2022年09月09日掲載

Point of view - 第212回 髙木一史 ―若手人事が考える、変わるべきこと、変わらないこと

髙木一史 たかぎ かずし
サイボウズ株式会社 人事本部 兼 チームワーク総研所属

東京大学教育学部卒業後、2016年トヨタ自動車株式会社に新卒入社。人事部にて労務(国内給与)、全社コミュニケーション促進施策の企画・運用を経験後、2019年サイボウズ株式会社に入社。主に人事制度、研修の企画・運用を担当し、そこで得た知見をチームワーク総研で発信している。著書に『拝啓 人事部長殿』(サイボウズ式ブックス)がある

 人事担当者として働いていると、日々、さまざまな流行語に触れる機会がある。

 「人的資本経営」「ジョブ型」「ウェルビーング」「エンゲージメント」「CHRO」「HRBP」「心理的安全性」「パーパス」「戦略人事」……。

 こうした無数の"バズワード"は、コンサル会社が自社の提案を売り込むために既存概念の看板を塗り替えただけ、というものもあれば、特定の会社が自社の課題と向き合い、社内の共通認識を得るために作った言葉がベストプラクティスとして流通したものなど、玉石混交であるように思う。なんにせよ、一つ言えることは、人事は常に変革を求められている、ということだ。

 目まぐるしく「変わること」を求められるいまの時代に、私たち企業の人事担当者は、一体何を変えるべきで、何を変えてはいけないのか。
 若手人事の問題意識を起点とした拙著『拝啓 人事部長殿』の執筆に当たり、日本の人事制度の歴史や、13社の企業事例を学んで得た知見を踏まえ、上記の問いについて考えてみたい。

変わるべき理由①:個人(若手)の視点

 まずは若手人事(社会人歴6年)である私自身の目線から、日本企業(特に大企業)の人事制度や風土について「変わるべき」だと思う理由を書いてみたい。

 日本の大企業のしくみや風土に対して、特に若手社員はある種の「閉塞感」を感じているのではないか、と私は思っている。ここでの「閉塞感」とは、「1人の人間として重視されている感覚の薄さ」と、そうした状況を「1人では何も変えられないという無力感」である。そして、この「1人の人間として重視されている感覚の薄さ」を生み出しているのが、会社の人事制度であり、風土だと考えている。

 新卒一括採用で全く意図していなかった部署に配属され、入社後も定期人事異動で次々に仕事を変えられ、時には転勤という形で住む場所を変えられることさえある。働く時間もフルタイム+残業が当たり前。報酬/評価も職能給で職務とは関係なく年功的に上がっていくため、(査定による差はあるものの)全員が一律に成長・出世し続けることを求められる。健康を守るための施策も一律規制がほとんどで一人ひとりに合わせたケアは少ない。
 上司からOJTという形で育成してもらえるものの、研修は一律階層別のものが多く、自身の学びたいことを学ぶことは難しい。さらに定年まで勤めることが当然とされているため、途中退職は裏切りとみなされ、出戻りを禁止する企業もいまだに存在する。契約は依然として会社に生涯忠誠を尽くすことを前提とした無限定雇用(終身雇用)が主流で、他社とつながることのできる副業を暗に禁じている企業も少なくない。

 採用、契約、時間、場所、配置/異動、報酬/評価、健康(安全配慮)、育成、退職。あらゆる会社のしくみにおいて、一人ひとりの個性が重視されていない。加えて、「フルコミット(会社にすべてを捧げることが美徳とされる)」「ヒエラルキー(選択の余地がなく会社・上司の命令には絶対に逆らえない)」「クローズ(新卒時に正社員として入れなかった、あるいは、一度会社を出てしまった人は、二度と会社のメンバーシップの内側に入れなくなるため、純血の人たちだけで物事が決まっていく)」といった雰囲気(コミュニケーション/風土)もそこに重なってくる。

