マネジメントとリーダーシップ:ハラスメント発生メカニズムを踏まえた新しい組織づくり
佐々木 勝 ささき まさる 1998年ジョージタウン大学 経済学研究科修了。世界銀行コンサルタント等を経て、2007年より現職。労働経済学や失業問題に関する研究を専門とする。第8回労働関係論文優秀賞(ハローワークの窓口紹介業務とマッチングの効率性『日本労働研究雑誌』2007年10月号掲載)受賞。川口大司 編『日本の労働市場――経済学者の視点』第13章(共著)、日本経済新聞社 編『日本再生 改革の論点』、荒木尚志、大内伸哉、大竹文雄、神林 龍 編『雇用社会の法と経済』第4章(共著)など執筆多数。 |
リモート環境でもハラスメントは発生している
2020年から猛威を振るう新型コロナウイルスの感染は2021年になっても収束の目途がまだつかないようだ。このような状況が続く中、われわれはこの「新常態」(ニューノーマル)に適用していくように行動変容しなければならない。働き方もそうだ。これまで毎朝電車に揺られて勤務先に赴き、そこで業務をこなす働き方から、自宅でリモートによる働き方に変わってきた。これまで気づかなかったリモートによる働き方のメリットを肌で感じたのか、今後も積極的にリモートワークに舵を切る企業は多い。
リモートによる新しい職場環境では、上司、同僚、部下と直に接することがないので、パワハラやセクハラなどの職場ハラスメントが減るのではないかと期待してしまう。しかし、リモートワークならではのハラスメントは発生している。「自宅にいるのだから残業代は要らないだろう」と言われたり、通勤分の時間が余るからといって通常業務以上の業務を命令されたり、リモート会議中に性的な発言を執拗に繰り返されたりする事例が聞かれる。これらはすべて職場におけるハラスメントに該当する。対面式な業務ではなくなったからといって、ハラスメントが減少するわけではないので、今後もしっかりとしたハラスメント対策が望まれる。
経済学的に見たハラスメント発生メカニズム
2020年6月に施行された通称パワハラ防止法により、事業主はパワハラに対して雇用管理上の観点から防止措置を執らなければいけないことになった(中小企業の事業主に対しては2022年3月31日まで努力義務)。また、同法に基づき厚生労働省が策定した指針では、パワハラに該当する6類型を定義し、事業主が行うべき対応・措置を明らかにした(セクハラ防止措置は2007年に義務化済み)。
そもそも、なぜ職場でハラスメントが発生するのであろうか。そして事業主側として未然に防ぐことができる人事労務管理体制はどうあるべきであろうか。このコラムでは経済学の知見からハラスメントの発生メカニズムと対応策を解説したい。
経済学の基本的な考え方として、個人は自分の「効用」(幸福度)を最大にするように行動・選択をする「利己的」な人間であると想定する。よって、ハラスメント加害者がハラスメントをするのは、ただ単に自らの快楽のため、幸福追求のためだけが目的と考えられる。当の加害者本人は満足しているだろうが、ハラスメントの被害者は精神的(ときには肉体的)な痛みを受けることになるし、職場全体が殺伐とした雰囲気になり、組織の生産性が低下することになる。経済学ではこれを「負の外部性」という。ハラスメント加害者本人は自分にとって最適な行動・選択をしているが、その行動・選択は本人が気づかないところでほかの人々や組織全体にマイナスな影響をもたらしているのである。
"今日のランチ"のように、自分が好きなものを選択したからといって誰かを傷つけるわけではないのなら、各自が好きなように、そして幸福度を最大にするように選択や行動をすればよい。しかし、自分の行動・選択が他の人に苦痛を与えるのなら、そして組織の生産性に大きくマイナスの影響をもたらすのなら、積極的に是正するべきであろう。ハラスメントの加害者に対して、強制的にハラスメントをやめさせるよう適切な処置が必要だ。
ハラスメントが発生しにくい職場をつくるには
しかし、ここまで想定したように、個人はそこまで自分のことだけしか考えていない「利己的な人間」だろうか。実際には、職場の上司、同僚、部下のことを全く考えずに行動・選択する人はあまりいない。
通常、人々は自分の幸福度は相手の幸福度によって規定されるような「利他的」な選好を持っていると考えられる。そして、家族のような信頼関係が強い相手ほど、相手の幸福度が高ければ自分の幸福度は高くなる。職場の場合、比較的に信頼関係が強い相手は、例えば同じ郷里の人であったり、同じ趣味を持つ人であったり、同じ大学出身者であったりする。同じ職場に信頼関係の強い上司と部下を配置することで、上司は部下に対して利他的な行動をし、ハラスメントが発生しにくい職場環境が形成されると考えられる。
部下は、自分が思っていた以上に、上司が自分を信頼していることが分かれば、期待以上の仕事をする。すなわち、上司と部下は「互恵的な関係」となる。多くの経済実験において、上司が部下の賃金を増やすと、それを認識した部下は、上司が見ていなくても努力水準を引き上げていることが分かっている。賃金というギフトに対して、努力(生産性)で応えたと解釈できる。
職場全体の生産性を上げるためには、働く人々が働き甲斐を感じ、充実感を得られるようにしなければいけない。そのような職場で達成できる仕事の質は高いといえる。小野論文(2019)※1は、質の高い仕事ができる条件として、①信頼と性善説(過剰に管理しない)、②権限委譲と自律性(部下を信用し仕事を任せる)、③心理的安全性(風通しの良い職場環境にする)、④自主性(働き方を自分でコントロールできる)、⑤関係の質(職場内の人間関係を良好にする)、⑥成果に応じた報酬(正当に評価する)の六つを挙げている。⑤の人間関係の質を高めることはもちろん、③の心理的安定性を確保するためにも、ハラスメントのない職場づくりが肝要である。ハラスメント上司の下では、自由闊達に意見を述べることが憚られ、上司の指示に対して受動的に従ってしまう。そんな職場からブレークスルーになるようなアイデアが浮かんでくるはずがない。
職場を管理する立場にあるリーダーは、上記六つの条件を満たすような職場づくりに取り組むのが仕事である。権力をかざして部下をコントロールするのではなく、部下の内発的モチベーションを高めるような仕組みを考えるべきだ。有名な経営学者であるドラッカー(2000)※2は「リーダーシップは仕事」と述べ、リーダーシップは生まれつき備わった才能でも性格でもなく、仕事の一つと解釈した。仕事であるから、その仕事を確実に遂行するための必要なスキルを習得すればよい。
リーダーはハラスメントのない職場、そして働き甲斐のある職場をリードするのが仕事であり、そのための適切なマネジメント・スキルを習得する必要がある。ハラスメント研修と聞くと、「自分はハラスメントをしていないので関係ない」と考える管理職の人がいるかもしれない。しかし、ハラスメント研修は自分が管理する組織全体の仕事の質を高めるための研修である。そのことを肝に銘じて職場のリーダーである管理職の職員から研修を率先して受けてほしい。
[参考文献]
※1 小野 浩(2019)「仕事の質を高める基礎条件―事例研究からの示唆」『日本労働研究雑誌』No.706: pp.28-41
※2 ドラッカー、ピーターF.(2000)『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか』ダイヤモンド社