2022年01月14日掲載

Point of view - 第196回 鈴木竜太 ―これからのワークとライフの関係

これからのワークとライフの関係

鈴木竜太 すずき りゅうた
神戸大学大学院 経営学研究科 教授

1999年神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。1997年静岡県立大学経営情報学部助手、2001年同専任講師。2005年神戸大学大学院経営学研究科助教授、2013年同教授。主な研究分野は組織行動論、経営組織論、キャリア論。主な著書として『関わりあう職場のマネジメント』(2013年、有斐閣)、『経営組織論』(2018年、東洋経済新報社)、『組織行動――組織の中の人間行動を探る』(共著、2019年、有斐閣)がある。

 先日、日本生命保険相互会社が実施した調査で、職場の人たちとお酒を飲みながら語り合い、親交を深めること、いわゆる"飲みニケーション"の必要性の認識が、コロナ禍を通じて大きく低下したことが報じられた。具体的には、「必要」「どちらかといえば必要」と回答した割合が全体の38.2%と、前回(2020年)に比べて全体で16.1ポイントも減少している。これは若い人だけに限ったことではなく、50代や60代においても同様であり、その減少幅はむしろ大きくなっている。また、「必要」と答えた人の理由の多くは、「本音を聞ける」や「情報収集を行える」、また若い世代においては「仕事の悩みを相談できる」ということであった。
 職場の飲みニケーションの不要論は以前からあったが、コロナ禍で改めてその傾向が強くなったといえるだろう。しかし、この点について誤解してはいけないのは、本音を話す場や情報収集、仕事の悩みを相談する必要がないというわけではないことである。飲みニケーションが不要な理由は、気を遣うことや仕事の延長だと感じること、あるいはそもそもお酒が好きではないといったことが挙げられている。このことを踏まえれば、われわれは単純に、飲みニケーションはもう不要だという結論づけるべきでないし、一方でやはり飲みニケーションは必要だという結論にもいくべきではないだろう。コロナ禍はわれわれの働き方を大きく変えている。そのことも含め、今一度、飲みニケーションのような、仕事なのか仕事外なのか、ワークなのかライフなのか判然としない場や時間について企業や働く人々は考える必要がある。

ワークとライフの境界の曖昧化

 実は、「ワーク・ライフ・バランス」といわれ、ワークとライフにきっちり線引きがされることがいわれる中、われわれの社会はどんどんワークとライフの境界線が曖昧(あいまい)になっている。顕著な例は、コロナ禍でリモートワークが進むことで起こっている、職住の接近である。小さな子どもがいる家庭では、家事や育児を挟みながらパソコンに向かって仕事をするといったことも日常的になっている。WEB会議で小さな赤ちゃんの泣き声が聞こえることも少なくない。
 また、やりがいや働きがいといったものは、自分のライフにおける満足とワークにおける満足を重ねるような試みであるともいえる。何より、仕事でメールやチャットツールなどを使用していれば、休みであろうが何かしらの仕事の情報が入ってきてしまう。これはワークから見ても同様である。ワークとライフが曖昧になってしまっている以上、ライフの状況もワークに大きく影響を与える。介護や育児などが大変であれば、そのことは労働時間を含め、必ず仕事に影響を与える。むしろそのことを隠して変わらず仕事をするよりは、それらを共有して職場で互いに理解しながら仕事を進めるほうが個人にとっても職場にとっても良いことが多いはずである。
 組織の中で人々は相互依存的に働いている。自分の仕事は他者の仕事に影響を与えるし、他者の仕事は自分の仕事に影響を与える。また、仕事は常に変化するもので、事前の計画・設計どおりに動くことばかりではない。むしろ状況の変化を織り込みながら柔軟に仕事を進めていくことが肝要になり、そこでは相互の仕事の理解が重要になる。そのためにも、同僚にどのような能力があるのか、どのような状況であるのか、どのような悩みがあるのかといったワークとライフのグレーゾーンに当たるような情報が重要になる。

これからのワークとライフの考え方

 同じ場に集まるという機会は、仕事だけでのつながりでは得られないこれらの情報を得る上でも大きく寄与していた。また、ちょっと時間があるときに仕事の本音の部分や悩みの相談をする機会を得ることにもつながっていた。そのようなことは必要ないと考える人であっても、むしろそういう人から話を聞きたい、そういう人に相談をしたい、その人の仕事の情報が欲しいという人はいる。それは会って話すことから得られるばかりでなく、その人の仕事ぶりや様子などから察することも可能であり、やはり一緒に働くという意味がそこにある。コロナ禍において仕事の場を共有できなくなったことは、一面ではワークとライフの間を接続する機能を失っていると見ることもできるのである。
 仕事の場面に生活を持ち込まず、仕事を離れた日々の生活に仕事を持ち込みたくない、ワークとライフをきっちり分けたいという希望を持つ人はそれなりにいるだろう。しかし、既にわれわれの社会では、ワークとライフをきっちり分けて活動することがかなり難しくなっていることを理解しておく必要はある。むしろ健康や社会全体の幸福といった言葉が経営の中にも入ってきはじめていることを考えれば、ワークとライフがより渾然(こんぜん)一体となることが予想される。今後、いかにワークとライフのバランスを保てばよいのかという問いから、ワークとライフを共に豊かにするにはどうすればよいかという問いを、働く側もマネジメント側も考えていくことになるだろう。
 WEB会議中に、子どもが入ってきてしまったり、背景に家族や趣味のものが飾ってあったりするのを見ると、ぼんやりとその人の人となりが分かり、微笑ましく思うことが何度かあった。また、私自身の家族も私のオンライン講義の様子を耳で聞き、「何を教えているの?」と関心を持ってもらった。ワークとライフをきっちり分けるという考え方から、もう少しルーズにワークとライフの間を考えてもよいのではと思う。