 これはインターネットの普及によって、オープンに情報が共有され、一人ひとりの個性が重視されることが当たり前、かつ、多様な距離感を自ら選択し続けるという経験を積んできたデジタルネイティブ世代の生育環境と真逆と言える。
 こうした状況が(特に若手社員の)「1人の人間として重視されている感覚の薄さ」につながっているのではないか。だからこそ、若い世代も含めて社員が閉塞感を感じず幸せに働ける組織をつくるには、いまの日本の会社のしくみを「変えるべき」なのではないか、と私は考えている。

 もちろん、こうしたイチ若手人事担当者の「お気持ち表明」だけで、会社のしくみを「変えるべき」だというのは、いささか説得力に欠ける。そこで次は別の角度から日本の会社のしくみを「変えるべき」だと思う理由を書いてみたい。

変えるべき理由②:会社の視点

 日本の会社のしくみは、すでに広く認知されているように、三つの大きな問題を内在している。

 一つ目は「経営の圧迫」。多くの日本企業が持つ「職能給」のしくみでは、(査定による差はあるものの)職務に関係なく年功によって定期的に昇給するため、会社がどんどん成長し、なおかつ若年層の比率が高いうちはいいが、会社の成長が鈍化し、働く人が高齢化してくると、人件費が実際の貢献に見合わないほど過剰に上昇してしまい経営が苦しくなる。

 二つ目は「企業封鎖性」。非正規問題と言い換えてもよいが、具体的には、日本企業は「性別(女性)」「年齢(高齢者)」という二つの点において、多くの人を会社のメンバーシップから排除し続けてきた。

 まずは「性別(女性)」。「フルコミット」「ヒエラルキー」な職場風土の中、会社へのコミットメントが質・量ともに無制限に求められれば、精神的な負担も大きくなり、そもそも家庭生活に割くだけの時間を確保できなくなる。また突発的な業務を断ることも難しく、突然、強制転勤で生活環境が変わる可能性もある。
 家庭生活を維持していくためには夫婦のどちらかが会社を辞める、もしくは非正規になるほかなく、「男性は仕事、女性は家事育児」という性的役割分担の意識もそこに加わった結果、女性が会社のメンバーとして入りづらい状況が生み出されてきた。

 次に「年齢(高齢者)」。日本企業の賃金テーブルは、職務に関係なく年齢に比例して高くなっていく傾向にあるため、年齢が上がれば上がるほど実際の職務価値より高い給与水準になり、転職も難しくなる。また、定期人事異動でさまざまな仕事を転々とすることが前提のため、特定の職務スキルを持つ年配者より、どこに配置されても新しい仕事を覚えられる若い人材の方が重宝される。さらに企業内教育訓練が基本のため、長く働けば働くほど、スキルも企業特殊性の高いものになる。
 よって、新卒で若くして入社した純血の人だけが優遇され、よそ者は入りにくいという「クローズ」な風土が生まれる。

 三つ目は「ワーク・ライフ・バランスの欠如」。そもそも契約で職務、時間、場所が限定されていない状態で、常に全力のコミットが求められ、会社や上司からの言うことには逆らえない。加えて社員が少数精鋭化されているとなれば、人が足りない中で大量の仕事を抱え、重責を担う正社員がストレスで身をすり減らしていくことは想像に難くない。会社の外側に弾かれてしまう人が多数いる一方、会社の内側にいる人も苦しんでいる、というわけだ。

変えられない理由①:会社の視点

 もちろん、日本企業もこうした諸問題に対し、指をくわえて黙っていたわけではない。歴史を振り返ってみれば、日本企業は幾度となく「変革」を求められてきた。

 例えば1960年代までは、政府・労働者・企業の三者とも、日本の雇用慣行に否定的なスタンスを取っていた。特に経営側は、同一労働同一賃金に基づく「職務給」の導入を主張し、政府も「国民所得倍増計画」をはじめ、あらゆる場面で企業の閉鎖的な雇用慣行や年功序列型の賃金制度を批判し、欧米型の職業能力と職種に基づいた労働市場の確立を唱えていた。いわゆる「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」への転換を志向していたのだ。

