デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
Human Capital Division.
並木優斗 なみき ゆうと
コンサルタント
松井和人 まつい かずと
シニアマネジャー
山本奈々 やまもと なな
執行役員 パートナー
1.はじめに
本稿では、[図表1]における【課題階層3】事業戦略レベルの課題に対して、ピープルアナリティクスの実践事例を紹介する。
[図表1]ピープルアナリティクス活用モデル
「事業戦略レベルの課題に資するピープルアナリティクス」では、人事が事業における競争優位性の獲得に対して、より“直接的”に貢献することを目指している。大仰に聞こえるかもしれないが、人事には経営/事業戦略の実現に必要な「質」「量」の人材を確保することが求められていることに立ち返ると、個々の人事機能が経営/事業戦略上の課題解決に貢献できているかという視点は欠かすことができない。
ビジネス環境が変化し、従来の「勝ちパターン」が通用しにくくなる中で、事業構造の変革に取り組む企業は多い。そして、事業変革はしばしば組織体制の大胆な変更や現有人材のスキルセットの転換を要するため、必要人材の確保が課題となり、人事が人材確保に向けて採用や育成を検討するケースがよく見られる。しかし、事業側が要求する人材の獲得・融通は容易でなく、その実現に苦慮する企業が多いのが実情ではないだろうか。
このような事業側の要求を受けて人事が対応するという“御用聞き”では、打ち手も短期的(1~3年)でその場しのぎに陥りやすい。他方で、より中長期的な視点で事業戦略に貢献していく“攻め”の人事として動き出すと、短期的な打ち手では実現し得ない組織の質的な転換を図る取り組みも可能となる。例えば、人事が事業部門に伴走しながら、新しい事業モデルや業務プロセスを実現するための組織体制づくりについて提言することに加え、中長期的な人材不足を解消するための人材開発(配置・育成)や人材採用を戦略的かつ計画的に推進することが挙げられる。このように目指すべき事業モデルや業務プロセスと現時点での人材のギャップを把握し、それを埋めるための施策を戦略的に展開することによって、人事がトリガーとなって、事業上の競争優位性を築くことにもつながるのである。
“攻め”の人事を進めていく上で、ピープルアナリティクスは心強い武器となる。ピープルアナリティクスを活用することで、各事業における社員情報を定量的に把握・分析し、それらのファクトを武器に、事業部と事業戦略の実現に向けた人材ギャップと方策について協議することができる。また、さまざまな定量情報を駆使することで施策の期待効果等を見積もり、投資対効果を踏まえた意思決定を行うことも可能となる。加えて、ピープルアナリティクスで得られた示唆を基に、事業部として継続的にモニタリングすべき指標を設定し、それらをダッシュボード化することで、関係者にタイムリーな情報共有をしつつ、迅速な意思決定を促していくなど、さまざまなデータ利活用を推進していくことも可能である。
本稿では、事業戦略レベルの課題に対するピープルアナリティクスの実践事例として、人員配置の検討に際してのピープルアナリティクスの活用にスポットを当てる。中堅医療機器メーカーに勤務する松本が、事業戦略の実現に向けた営業体制の変革に対して、ピープルアナリティクスを活用した最適配置に取り組む。松本がどのように事業戦略上の課題に向き合い、どのように乗り越えたのか、それらを追体験いただきながら、ピープルアナリティクスの活用イメージを持っていただけたら幸いである。
2.導入:松本、事業変革に向き合う
丸の内メディカル技研は、従業員1000人程度の医療機器メーカーである。人事部に所属する松本太郎は、これまでのピープルアナリティクスの実績が評価され、昨年4月から人事部内に新設された、人事データ分析を専門に扱うピープルアナリティクス室のチーム長に就任していた(過去の松本の実績については、本連載の第3回、第4回を参照)。
ピープルアナリティクス室では現在、社内の人材データの整備と人材配置業務の効率化・高度化に取り組んでいる。丸の内メディカル技研では定期的にジョブローテーションを実施しているが、配置案の検討は人事部員が膨大な時間をかけて検討する“一大イベント”であった。また、配置案を作成しても部門間調整に苦労したり、配置転換後もミスマッチによる離職者が発生したりといった課題もあった。松本は、人材データを整備・活用することで、配置検討業務の効率化を図りつつ、適材適所を実現することによって離職率の低下や生産性向上を期待できると上司の伊藤(人事部長)を説得し、人材データの整備と人員配置への活用に向けた検討を推進していた。人材データの整備にめどが付いたころ、松本は伊藤から呼び出され、社長から次年度の体制変更に伴う人員配置案の検討指示を受けたことを聞いた。
