2023年09月11日掲載

データを味方につけて組織を変える! 成果を出すPA(People Analytics)ドリブン人事 - 第1回:なぜ今ピープルアナリティクス? 知っておくべきその重要性

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
Human Capital Division.

岩崎乃莉子 いわさき のりこ
コンサルタント

松井和人 まつい かずと
シニアマネジャー

山本奈々 やまもと なな
執行役員 パートナー

1.はじめに

 ピープルアナリティクス(People Analytics)という言葉を聞いたことがあるだろうか。聞いたことがない方も、データ分析に関係する用語ということは推測できるだろう。マーケティングや営業といった部門では、データ活用が売り上げに直結するため、データの利活用が事業に大きな影響力を持つことは既にご存じだと思う。ピープルアナリティクスも目的は同様であり、組織や事業に対して人事データを活用して、人材マネジメントの意思決定の精度向上や業務効率化を目指す試みである。
 本連載では、人事部門・人事担当者が組織や事業に価値提供していくためのデータ活用(=ピープルアナリティクス)について取り扱う。ピープルアナリティクスという概念に初めて触れる方だけでなく、既に知っている方も、本連載を通してその重要性を認識していただき、ピープルアナリティクスを実行するきっかけになるとうれしく思う。

2.ピープルアナリティクスとは? その重要性

 これまでのご自身の人生や生活を振り返り、いつ、どのような選択をしてきたかを考えてみてほしい。就職や結婚といった大きなライフイベントから、休日の過ごし方、朝食の内容など日々のささいなものまでさまざまな選択をしてきたはずである。その中には明確な目的の下に判断して決めたこと、経験的に決めたこと、その時の気分で決めたこともあるかもしれない。そして、こうした日々の選択が、今この記事を読んでいるあなた自身を作り上げているのだ。

 組織においても同様に、戦略から各機能における施策までさまざまな場面での意思決定が行われた結果として、現状の体制、制度、運用、文化等が成り立っている。しかし、組織における意思決定は個人生活のものと比べると、その数や複雑性、そしてそれぞれの重要性が圧倒的に高い。さらに、VUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性の頭文字を取ったもので、不確実性が高く、将来の予測が困難な状態を指す造語)といわれる現代社会では、この傾向は年々強まっており、各種人事施策についても社会の変化にタイムリーに適応した質の高い意思決定が求められている。この状況において人事部門・人事担当者の意思決定のスピード・質の向上をサポートすることが、ピープルアナリティクスの役目である。

 ピープルアナリティクスとは、端的に言えば“人や組織に関する意思決定を支援するデータ分析やその結果を活用した取り組み”の総称である。近年多くの企業でタレントマネジメントシステムの導入が進み、さまざまな情報の可視化や分析が容易になっているため、前述の定義であれば、ピープルアナリティクスは既に実施していると思われる方もいるだろう。しかし、ピープルアナリティクスの真価を発揮するためには、「特定の課題」を解決するという具体的で一貫した目的の下に行う必要がある。しっかりとした課題(目的)志向を貫き、ピープルアナリティクスを実行できている企業は少ないかと思うが、この姿勢を保ってピープルアナリティクスに取り組むことにより、正しい成果を生み出すことが可能となる。

 目的志向で成果を出すためのピープルアナリティクスは、以下の三つのステップで実行される。

ステップ1 課題の明確化

ステップ2 仮説立案と分析の実行

ステップ3 分析結果からの施策の立案

 例えば、ピープルアナリティクスのポピュラーなテーマの一つとして“退職予兆分析”がある。このケースでは、まずは“退職率が高く、リテンションが低い”という課題が特定されることが第一歩となる(ステップ1 課題の明確化)。次に、退職率の原因として考え得る仮説の洗い出しを行い、これらを立証するためのデータ分析を実行する(ステップ2 仮説立案と分析実行)。これにより、“1on1(上司と部下の間で実施する1対1の面談)の頻度や質が低いチームでは、上下間の意思疎通がうまく図られないため退職が起こりやすい”という一つの仮説が立証されるかもしれない。仮説がデータにより立証されることでフォーカスすべきポイントが明確になり、課題にダイレクトにつながる施策の立案・実行が可能となる(ステップ3 分析結果からの施策立案)。例えば、1on1を効果的に行うための各種施策や促進キャンペーンを行うことなどが考えられるだろう。