 しかし、1970年代以降、日本企業は「変わる」どころか、既存のしくみを強化する方向に走り始める。なぜなら日本企業のしくみは「モチベーションの醸成」「雇用の確保」「人材の育成」という三つの点において、競争力の源泉であることが認識されるようになったからだ。

 ごく一部のエリート層を除けば、多くの人が一生涯、同じ仕事を同じ賃金でやり続ける欧米社会の「職務給」と違い、日本企業の「職能給」では、長く会社に尽くして一生懸命がんばってさえいれば、やっている仕事に関係なく、だれでもそれなりに昇格して給与も上がっていく。つまり、「誰でも階段を上れる」というモチベーションを生み出すことができる。

 また、誰かが会社を辞めるたびに、高いコストをかけてキャリア採用しなければならない欧米企業と違い、日本企業では人が足りなくなれば「定期人事異動」で強制的な人事権を使って低コストで労働力を確保することができる。空いた穴を埋める組織内の玉突き連鎖の結果、組織末端に空く大量のポストも年に1回新卒を一括採用すれば事足りるのも魅力だ。

 そして、会社に入る前に教育訓練を受ける欧米と違い、日本では会社に入った後、ジョブローテーションを繰り返しながら上司の業務命令に従い、職場OJTで育ててもらうことができる。ここでも職務を限定していないからこそ、簡単な仕事から少しずつ難しい仕事を段階的に任せてもらうことが可能となる。

 モチベーション、雇用、育成。この3点において、日本の会社のしくみは、日本企業の競争力の大きな源泉となっていたため「変える」ことができなかった。

変えられない理由②:社会の視点

 しかし、「変えられない」理由はそれだけではない。日本企業がわが世の春を謳歌したのはバブル崩壊前までで、1990年代以降、日本は経済停滞期に入る。会社の成長は止まり、当然のように、日本の会社のしくみを見直していくべきだという議論が再燃した。

 成果主義や非正規雇用の増大など、さまざまな改革が断行されたが、その中には再び、「メンバーシップ型」から「ジョブ型」への転換も話題に上がった。しかし、今度も日本の会社のしくみの根本は温存された。なぜなら、いくら日本の会社がしくみを変革しようとしても、日本社会における三つの構造がその変革を許さないからである。

 一つ目は「社会保障」。多くの場合、人は年齢を重ねるほどに子どもの教育費や住宅費など沢山のお金が必要になるが、職務給が採用されている欧州社会では、年齢が上がっても職務(ポスト)が変わらなければ給与が上昇することは基本的にない。では、ある時期以降はフラットな給与カーブと必要な生計費との隙間をどう埋めているかというと、児童手当や住宅手当の手厚い支給、教育費の公費負担や公営住宅を充実させることによって対応している。
 一方の日本は、その部分を公的な社会保障ではなく、企業の年功賃金に任せる道を選んだ。もし、日本企業が一斉に年功賃金を手放す、という話になれば、それは同時に日本政府が社会保障制度の在り方を見直すという話になる。

 二つ目は「労働市場」。欧米社会ではその歴史的経緯から企業を超えた職務の市場価値、企業を超えて通用する資格や学位、企業を超えた職業組織や産業別組合があるため、会社を超えた基準やルールが存在する。よって外部労働市場の動きが比較的活発となる。
 しかし、日本社会はいまだ企業別労働組合の力が強いことからも明らかなように「会社を横断した基準」が存在せず、会社の中にある内部労働市場のほうが重視される。こんな状態でいきなり「職務がなくなった」という理由で解雇されても、安全に転職できるかどうか分からないため、雇用の流動化には慎重になる必要がある。

 三つ目は「教育訓練」。欧米社会では入社前に職業教育を受けるのが一般的で、高校や大学といった教育機関も職業との間に密接な連携が見られる。国によっては学歴と専攻に従って公的な職業資格が与えられ、それにふさわしい仕事に入職する、というしくみが確立されている。一方の日本では依然として、職業教育訓練は質的にも量的にも圧倒的に会社に依存しているため、もし日本の教育システムが変わらないままに企業が人材の育成をやめ、即戦力しか採用しないとなれば、社会に人材を育成する機能がなくなってしまう。