社長からの指示は次のような内容であった。「当社を取り巻く事業環境は厳しさを増している。これまで独自性の高い商品開発力を武器に成長を続けてきたが、これからはより顧客の課題に寄り添った商品やサービスの開発を進めていく必要があると考えている。特に優先すべきは営業スタイルの変革である。顧客から定期的に発注してもらえていた従来の「引き合い対応型」の営業スタイルを脱却し、当社の商品の魅力を顧客に訴求して継続受注や追加提案につなげる「ソリューション提案型」の営業スタイルへ転換を目指す。人事部は営業部と協力しながら、次年度の営業体制案と人員配置案の検討を進めるように」
伊藤は松本に社長からの指示を伝えた上で、こう続けた。「これまで君が推進してきた人材データを活用した人員配置が早速実を結ぶときが来たな。この件は君に任せるので精いっぱい取り組んでほしい。もちろん私も協力は惜しまない。有意義な提案を期待しているよ」
松本は想像以上の大仕事になることにプレッシャーを感じつつも、ピープルアナリティクスの価値を社長にアピールする絶好のチャンスだと胸を高鳴らせるのであった。
【STEP1】課題の明確化:目指す営業スタイル実現に向けた課題を整理する
社長から提示された経営方針を受けて、人事部と営業部は今後の検討の進め方について協議を重ねた。その結果、まず営業部でソリューション提案型の体制案を検討し、人事部がそれに基づいて人員配置を検討することに合意したのである。
1カ月後、松本は、営業部から情報連携があるとの会議招集メールを受け取った。メールには、新しい営業体制案に関する検討資料も添付されていたため、松本は早速資料の内容を確認することにした。検討資料では、既存の営業スタイルでは売り上げが頭打ちとなるだけでなく、利益率の確保も課題となるとの分析結果に始まって、ソリューション提案型の営業スタイル(以下、ソリューション営業)に変革するための専門チームを立ち上げ、徐々にその規模を拡大していくロードマップが示されていた。さらに専門チームを含めた営業部の新体制図と業務プロセス、最後に専門チームの要員数と人材要件で締めくくられていた。しかし、資料に目を通した松本の表情は暗かった。「これは伊藤部長にも相談して、今後の対応を考える必要があるな」。松本は1人つぶやき、伊藤との会議を設定するのであった。
翌日、松本は伊藤に営業部の検討資料を共有した上で、今後の人事の対応を協議した。「資料の概要は以上です。営業部から共有された資料を見る限り、ソリューション営業について深く検討されたものであることは分かりました。しかし、体制案はとても現実的とは思えません。まず、営業部が想定している人材要件を満たす人材が社内にほとんどいないことは明らかです。営業部は経験者採用で人材不足を補う想定とありますが、昨今の採用市場を見ても、そのような人材を都合よく確保できるとも思えません」
熱っぽく語る松本をよそに、伊藤は涼しげな表情を崩さなかった。「君の言うとおりだね。ただ、各部からの配員要求が“ないものねだり”になりやすいのは今に始まったことじゃないだろう。部門が実現したいことをくみ取って、人事として現実的な最適解を出す、後は部門と一緒に考えるしかないと思うな。君が現時点で考えているアイデアを聞かせてくれないか」
伊藤の言葉で冷静さを取り戻した松本は、少し考えながら話し始める。「そうですね、営業部が想定するソリューション営業の業務プロセスには、分業の考え方を取り入れる必要があると思います。つまり、営業部が想定している事業活動上の変化点について、1人の営業パーソンが全ての業務を担う必要はないということです。ソリューション営業を幾つかの役割に分割することで分業体制にすれば、各役割に求められる人材要件が当初の想定よりも緩和されるため、社内の現有人材から適性のある社員を配置できる余地があるかもしれません」
伊藤は大きくうなずき、松本の考えを整理するように続ける。「なるほど。例えば、課題解決に強みがあるメンバーが企画を考えて、提案力に優れたメンバーが顧客への提案や調整をするといった分担も考えられるね。実際に、どのような分業が考えられるか営業部との議論が必要だが、ひとまずその方向で人事案をまとめてみようか」
松本は人材市場の情報を引き合いに出しながら、営業部の要望どおりに採用に取り組んだとしても必要人数の確保は難しい見込みであることを示した上で、営業部が想定する事業活動上の機能を基に複数の人材タイプを仮定し、それらの人材タイプによる分業体制を構築する案を取りまとめた。「営業部は、人事の考えを受け入れてくれるだろうか」。松本は込み上げてくる不安を押し込めながら、営業部との会議に臨むのであった。
営業部のメンバーも分業の必要性について一定の理解を示す一方で、やはり懸念を表明する意見も挙がっていた。主な反対意見としては、「当社の営業部は、営業部員一人ひとりがそれぞれの持ち味を活かした営業活動を展開することで業績を拡大してきており、それが営業部員の成功パターン・憧れの活躍イメージとなっている。分業体制を取り入れてしまうと個人の仕事の裁量が限定されてしまい、彼/彼女らのやる気をそぐことになる」とのことであった。松本は当初想定していなかった意見に困惑しつつも、目指す体制・業務プロセスを実現するには分業が不可欠であることを粘り強く訴えた。そして、営業部のメンバーの意見を取り入れながら、営業部員の自律性を極力損なわない役割分担と、それぞれの人材要件を定義していった。
