浅野浩美 あさの ひろみ
事業創造大学院大学
事業創造研究科教授
1.人的資本開示が始まった
改正内閣府令(令5.1.31 内閣府令11)により、上場企業には、2023年3月末以降の事業年度に係る有価証券報告書から、人的資本についての情報を開示することが求められるようになった。
具体的には、有価証券報告書の「従業員の状況」の項目に、「女性管理職比率」「男性の育児休業取得率」「男女間賃金格差」について、「サステナビリティに関する考え方及び取組」の項目に、「人材育成方針」や「社内環境整備方針」、これら方針に関する指標や目標・実績などについて記載することが求められるようになった。
さっそく女性管理職比率などの数値とPBR(株価純資産倍率)との関係など、さまざまな分析がなされつつある。同業他社と比べてどうなのかなど気になるところだろうが、企業にとっては、ここは事実を記載するしかないところである。
その一方で、新設された「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄については、どのように書くかが企業に委ねられたため、頭を悩ませた担当者も多いのではないだろうか。
2.企業は、人的資本についてどう記載したか
筆者は、公益財団法人日本生産性本部が設置した「人的資本経営の測定・開示ワーキンググループ」※1に参画しており、同本部が8月2日に公表した「有価証券報告書における人的資本開示状況」(速報版)※2の集計・分析に関与している。
有価証券報告書に目を通す中で、目を引いたのは、「サステナビリティに関する考え方及び取組」の中の人的資本について書かれた部分の記載が実にさまざまであったことである。
事例なども挙げて、大いに論じている企業もあったが、全体としては、多様性など必要だとされるものについては外さず、しかし、慎重に書いている、といった印象の企業が多かった。今回の有価証券報告書では、それほど記載していないが、今後、統合報告書の形で、財務情報と非財務情報をまとめてより具体的に開示するという企業も多かった。
公益財団法人日本生産性本部が8月2日にプレスリリースした、「2023年3月末決算企業の有価証券報告書「人的資本開示」状況(速報版)」においても指摘されているように、記載分量にはかなりのバラつきがあった。全体平均は、2095字だが、最多は1000~1499字の19.9%。その一方で、人的資本に関することだけで1万字を超えるような企業もいくつかあった[図表1]。
プレスリリースの別紙資料には、人的資本についての記載の中で、どのような言葉が数多く出てきたかについても示されている。「人材」「育成」「女性」などといった言葉が多く記載されているが、「キャリア」という言葉も、2767回とかなりの回数記載されている[図表2]。
[図表1]人的資本についての記載の文字数
[図表2]人的資本についての記載中の出現回数
[注]1.名詞、サ変名詞、形容動詞、形容詞、副詞、未知語を分析対象とし、「当社」や「グループ」等、内容と明らかに関係しない語については、ランキングから除外した。
2.抽出した頻出語を、人的資本として特徴的な語をマスキングした。
※1 2023年4月に設置。学識者と企業実務家(東証プライム企業の人事部門)で構成。座長は、一守靖 事業創造大学院大学 事業創造研究科教授。
※2 2023年3月末決算の東証プライム企業(集計社数1225社:6月30日時点で開示があった企業)を分析したもの。公表についての注意事項として、速報性を重視したものであり、精査の余地のあるものであるとの記載がある。また、目標としてのみ記載されているもの、人的資本に関する項目以外に記載されている場合、複数箇所に及ぶ場合などについては、一部を除き、分析対象としていないなどの注書きがある。
3.「キャリア」という言葉はどのように記載されたか
全体の内容については、同プレスリリースを見ていただくとして、ここでは「キャリア」が、どのように記載されているかについて見てみたい。
[図表3]は、「キャリア」という言葉を記載した770社を対象に、テキストマイニングのためのソフトウェア「KH Coder」を用いて、「キャリア」という言葉が、一つの文の中でどのような言葉と一緒に使われているのかを示したものである。