 ピープルアナリティクスは、このようなステップを通して、原因の特定から施策への落とし込みまでを支援し、課題の解決を人事データから主導する取り組みなのである。

[図表1]ピープルアナリティクスの基本の進め方

図表1

3.ピープルアナリティクスが必要とされる社会的背景

 従来の人事では、発生する課題に対する打ち手の検討は担当者の経験や勘に頼って行われるケースが少なくなかった。新たな課題が発生した際にはベテランの従業員の経験に基づき、施策を立案・実行する。そして、トラブルがあった際には担当者の勘に頼って対応する。こういった試行錯誤を繰り返すことで担当者の経験と勘を少しずつ磨き上げて対応してきたわけだ。これまでは、そうした“伝統的職人技”による対応が有効だったかもしれない。しかし、近年は急速で多面的な社会変化により、従来の手法の根幹である経験や勘ではカバーできない課題も増えており、課題解決に向けた人事担当者の育成が間に合わないことが容易に想像できる。

 そうした中で、ピープルアナリティクスの必要性が高まってきた社会変化には二つある。一つ目は、DX(デジタルトランスフォーメーション)である。DXとはデータとテクノロジーを活用した変革のことで、近年では教育機関や医療施設などあらゆる組織が、この変革に注力している。さらに、総務省から自治体のDX推進の方針が示されるなど日本政府も国を挙げてDXに取り組む姿勢を見せており、世の中の関心は年々高まっている。特に市場で苛烈な競争にさらされている民間企業において、その重要性は高く、従業員の生産性や顧客の利便性を高めることで市場における競争力の強化を目指している。民間企業のDXで使用されるデータの中でも、マーケティング部門や営業部門といった直接機能におけるデータ活用は売り上げに直結するため、その活用は今や常識である。一方で、特に人事部門などの間接機能のデータは、事業の競争力強化という視点で活用される機会は少なく、この有効活用には新たな付加価値創出の可能性を秘めている。

 中でも経営資源の三要素である“ヒト、モノ、カネ”のうち、“ヒト”を扱う人事のデータ活用の影響範囲は広く、人事DXに取り組む企業では組織全体の生産性を維持・改善し、事業を加速させることが可能となる。例えば、某外資系の大手企業では従業員のデータを学習した独自AIを活用して退職リスクの予測を行っており、このAIによる退職リスク人材検知とその流出を防止するフォローアップを可能としている。結果として、従来失われていた人材を引き留めるだけではなく、関連する人事コストを数億ドル単位で節約できているという。また、従業員に対してはAIにより個別最適化された育成コンテンツの提供を行い、AIを活用したDXを通して生産性を高めることを可能としている企業もある。
 このような先進的な人事DXを成功させ、組織力を高めている企業がある一方で、これらを軽視する企業は市場において後れを取る可能性が高まってしまうのである。

 社会変化の二つ目は、人材の流動性と多様性の高まりである。近年、若い人材が数年で転職をしてしまい、採用担当者が頭を抱えるというニュースを耳にするが、若年世代に限らず労働市場全体がキャリアや働き方の価値観を多様化させている。“2013年以降、「より良い条件の仕事を探すことを目的とした転職者」の数が増加傾向で推移しており、2019年には127万人と過去最多となった”という調査報告(総務省統計局 統計トピックスNo.123)から、より良い労働条件を志向する転職者が増加傾向にあることがうかがえる(なお、新型コロナウイルスの感染症拡大の影響で2020年には321万人、2021年には290万人にまで減少しているが、新型コロナウイルス感染症による厳しい状況が徐々に緩和されつつある中での今後の動向が注視される)。また、キャリア期間という観点においても多様化は進んでいる。これは健康寿命の延伸に伴い、より長い職業人生が視野に入ってくるようになってきたこと、アーリーリタイアメント(FIRE、Financial Independence, Retire Early)というキャリアに縛られない時間を長く持つ考えが台頭していることからも想像ができるだろう。
 このように、キャリアや働き方が多様化した今日の状況下においては、所属企業での一生の活躍を前提としたキャリア開発は困難であり、キャリア開発は個人が主導し、その個人プランに合わせて企業側が個別化人事を行う必要がある。企業にはさまざまな専門性・価値観を持つ人材が流動的に所属するようになるが、データを活用することでさまざまな人材の幅広いニーズを捉え、適切な対応を取ることが可能となる。