 つまり、社会保障、労働市場、教育訓練を「会社に依存」している日本社会の構造下では、日本企業の雇用システムを変革しようと思うなら、企業・政府・教育機関という三者が力を合わせる必要があるのだ。しかし、お互いに相手が動かなければ自分たちも大きく変えられない、という状態にあるため、会社だけが「変わる」ことは容易ではない。

変わる社会、変わろうとする会社

 変えるべき理由は沢山あるが、同じく、変えられない理由も無数にある。まさにこうした「変えたくても、変えられない」感覚こそが「閉塞感」の片翼、「1人では何も変えられないという無力感」である。
 しかし、極度に悲観的になる必要はないと私は思っている。というのも、世を見渡してみると、少しずつ会社は、社会は変わり始めているからだ。

 拙著『拝啓 人事部長殿』を執筆するに当たり、私から見て「閉塞感」を打ち壊すヒントになりそうなしくみを導入している企業に、どんな理由で制度をつくり、どうやって運用しているのか、そして今後の課題意識などを取材した。

[取材先企業と各社の制度]※各制度名称は取材時のもの

テーマ 会社名 制度・取り組み
採用 富士通 新卒職種約束コース
契約 タニタ 日本活性化プロジェクト(個人事業主化)
ANA 副業制度/グループ外出向
時間・場所 ユニリーバ・ジャパン WAA(Work from Anywhere and Anytime)
ヤフー 時間と場所に捉われない働き方
みずほ銀行 週休3~4日制
配置/異動 ソニーグループ 社内募集/キャリアプラス/FA制度/キャリア登録制度
報酬/評価 NTTデータ ADP(Advanced Professional)制度/TG(Technical Grade)制度
健康(安全配慮) 味の素 味の素流 健康経営(セルフケア支援)
コミュニケーション/風土 コンカー オールハンズミーティング/フィードバックする文化
育成 ソフトバンク ソフトバンクユニバーシティ(選択型研修)
退職 良品計画 バックパス制度/カムバック採用

 そこで私が学んだのは、労働者の就労観の変化や少子高齢化、デジタル化、グローバル化、顧客ニーズの多様化といった不可逆な社会変化に伴い、会社の競争力の源泉が少しずつ変わってきている、ということだった。

 まず「モチベーションの醸成」は、「出世」から「+人それぞれ」への変化を感じた。これまでの日本企業では「階段を上る」、いわば出世して高い給与をもらうことだけがモチベーションとされてきたが、そもそも何をモチベーションと感じるかは人それぞれ違う、という考え方に変化してきていることを感じた。
 自分のやりたい仕事にチャレンジできること、高度な専門性を評価してもらえること、同時に複数の会社で働けること、自分がいちばん集中できる時間帯・場所で働けること、仕事の割合を減らし自分の時間を大事にしながら働けることなど、社員が主体性を持って自分が最もパフォーマンスを出せる環境や合意の仕方を選択できるようにしていくことが多様なモチベーションを引き出していく、という考え方だ。

 次に「雇用の確保」についても、「主従」から「+インクルージョン」への転換を感じた。これまで多くの日本企業は、絶対的な主従関係の下に強制的な人事権を働かせ、長期的な雇用(労働力)を確保することを主眼に置いてきた。もちろん、多くの会社がそのしくみを完全に廃止しているわけではないが、それに加える形で多種多様な人材をインクルージョン(包摂)できるようになることが競争力につながる、という考え方が生まれていた。
 新卒時点で自分のキャリアを描けている人、高度な専門性を持った市場価値の高い人、長時間働くのが難しい人、場所的な制約がある人、特定の仕事をすることに強いこだわりのある人、兼務(社内)・副業(社外)など幾つもの仕事を同時に経験したい人、一度会社を辞めてまた働きたい人。これまで力を借りられなかった人たちに仲間になってもらうことが雇用(労働力)を確保する上で重要になってくる、と。

