2023年08月25日掲載

Point of view - 第235回 村中直人―ニューロダイバーシティを知っていますか?

村中直人 むらなか なおと
Neurodiversity at Work株式会社
代表取締役、臨床心理士/公認心理師

人の神経学的な多様性に着目し、脳・神経由来の異文化相互理解の促進、および働き方、学び方の多様性が尊重される社会の実現を目指して活動。2008年から多様なニーズのある子どもたちが学び方を学ぶための学習支援事業「あすはな先生」の立ち上げと運営に携わり、「発達障害サポーター'sスクール」での支援者育成にも力を入れている。現在は企業向けに日本型ニューロダイバーシティの実践サポートを積極的に行っている。著書に、『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)、『ニューロダイバーシティの教科書: 多様性尊重社会へのキーワード』(金子書房)など。

 ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)という言葉がある。

 この言葉はニューロ(脳・神経)とダイバーシティ(多様性)を組み合わせた造語であり、人間の脳や神経由来の多様性を尊重するメッセージが込められている。もともとは1990年代に「自閉症スペクトラム障害」の成人当事者たちが生み出し、社会運動として育まれてきた経緯がある。日本においても、経済産業省のWebサイトに「ニューロダイバーシティの推進について」(経済産業省 2022)というページが作られるなど、特に発達障害者の雇用の文脈において認知が広まりつつある。世界的に有名な事例としては、ドイツに本社を置く世界的ソフトウエア企業であるSAPの取り組みがある。同社はAutism at Workというプログラムを通じて、自閉症の若者を積極的に採用、育成し、大きな成果を挙げた。その取り組みはOECDのレポートやハーバードビジネスレビューなどで取り上げられ、多くの人が注目するようになっている。……と、ここまで読まれて、ニューロダイバーシティを「障害者雇用の新キーワード」と感じられたかもしれない。しかし、この言葉が本来意味するところは、より広く深い。発達障害者という限られた人たちだけの話ではなく、あらゆる人が自分事として考えるべきダイバーシティのテーマだ。

人間は思っているより似ていない

 ニューロダイバーシティという言葉が生まれた1990年代当時、まだ脳や神経の働き方の個人差がどの程度大きいのか、科学的な根拠は多くなかった。しかしそれから既に20年以上がたち、当時とは比較にならないほどにさまざまな「脳や神経由来の個人差のエビデンス」が分かり始めている。

 例えば「クロノタイプ」をご存じだろうか。これは、人間の体内時計であるサーカディアン(概日)リズムによって生み出される自然な睡眠と覚醒のリズムや、1日の中で最も活動的な時間帯の個人差を示す指標である。いわゆる「朝型」「夜型」の話と言えばお分かりいただけるだろうか。クロノタイプを理解する上で重要なことは、生来的な遺伝の影響がかなり大きいというところにある。つまり、夜型のクロノタイプの人が努力によって朝早く起きる朝型に変わることは難しく、その逆も(しか)りなのだ。クロノタイプに合わない生活をすると、生活リズムが乱れ睡眠の問題が発生する。この現象は「社会的時差ぼけ」と呼ばれ、日中の活動生産性や心身の健康に大きな影響を与えることが明らかになっている。その影響力の大きさから、近年とても注目されている現象である。

 他にも、「男性脳」「女性脳」の発想が科学的に否定されていることをご存じだろうか。イスラエルのダフナ・ジョエル博士らの研究チームが複数のデータセットから合計1400人以上の脳の特徴を調べた結果、一貫して「男性的」もしくは「女性的」な特徴だけが見られた脳は全体の1~8%しかなかったと報告している。この結果は、典型的な男性脳、女性脳の持ち主がほとんどおらず、大多数の人は男性的な脳と女性的な脳の特徴を「モザイク」状に両方持っていることを示唆している。つまり、「性差」よりもはるかに「個人差」のほうが大きいのだ。

 これら以外にもさまざまな知見が存在し、それらは「人間の個人差は思っているよりも大きい」という同じ方向を向いている。

レンガモデルから石垣モデルへ

 こういった脳や神経の働き方の個人差に関する科学的エビデンスが集まっている一方、社会の在り方はアップデートが追いついていないのではないだろうか。例えば現状、社会的にはクロノタイプなど存在しないか、あったとしても努力でカバーできる小さいものだとされている。そうでなければ「早寝、早起き」のように、全員一律の早起きを推奨されはしないだろう。また、非科学的な「男性脳」「女性脳」の認識による、誤ったジェンダー役割の推奨はいまだになくなっておらず、科学者からは“ニューロセクシズム”と批判されている。

 問題の根本は「人間同士は似ている」という無意識の刷り込みにある。もう少し具体的に言うと、「大体の人間は平均的な存在であり、少数の優れた、もしくは劣った人がいるだけだ」という認識である。このことを私は「レンガモデル」と呼んでいる。しかしながら、先に述べたように実は人間同士は思った以上に似ていない。つまりレンガのように画一的な存在ではないのだ。それは石垣を形作る一つひとつの石のイメージに重なるだろう。「レンガモデル」から「石垣モデル」へのパラダイムシフトが必要なのだ。それはもちろん企業経営においても同様である。いや、本来は企業経営こそが率先して取り組まなければならない課題である。なぜならば、このパラダイムシフトは、企業における生産性向上やイノベーション創出に直結する課題だからだ。

認知的多様性と集合知

 そもそも、企業がダイバーシティに取り組まなければならない理由は何か? それは、認知的多様性を高めることでよりよい集合知を生み出し、変化に強くイノベーティブな組織になる必要があるからだ。言い方を変えると、これはダイバーシティに取り組むことによって企業が得られるメリットの話でもある。多様性は、性別、人種などの表層的多様性と、目に見えない人の内側にある深層的多様性に分類することができる。認知的多様性とは、人の考え方や視点、知的な理解に関する多様性のことで、深層的多様性の代表的なキーワードである。そして認知的多様性は集合知を生むことでイノベーションの源泉となると考えられている。もっとシンプルに言うならば、いろいろな考え方、ものの見方を持つ者同士が協働することで、1人では考えつかないようなアイデアや困難への対応策が生まれる、という当たり前の話である。ただし、単に認知的に多様な人材が集まるだけでは集合知は生まれない。そこには同時に高い心理的安全性が求められる。逆に言うと、異なる考え方や視点は、相互の否定や排除の原理を生み出しやすい傾向があるのだ。企業のニューロダイバーシティ推進を分解すると、「認知的多様性」×「心理的安全性」を高いレベルで両立する話と言い換えることも可能であろう。特定のマイノリティーのみならず、働くすべての人の特性が尊重される企業とはどんな姿なのか。ニューロダイバーシティは経営の新たな中核課題と捉えるべきテーマである。