浅野浩美 あさの ひろみ
事業創造大学院大学
事業創造研究科教授
1.はじめに
「人は価値を創出するための内在的な力を有する唯一の要素である。」
世界で最もよく使われている人的資源管理のテキストの一つに引用されている文言である(John Bratton and Jeffrey Gold、2007年。原文は、Fitz-enz, J.、2000年)。
変化の時代を迎え、新たな価値を生み出す「主体」である人の重要性はさらに高まり、このところ、企業の人的資本への投資がクローズアップされている。
2.「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」
そのような中、去る6月29日に、厚生労働省から「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」が公表された。背景には、デジタルトランスフォーメーション(DX)の加速化や職業人生の長期化がある。ガイドラインは、これを踏まえ、労働政策審議会人材開発分科会において公労使が議論を重ねた末に策定されたものである。
ガイドラインと言っても、大臣告示などではなく、人への投資の抜本的強化に向け、「基本的考え方」「労使が取り組むべき事項」「公的な支援策」等を体系的に示したものである。ガイドラインでは、労働者の「自律的・主体的かつ継続的な学び・学び直し」の重要性と「労使の協働」の必要性が強調されている。本文のほか、省庁横断的な公的支援策(支援内容、申請手続き、照会先、リンク先入り)や企業事例を掲載した別冊がついており、実用的でもある。
議論を重ねただけあって、「個々の労働者の自律性・主体性を強調することは、学び・学び直しを労働者任せにすることではない(p.4)」、「経営者と現場が近い中小企業の強みを活かし、経営者が直接労働者に学び・学び直しの重要性を伝える(p.9)」など、随所に労使の取り組みに向けた思いがしのばれる記述がみられる。
また、経営者はもちろん、実施に当たって鍵となる現場のリーダー、さらに、サポート役としてキャリアコンサルタントを登場させ、それぞれ期待される役割を示すなど、実践を強く意識したものとなっている。
3.学び・学び直しにおける重要ポイント
ガイドラインの最初のパートである「Ⅰ 基本的考え方」では、学びや学び直しの必要性が増す中、OJTの重要性を認めつつ、今後、OFF-JTや自己啓発支援を大幅に充実・強化する必要性を指摘する。また、労使が学び・学び直し支援に「協働」して取り組むことが必要で、特に、以下の点が重要だとする
①経営者が、学び・学び直しに対する基本認識を労働者に共有すること
②現場のリーダーが、個々の労働者と学び・学び直しの方向性・目標を擦り合わせ、キャリア形成を支援することや、企業が現場のリーダーを支援すること
③キャリアコンサルタントが、労働者に助言・支援したり、現場のリーダーを支援したりすること
④労働者が、相互に学び合うこと
4.学び・学び直しに向けた取り組み
[1]学び・学び直しを進めるステップと各種支援策
[図表]は、ガイドラインの「Ⅱ 労使が取り組むべき事項」「Ⅲ 公的な支援策」の各項目、主な支援策をまとめたものである。
学び・学び直しを進めるためには、まず、その重要性を伝えることが必要だ。経営者自らが、経営戦略・ビジョンと人材開発の方向性の提示、共有を行い、これを伝える。自社が学び・学び直しを重視し、支援していることが十分浸透するよう、粘り強く発信する。経営者に加え、現場のリーダーからも発信する。
これによって、学び・学び直しの重要性は分かっても、何を学べばよいかを分からなくては始まらない。一人ひとりの労働者の役割の明確化と合わせ、職務に必要な能力・スキル等を明らかにすることが必要だ。公的支援策として示されている職業能力評価基準などが役に立つだろう。その上で、学ぶ意欲を高めるために、キャリアコンサルティングやジョブ・カードも活用しつつ、これまでのキャリアの棚卸しをする。キャリア形成サポートセンター事業なども用意されている。キャリアの棚卸しの後は、企業が求める学び・学び直しの方向性・目標と、労働者が求める学び・学び直しの方向性・目標との擦り合わせを行う。両者間で十分なコミュニケーションを取ることが重要だ。
学び・学び直しの教育訓練プログラムや教育訓練機会の確保に当たっては、学びやすいよう、オンラインなども含め、多様な形態で行うことが必要である。大学や教育訓練機関など外部機関の活用も検討することが望ましい。在職者訓練、生産性向上支援訓練などの活用も推奨される取り組み例として示されている。教育訓練給付講座検索システムや、大学などでの社会人向け講座を検索できる「マナパス」などもある。また、自社で得ることのできない能力・スキルや経験の獲得・実践の場として副業や出向などといった選択肢も示されている。企業が労働者同士の学び合いの場を整備したり、労働者が自主的に勉強会等の学びの場を設けられるよう配慮したりすることなども求められる。
[図表]労使が取り組むべき事項に対応した公的支援策
労使が取り組むべき事項 | 公的な支援策 |
1.経営者による経営戦略・ビジョンと人材開発の方向性の提示、共有 |
|
2.役割の明確化と合わせた職務に必要な能力・スキル等の明確化 |
職業能力評価基準、職業情報提供サイト、DXリテラシー標準など |
3.学ぶ意欲向上に向けた節目ごとのキャリアの棚卸し |
キャリア形成サポートセンター事業、ジョブ・カードなど |
4.学び・学び直しの方向性・目標の擦り合わせ、共有 |
職業能力評価基準、ジョブ・カード |
5.学び・学び直しの教育訓練プログラムや教育訓練機会の確保 |