 そして、サステナビリティ経営や人的資本開示の世界的な人事トレンドもピープルアナリティクスの重要性を高めている。2020年9月に公表された人材版伊藤レポートに代表されるように、人的資本に関する経営状況を数値化して内外にアピールすることで企業の持続的成長を導くという考えが健全な経営の在り方として社会に浸透しつつある。しかし、定量的な指標の公開が義務化されると、その水準の多寡や改善状況が多くのステークホルダーの知るところとなるため、企業イメージやレピュテーションにも影響を及ぼしかねない。そのため、当然のように各企業においては、指標の改善に取り組む必要に迫られるだけではなく、人事指標の定量的な改善効果等も求められることになる。これまで紹介したピープルアナリティクスは、人事指標を含めた各種データを分析することで、指標改善に必要なアクションや改善効果を導き出すことができるため、ますます重要になってきているのだ。

 上記のような背景の下、人事には複雑で難易度の高い意思決定が数多く求められており、長期的な目線で経験や勘を養う従来の組織運営が困難となってきている。ピープルアナリティクスを行うことで、いわゆるKKD(勘・経験・度胸)に頼らない意思決定ができるようになり、前述の社会変化によって引き起こされる未知の変化への対応が可能となるのである。

4.ピープルアナリティクスによってもたらされる効果

 ピープルアナリティクスによってもたらされる効果として、➊社会変化への対応、➋組織・従業員への貢献、➌経営的価値の創出の3点が挙げられる[図表2]。➊社会変化への対応は、前項で説明した社会トレンドに遅れず対応するという受動的な観点である。

 ここからは、ピープルアナリティクスに取り組むことで得られる能動的効果を示す➋組織・従業員への貢献、➌経営的価値の創出について説明する。

[図表2]ピープルアナリティクスによってもたらされる効果

図表2

 ➋組織・従業員への貢献とは、ピープルアナリティクスの活用による各種人事業務・施策の効率化・高度化が挙げられる(➋-1 人事業務・施策の効率化・高度化)。例えば、配置検討のAIマッチングというテーマについて考えてみよう。配置検討の一部が自動化されることで、それまで担当者の頭を悩ませてきた工数を省力化することが可能となる。さらに過去の配置データを分析することによって基準の統一が図られ、よりフェアで効果的な配置案を作成することも可能になる。また、人事の業務効率化がもたらす余力や、高度化による各種データの利活用によって、個人のキャリア観や働き方の希望に適応した人事サービスの提供が可能となり、従業員個人に対しても利益をもたらすことにも注目したい(➋-2 従業員体験の向上)。前述のAIマッチングを例に取ると、従来のマニュアル対応では勘案することが難しかった個人の細かな異動希望を配置案検討に取り込み、配置案を最適化することがイメージできるだろう。

 ここまでは個別の課題に対応するピープルアナリティクスについて扱ってきたが、組織に対するインパクトとしては、ピープルアナリティクスの実行、効果測定、ブラッシュアップといったサイクルを繰り返すことにより、徐々にデータ活用の組織文化を醸成することが可能となる。このPA(ピープルアナリティクス)ドリブン文化が定着することによって、さらに三つの➌経営的価値の創出が見込まれる。

 経営的価値の創出の一つ目は、人事施策の実行・評価のPDCAサイクルの高度化による企業価値の向上である(➌-1 企業価値の向上)。ピープルアナリティクスを行っていない企業では、その施策効果の測定が定量的に実施されないことにより、人事施策の企業価値へのインパクトが正しく把握できなかった。しかし、ピープルアナリティクスのプロセスが高度化され、全体最適の視点で分析できるようになると、その企業価値に対する貢献が可視化・定量化され、企業価値の向上に向けた施策を分析から導くことも可能となる。

