"From HR(Human Resource)to HR(Human Rights)"
氏家啓一 うじいえ けいいち 大手電機メーカーのCSR部門責任者を務めた後、2017年より現職。ビジネスと人権に関する行動計画に係る作業部会構成員、筑波大学非常勤講師。 ※GCNJは、国連グローバル・コンパクト(UNGC)のおよそ70あるローカルネットワークの一つであり、2003年12月に発足。UNGCは、アナン国連事務総長(当時)が1999年ダボス会議で提唱し、2000年に設立した。 |
サプライチェーンの人権・労働問題に直面する企業の責任
「企業の成長のカギとなるのは、社員」であることは言うまでもない。人事部門の重要な役割は、人的資源の採用と配置に加え、その人財育成と社員の働きがい(ディーセント・ワーク)を提供することであり、中長期的な人財戦略を担っている。
さて、皆さんの会社の多くはSDGs(持続可能な開発目標)に取り組まれ、SDGsのゴール8(働きがいも経済成長も)をご存じのことと思う。ところで、それは"誰"の働きがいを対象としているのであろうか。
世界では、アパレル小売企業が搾取工場を使っていることが指摘され、一部のハイテク企業は製品の材料を採掘するために児童労働を利用しているとして非難されている。また、2013年4月24日、バングラデシュ・ダッカの商業ビル(ラナプラザ)が崩落し、縫製工場の工員1100人以上が死亡した。直接の原因は建物のずさんな安全管理であり、生産量を上げることを最優先して、違法な増築を繰り返していた。大手アパレルメーカーのサプライチェーンで起きた事故である。廉価な衣料製品をこの工場から入手していたメーカーが、「私たちは違法な増築を指示していない。私たちには関係ない」と言えるだろうか。
私たちは、日常生活において人権を「思いやり」と考えることがある。誰かに「与えるもの」という見方だ。「ビジネスと人権」の文脈では、国際的に定められた「基本的人権」を扱っている。それは「人が生まれながらにして持っているもの」であり、「誰かに与えたり、誰かから与えられたり」するものではない。この考え方の切り替えは示唆的である。個人が日常的に「思いやれる」範囲と、企業がその責任を期待される範囲は、同じではない。知らずして、もしくは見ようとせず社会に大きな影響を与えてしまう可能性がある。
企業の中と外のつながりへ広げる「ディーセント・ワーク」
2020年10月、日本政府は「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020-2025)」を策定し、公表した。この計画には、「今後行っていく具体的な措置」として85の施策が掲げられている。例えば、「労働者のディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の促進」について、ハラスメント対策、ジェンダー平等、ワーク・ライフ・バランスの確保など、働きがい(ディーセント・ワーク)の促進を、内閣府と厚生労働省が進めていく施策がある。そして、この計画にはもう1カ所、同じ言葉がでてくるところがある。「(国内外の)サプライチェーンを通じたディーセント・ワークの実現」である(下線は筆者)。これは、サプライチェーン上の労働者についても、同様に"人間らしい仕事"がなされるよう配慮した取り組みをするということである。この点が、行動計画の新しいところといえる。
「ディーセント・ワーク」という言葉は、1999年、ILO報告で初めて使用された。その定義では、(1)労働者の権利が守られ、(2)十分な収入を生み、(3)健康や環境が保護され、(4)紛争など労働における対話ができることの四つの要素を満たす「仕事」のことを指す。日本では、厚生労働省が2012年に公表した報告書※において、働きがいのある仕事(ディーセント・ワーク)の意味合いに、「ワーク・ライフ・バランス」と「ジェンダー平等」が加えられている。
※「ディ-セントワークと企業経営に関する調査研究事業報告書」(2012年)
経団連の取り組み
行動計画の公表から、経団連は、2021年12月に「企業行動憲章 実行の手引き」を改訂(第8版)し、「人権を尊重する企業の責任」を明記した。具体的には、人権方針を社内外に表明し、強制労働や児童労働、ハラスメントといった人権侵害のリスクを特定して、予防策や軽減策を取る。社内だけでなくサプライチェーンも対象として、取引先で侵害が発覚した場合には改善を要請し、その結果も追跡する。リスクに関する情報開示も行う。そして、人権リスクを管理するPDCAプロセスを推進することが求められる。
また、経団連の調査※から、このような実践を主幹担当する部門は、サステナビリティ部門が4割、人事総務部門が3割、その他、法務・コンプライアンス部や、調達・原料部と連携するという横断的な組織体制が見られている。
※「第2回 企業行動憲章に関するアンケート調査」(2020年)
「社会良し」に向けた企業経営の視座
まとめとして、「三方良し」の応用問題を考える。「売り手良し、買い手良し、世間良し」は、有名である。自分の利益だけをむさぼらず、売り先を大切にする利他の精神を身に付け、社会からの信用も大切にしなければならないとする、江戸時代からの近江商人の考えだ。この共生の思想は、持続的成長の経営理念として多くの日本企業に取り入られてきた。
しかし、これを狭矮に解釈してはならない。商売の当事者だけが満足する閉鎖的状態の確保が、果たして社会を良くできるのか。三方のうち、"世間"を具体的に"社会課題"としてみる。"買い手"は、その利害関係者(マルチステークホルダー)になる。そこで"企業"はどのような関わりを持つべきであろうか。こう考えると、「社会良し」にするための課題が一気に広がる。地球温暖化、貧困格差、ジェンダー、人権侵害もろもろについて、企業は国際規範との整合や社会との対話に基づいた行動をすることによって、イノベーションの実現と社会的認可という信用を得ることができる。
「人権デュー・ディリジェンス」を定義した国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」は、人権尊重の責任を果たすコミットメント表明とともに、自ら引き起こし、または助長する負の影響からの是正プロセスの設置を企業に求めている。まさに、企業に対し人財資源の戦略(from Human Resource)に加えて、社会に対する人権尊重の責任(to Human Rights)という重要な経営の視座を与えているのである。