在職者訓練、生産性向上支援訓練、リスキル講座、社会人等の学び直し情報発信ポータルサイト「マナパス」など |
6.労働者が相互に学び合う環境の整備 |
|
7.学び・学び直しのための時間の確保 |
人材開発支援助成金 |
8.学び・学び直しのための費用の支援 |
人材開発支援助成金、教育訓練給付制度 |
9.学びが継続できるような伴走支援 |
キャリア形成サポートセンター事業 |
10.身に付けた能力・スキルを発揮することができる実践の場の提供 |
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11.身に付けた能力・スキルについての適切な評価 |
職業能力評価基準、社内検定認定制度 |
12.学び・学び直しの場面における、現場のリーダーの役割と取り組み |
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13.現場のリーダーのマネジメント能力の向上・企業による支援 |
中小企業大学校等における研修、人材育成オンライン相談窓口 |
資料出所:厚生労働省「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」(2022年)を基に筆者作成。
[2]学びを継続するための労働者への支援
一方、労働者の自己啓発に当たっては、幾つもの問題点が指摘されている。「令和3年 能力開発基本調査」でも、自己啓発を行う上での問題点(複数回答)として「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」「費用がかかりすぎる」などが上位を占める。学び・学び直しのための時間の確保や費用の支援が求められる。さらに、これだけ支援をしても、仕事もある中で1人で学び続けられる者は多くない。キャリアコンサルタントをはじめとした支援人材が、学びが継続できるよう伴走支援を行う。
過去にも、資格ブームや自己啓発ブームがあったが、定着しなかった。自己啓発本はいつも売れているが、学ぶ人がどんどん増えているという感じはしない。学んでも評価されなかったり、学んだことを活かす機会がなかったりしたからである。身に付けた能力・スキルを発揮できる場の提供、適切な評価が必要不可欠である。
[3]現場のリーダーに対する支援
さらに、管理職など現場のリーダーの役割も重要だ。現場のリーダーには、個々の労働者と学び・学び直しの方向性・目標を擦り合わせ、労働者のキャリア形成を支援することが求められる。企業は、現場のリーダーがこの役割を果たせるよう、マネジメント能力の向上を図り、支援することが必要である。
これまでの人的資源管理分野の研究で、人事施策の展開に当たって、企業レベルの取り組みだけでは効果は限定的で、現場のリーダーのマネジメントが重要であることは実証されている(武石、2014年など)。しかし、現場のリーダーには、自らの業務があり、職責がある。また、キャリア開発の専門家ではない。本ガイドラインには、推奨される取り組み例として、現場のリーダーに求められる能力・スキル等を明確化し、その習得を支援する旨記載されているが、果たしてどうすればよいだろうか。
次回は、職場における学び・学び直しを進める上で鍵となる、現場のリーダーたちに必要な能力・スキルなどについて考えたい。
【引用文献】
・Fitz-enz, J. (2000). The ROI of human capital: Measuring the economic value of employee performance. AMACOM American Management Association.
・John Bratton and Jeffrey Gold(2007),Human Resource Management Theory and Practice 4th Edition. Palgrave Macmillan.(J.ブラットン & J.ゴールド 著、上林憲雄・原口恭彦・三崎秀央・森田雅也 翻訳・監訳『人的資源管理―理論と実践―第3版』文眞堂、2009)
・厚生労働省(2022)「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」
【参考文献】
・武石恵美子(2014)「女性の昇進意欲を高める職場の要因」『日本労働研究雑誌』No.648, 33-47.
浅野浩美 あさの ひろみ 事業創造大学院大学 事業創造研究科教授 厚生労働省で、人材育成、キャリアコンサルティング、就職支援、女性活躍支援等の政策の企画立案、実施に当たる。この間、職業能力開発局キャリア形成支援室長としてキャリアコンサルティング施策を拡充・前進させたほか、職業安定局総務課首席職業指導官としてハローワークの職業相談・職業紹介業務を統括、また、栃木労働局長として働き方改革を推進した。 社会保険労務士、国家資格キャリアコンサルタント、1級キャリアコンサルティング技能士、産業カウンセラー。日本キャリアデザイン学会理事、人材育成学会理事、経営情報学会理事、国際戦略経営研究学会理事、NPO法人日本人材マネジメント協会執行役員など。 筑波大学大学院ビジネス科学研究科博士後期課程修了。修士(経営学)、博士(システムズ・マネジメント)。法政大学キャリアデザイン学研究科非常勤講師、産業技術大学院大学産業技術研究科非常勤講師、成蹊大学非常勤講師など。 専門は、人的資源管理論、キャリア論 |
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