これを見ると、「キャリア」の近くに、「支援」「形成」「自律」「制度」などといった言葉がある。「キャリア」と言っても、経験者の採用を示す「キャリア採用」などといった使われ方をしている場合もあるので、注意が必要だが、キャリア形成、キャリア自律、キャリア支援といった文脈で使われていることがうかがえる。
さらに、「キャリア」を含む単語を見ると、「キャリアアップ」「キャリアパス」「キャリアプラン」「キャリア研修」「キャリアデザイン」などといったものが目立つ。「キャリア面談」という言葉も30回以上出てくる。キャリアについて考える機会を提供し、従業員が自ら考えたキャリアを支援しようと考えている様子がうかがえる。
[図表3]「キャリア」という単語とともに使われている単語-「キャリア」という単語とよく一緒に出現していた単語の共起ネットワーク
資料出所:有価証券報告書の記載内容を基に筆者作成
[注]1.ある単語とある単語が同時に出現することを「共起」と呼び、一緒に出てくる単語を線で結んだものを「共起ネットワーク」と呼ぶ。共起ネットワークによって、単語同士の関係性を可視化することで、どんな単語がデータ中に多く出現しているのか、また、どの単語とどの単語がデータ中でつながっているのかが把握できる。
2.円の大きさが出現回数を表し、一緒に使われていた単語ほど近くに配置される。よく一緒に使われていた単語どうしを線で結んで、色によってグループ分けをしている。単語どうしの関連性が強い場合は実線、関連性が弱い場合は波線を表す。
4.おわりに
有価証券報告書の記載を見ると、「従業員の状況」では、新たに多様性に関する指標(女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差)を開示することとされたし、「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄でも、多様性、とりわけ女性の管理職登用に関する記載が目立つ。報道でも、同じように多様性や女性活躍がよく取り上げられているようだ。
しかし、人的資本に関する記述部分を見ると、「人材」「育成」「経営」「健康」といった言葉が頻出しており、さらによく見ると、「キャリア」という言葉もかなり多く、自律的なキャリア形成といった文脈で使われている。
分析対象とした1225社のうち770社が、キャリアという言葉を記載していたことからも分かるように、企業が人的資本について考えていく上で、自律的なキャリア形成は、既に重要な要素となっているのである。
「セルフ・キャリアドック」「キャリアコンサルタント」「キャリアカウンセラー」「キャリアアドバイザー」「キャリアコンサルティング」「キャリアカウンセリング」といった言葉も見られた。前回(第12回)で、「三位一体の労働市場改革の指針」など、政府の方針のあちらこちらにキャリアコンサルタントという言葉が登場していると述べたが、有価証券報告書の記載から見る限り、企業にとってもキャリアについての専門家は必要なようである。キャリアコンサルタントの皆さんには、既に多くのことを学んでいただいているところだが、求められる役割を果たすべく、さらに学んでいただけたらと思う。
浅野浩美 あさの ひろみ 事業創造大学院大学 事業創造研究科教授 厚生労働省で、人材育成、キャリアコンサルティング、就職支援、女性活躍支援等の政策の企画立案、実施に当たる。この間、職業能力開発局キャリア形成支援室長としてキャリアコンサルティング施策を拡充・前進させたほか、職業安定局総務課首席職業指導官としてハローワークの職業相談・職業紹介業務を統括、また、栃木労働局長として働き方改革を推進した。 社会保険労務士、国家資格キャリアコンサルタント、1級キャリアコンサルティング技能士、産業カウンセラー。日本キャリアデザイン学会理事、人材育成学会理事、経営情報学会理事、国際戦略経営研究学会理事、NPO法人日本人材マネジメント協会執行役員など。 筑波大学大学院ビジネス科学研究科博士後期課程修了。修士(経営学)、博士(システムズ・マネジメント)。法政大学キャリアデザイン学研究科非常勤講師、産業技術大学院大学産業技術研究科非常勤講師、成蹊大学非常勤講師など。 専門は、人的資源管理論、キャリア論 |
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