 最後の「人材の育成」は、「継承」から「+アップデート」への変化だ。どの企業も職場OJTや研修(Off-JT)は、これまでどおり上の人が経験してきたことを下の人に継承していく、という形で行われていたが、興味深かったのは、それに加えて既存のメンバーにない知識や経験・人とのつながりを組織の中にもたらしてくれることが競争力につながる、という考え方が多く見られたことだ。
 社外での副業、社内でも自分の職場だけでなくほかの職場を兼務しながら働くこと、一度退職してみるなど、外の世界を見ることで培える経験やスキルも育成の要素の一つとして入っていたのだ。まさに自社の中にある常識を継承し続けるだけでなく、外の知見も踏まえてアップデートしていこう、という考え方である。

 まとめると、こういうことになる。人事制度について、一人ひとりの社員の個性を重視し、多様な選択肢を増やしていくこと、それと同時に「多様な距離感」を認め、「自立的な選択」が当たり前な風土をつくっていくことが会社の競争力につながっていく、と。

 またここに加えて、自身の勤めるサイボウズの人事制度の変遷を紐解く中、そうした変革を支える(あるいは、さらにそのメリットを強化し、デメリットを補完する)ものとして、情報技術による「徹底的な情報共有」がある、ということにも気が付いた。

 情報技術の力を駆使して一人ひとりの個性を重視できる多様な選択肢(人事制度)をつくり、また多様な距離感を認め、自立的な選択ができ、徹底的に情報を共有する風土がある会社。そんな「インターネット的な会社」をつくることができれば、私も含めた若手が感じている閉塞感は消え、さらには、現在会社が抱える三つの問題も解決できるのではないか。

 個人との契約そのもののバリエーションを増やしたり、雇用契約の中でも時間・場所・業務内容といった労働条件を個別に限定する余地を広げていくことは、現状、分配すべきでないところに分配されている会社の賃金原資を分配すべきところに分配する、ということだ(「経営の圧迫」への処方箋)。
 また、正社員の中にも条件を限定する選択肢が生まれてくれば、全員一律に「フルコミット」「ヒエラルキー」を求める風土は緩和され、女性・男性ともに家庭生活との両立がしやすくなるだろう。職務が限定され、市場価値で評価される人が少しずつ出てくれば、年齢に関係なく会社に入りやすくなるルートも生まれるだろうし(「企業封鎖性」への処方箋)、副業や兼務といったグラデーショナルな選択肢も含めて、これまでより多くの人の力を借りられるようになれば、少数精鋭化されていた正社員も明らかな過重労働からは解放され、ワーク・ライフ・バランスもいまより守られるようになっていくのではないだろうか(「ワーク・ライフ・バランスの欠如」への処方箋)。

「インターネット的な会社」の広がりがもたらす変革の可能性

 そして私は、こうした「インターネット的な会社」を社会全体に広げていくことは、社会保障、労働市場、教育訓練という構造上の問題を踏まえた上でも、変革を促す現実的な解になるのではないか、という仮説を持っている。

 これまで「お父さんが一家の大黒柱として家族全員を養う」ために必要なお金を、社会保障よりも企業の年功賃金で賄ってきた日本だが、2000年を境に共働き世帯のほうが多くなっている現状に鑑みれば、複数の会社で一斉に条件を限定するようなコースを「選択肢として」用意し、共働きの夫婦にとっても働きやすい環境をつくることで、そもそも、これまでのように「1つの会社で1つの家庭を守る」必要はなくなっていくのではないか。

 また、労働市場についても、条件を限定した選択肢が生まれることで(資格や学位といった共通の基準はないにせよ)少なくとも今よりは外部労働市場が活発になるだろう。加えて、副業など複数の会社に所属しつつ、その割合を変えながら徐々に移動していくという選択肢が生まれてくれば、採用時に全人格的判断を必要とする日本ならではの安全な会社間移動が実現するという可能性はないだろうか。また、(ホワイトカラー職場であれば)テレワークが普及したことによって、副業のハードルも以前より下がっているという背景もある。

