件交渉を強いられるし、起業は雇用を上積みするまでに時間がかかる。魅力的な働き場がないのではなく、地元企業に「魅力を磨き上げるノウハウ」がないことが問題である。
長く地域に根を張ってきた中小企業は、誘致企業と比較して地域外への移転や再編のリスクが小さい。また、産声を上げたばかりの企業と比べれば、成長に活かせる経営基盤や社会資本も勝る。これらの会社が自社で働くことの魅力を磨き上げ、地元の優秀な働き手を集めることができれば、地域経済に大きなインパクトを与えるに違いない。「年輪経営」で有名な伊那食品工業も長野県の中小企業である。同社は寒天のトップメーカーだが、それとて一般的に若者が憧れる業種とは言い難い。しかし、同社は多くの働き手を惹きつけ、トヨタ自動車がその経営を参考にするまでになっている。社員の幸せを掲げる同社は、間違いなく若者にとっても魅力的な企業であり、地域経済の宝である。
コロナ禍で、多くの企業がいや応なく経営の変化を迫られている。冒頭にも述べたが、変化を推進するのは人であり、経営の成否は人が握る。中小企業には人がいない、魅力がないと嘆くのでなく、あるいは、中小企業はこれでよいのだと過度な自負におぼれることなく、データによって現状を可視化し、あるべき組織の在り方に思いを巡らしてみてはいかがだろうか。