 また、EX(エンプロイーエクスペリエンス、組織における従業員の経験価値)が高まることにより、優秀な人材が社内にとどまり、結果として社内の人的資源を豊富に蓄えることも可能となる(➌-2 豊富な人的リソースの構築)。前記3.で触れたように、これからは従業員個人が主導してキャリアを構築する時代となることから、キャリアの選択肢が増える中で、優秀な人材を獲得・定着させるためにはEXの高度化が必須となる。ピープルアナリティクスは、従来では対応できなかった組織課題や個別化への対応を可能とすることで個々の従業員体験の向上を導き、結果として優秀な人材の獲得・蓄積に貢献するのだ。

 そして、ピープルアナリティクスの企業価値への貢献が経営に認知されることによって、最終的には人材や組織についてのデータ分析結果が事業戦略により強い影響を与えることになる(➌-3 事業戦略の高度化)。もちろん、これまでの事業戦略立案においても、人事観点でのデータ分析は事業戦略へ一定寄与をしてきたが、これまでの人事は間接機能として事業戦略を実現するための人事や関連するデータ分析を後付けで行う傾向が強かった。しかし、企業価値向上に向けたピープルアナリティクスの貢献が認識され、高精度でリアルタイムな示唆提供が可能となることで、人事観点でのデータ分析結果が事業戦略の立案段階において重要なインプットとみなされることになる。一般的に事業戦略を検討する際には内部環境と外部環境を分けて事業の現状分析を行うが、PAドリブンが高度に発展することによって、ピープルアナリティクスにより得られた分析示唆が内部環境の重要情報として位置づけられることになるわけだ。そして、実際にこれが戦略へ組み込まれることにより、ピープルアナリティクスの取り組みの高度化はさらに進み、その事業への貢献を加速させるだろう。

 前述したように、PAドリブンの高度な発展と組織定着が進むことにより、人事が企業価値の源泉となる事業環境を生み出すことが可能となる。本連載では、このような人事の価値発揮につながるピープルアナリティクスの実践方法を紹介していく。連載の中では、手触り感を持ってピープルアナリティクスの世界を体感いただけるよう課題別のケーススタディを交えながら紹介していくので、ピープルアナリティクスの経験の有無にかかわらず、継続して読んでいただければと幸いである。

岩崎乃莉子 いわさき のりこ
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
コンサルタント

自然言語処理や深層学習の医療データ応用に関する研究へ従事した後にデロイト トーマツ コンサルティングへ入社する。入社後も、情報×人のデータというバックグラウンドを活かしピープルアナリティクスの領域を担当する。エンゲージメントサーベイを含む各種人事データの分析・施策立案や、サーベイ分析サービスの設計、人事データ活用構想策定など、一貫して人事データ活用に関するコンサルティングに携わる。
松井和人 まつい かずと
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
シニアマネジャー

10年以上にわたり、一貫して「組織・人事」関連のコンサルティング業務に従事。近年は、ピープルアナリティクス領域に注力しており、最適配置に向けたデータ分析や組織内ネットワーク分析、エンゲージメント分析、幹部開発等の人材育成に向けた分析等、幅広い実績を有している。
特に直近は、AIを活用した異動配置検討をサポートするツール・サービスである“Talent Matching”の開発・提供に尽力している。
山本奈々 やまもと なな
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
執行役員 パートナー

人事中計の策定、要員・人件費計画の策定(Workforce Planning)および最適化マネジメント、要員・人件費計画策定プロセスの高度化、人材のトランジション実行支援、組織・人事戦略策定、同一労働同一賃金、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)推進支援、ピープルアナリティクス、人事制度設計等、組織・人事関連のコンサルティングに幅広く従事している。
共著書に『要員・人件費の戦略的マネジメント ~7つのストーリーから読み解く』『"未来型"要員・人件費マネジメントのデザイン』(ともに労務行政)