 そして最後の教育訓練について、いきなり日本の教育システムを変えることは現実的ではないため、これからも「会社に入ってから人を育てる」という日本企業のしくみは維持していくべきだと私は考えている。しかし、こうした育成のコストも情報技術を活用できれば、ある程度下げられるのではないだろうか。
 「徹底的な情報共有」が進むということは、上司や周りの先輩も含めて仕事のやり方が共有されているということだ。デジタルツールを使って社内の、あるいは職場以内のナレッジを誰でも検索して引き出せるようにしておけば、いまより低いコストで人材育成ができる。もちろん、職務を限定する選択肢を選ぶ人が増えてきた際、類似の職能内においてさまざまな経験を積むことができなくなるのではないか、という懸念もあろうが、これも兼務などによってグラデ―ショナルな就労(例:人事労務部7割、採用育成部3割)が可能になることで、OJTの機会を拡大し、ある程度職務は限定しながらも、さまざまな職務経験ができるようにする(必要であればリスキリングにも活用する)ことは可能ではないだろうか。

これまでも、これからも、変わらないこと

「インターネット的な会社」。
 まるで、「人的資本経営」に変わる、次の人事トレンドはこれだ! と言わんばかりの、キーワード感全開の言葉だが、特に目新しいことを言っているつもりはない。

 無限定な正社員だけではない、時間・場所・職務を限定した正社員という選択肢を増やすこと、兼務の活用、本人の意思を重視した配置転換やキャリア形成、副業の解禁や出戻りOKのメッセージを出すこと、それらに連動する形で複線的な報酬制度を用意すること。そして、こうしたしくみをDX(デジタル・トランスフォーメーション)と言われるような情報技術推進と組み合わせることが、大きな相互作用を生み、日本社会の構造も踏まえた、現実的な問題解決につながるのではないか、というのが私の主張の骨子である。
 「インターネット的な会社」も、正直、名前を付けないと不便だっただけで、この言葉を流行らせて一儲けしたい、などという下心はない。というか、もしも本当にそれが狙いなら「インターネット」なんて手垢にまみれた言葉は使わなかっただろう。

 はてさて、ここまで日本企業はなぜ、どう「変わる」べきか、ということを延々と書いてきたのだが、最後にその反対の「変わらない」と思うことを書いて、筆を置くこととしたい。

 自分でも意外だったのだが、今回、人事制度の歴史を学んだり、さまざまな企業を取材したりする中で最も感銘を受けたのは、次々と「変わる」人事施策のほうではなく、今も昔も「変わらない」人事担当者の目的意識だった。

 「ジョブ型」も、「人的資本経営」も、「インターネット的な会社」も、結局のところ、そうした形に「変わる」ことは目的ではなく、手段にすぎない。

 戦前から戦後、差別的状況を打ち壊すために進められた会社の平等。経済成長期、無限の忠誠と終身の保障を前提とするしくみによって支えられた会社の成長。バブル崩壊後、会社が抱えた問題を解決すべく、社会のシステムにまで目を配りながら少しずつ進められてきた会社の変革。今回取材したどの企業の人事担当者も、自社の社員が求めることに耳を傾け、経営者とともに会社の理念や事業と向き合い、そして、それが社会にどのような影響を及ぼすのかにまで想いを馳せながら制度の設計・運用について試行錯誤していた。

 いつの時代も人事担当者は、働く一人ひとりの理想と、会社の理想、そして、社会の理想に目を配りながら、バランスさせることを考えてきた。こうした人事担当者の役割は、きっとこれからも「変わらないこと」の一つなのだと私は思う。
 難しいのは、人の理想も、会社の理想も、社会の理想も、時代とともに「変わる」ということだ。だからこそ、理想を実現するためのやり方は「変わるべきこと」になる。

 次々と変わる流行り言葉に惑わされることなく、常に人と、会社と、社会の理想に向き合い、「変えるべきこと」と「変えてはいけないこと」の分別をつけながら、地道に現実とのギャップを埋めていく。そんな人事担当者に、私はなりたい。