こうして策定されたソリューション営業の体制案は、社長報告を経て正式に承認を得ることができた。松本は「人事と営業部のいずれの視点が欠けても体制案はまとまらなかった」と、事業戦略の実現に向けて人事が営業部の検討に伴走することの意義と手応えを感じていた。しかし、実際にその業務を担う人材を確保できなければ体制案も絵に描いた餅に終わってしまう。松本は、早くも人員配置の検討に意識を向けていたのであった。
解説:事業戦略実現に向けた体制・プロセス・役割分担の見直しの考え方
事業戦略を実現するために、現行の組織体制や業務プロセスを大幅に変更する必要が生じたり、業務の変化に伴って現有人材のスキルセットを転換する必要に迫られたりする場面は少なくない。あるべき組織体制を構想する際には、本来は組織設計を行うときと同様、さまざまな論点を取り扱う必要があるが、本稿では特に外すことができない「創出価値とその実現プロセス」「適切な役割分担」の2点について触れておきたい。
①創出価値とその実現プロセス
「創出価値とその実現プロセス」では、事業変革を実行する目的を明確にする必要がある。例えば、本稿で扱った「ソリューション提案型の営業スタイル」を例に取れば、「受け身・御用聞きの脱却」「顧客の顕在・潜在ニーズに対して自社の最大限提供できる創出価値を提示できるようにする」などがよく挙げられる。これを実現する上で、具体的に現行の事業活動のどこに・どのような変化が生じるのか、抜本的な見直しが必要なのか。また、それらの変化が及ぼす影響を踏まえて創出価値の実現プロセスを検討・決定していく必要がある。
②適切な役割分担
「適切な役割分担」では、先の実現プロセスを誰がどのように実践していくのかを決めていくことになる。しかし、このような変革時には人材不足はつきものであり、現有人材の質的・量的な制約を踏まえた上で、「ヨコの分業(1人当たりの業務範囲)」「タテの分業(指揮命令系統)」に目を配りながら、新体制が効果的に機能するよう分業体制を構築する必要がある。つい現状における実現可能な範囲で役割分担を検討しがちとなってしまうものの、その役割分担でプロセスを回し続ける中で、自社としてのコアコンピタンス(競争優位性の源泉)を継続強化できる形になっているか、事業戦略に貢献する人事としては特に留意したいポイントである。
【STEP2】仮説立案と分析実行:AIで初期配置案を作成する
松本は部下の竹田とともに、会議室で人員配置案の検討を進めていた。竹田は今年からピープルアナリティクス室に配属されているが、以前は人事企画課で人員配置検討に関与していたこともあり、今回の人員配置業務に対するピープルアナリティクスの活用を共に推進してきた頼りになる部下でもある。
竹田は新体制案を眺めながら、やや不安そうにつぶやいた。「これは大仕事になりますね。新しい営業スタイルに適応できる人員が必要なのは間違いないですが、特に新しい営業機能を担える人材が社内にどれほどいるのか……」
松本は竹田の意見にうなずきつつ、「それくらい大きな変革が必要ということだ。新しい営業組織がきちんと機能するためには、部門横断で適性のある人材を配置していく必要があるだろう。竹田さんがこれまでどのような観点で配置案を検討していたのか教えてくれないか」
竹田は検討プロセスを振り返りながら答えた。「まずは現在の部署での経験年数を見ながら対象者をリストアップして、主に過去の所属履歴を基に配属先を検討しています。当社では若手のうちは定期異動で幾つかの部門で職務経験を積みながら、新卒5~10年目をめどに本人の得意領域に応じた部署に配置することで、専門性の確立や組織成果への貢献に注力してもらうことを基本方針にしていますから。次に、各部の人員構成です。人員数はもちろんですが、配置転換後も各部門の業務が円滑に遂行できるよう、部門ごとに配置転換の対象者数や社員の資格等級に偏りが生じないよう配慮していました。後は、社員のキャリア希望ですかね。あくまで候補者が複数人挙がったときの参考情報ですが」
松本は竹田が話した内容をホワイトボードに書き出しながら話を続ける。「なるほど、どれも重要な観点だね。ただ、今回は新しい営業機能を担うことができる、あるいは少なくとも適性のある人材を営業部内外から再配置する必要があるから、社員個々人の職務経験や能力、行動特性、性格といった、よりパーソナルな情報も加味する必要があると思う。まずは、これらの観点を踏まえて、各業務に求められる人材要件を具体化しよう。その上で、これまで人事部で整備してきた人材データを基に各社員が各業務にどの程度マッチしているかを数値化していこう」
松本と竹田は各人材タイプの人材要件を基に、どのような人材データで人材要件との適合率を判断するか、一つひとつ精査していった。その結果、竹田が挙げていた観点に加えて、社員個々人の人事評価、コンピテンシー、入社時適性検査、キャリア面談記録、勤務条件といった新たな人材データがマッチングの判断基準に追加された。
松本らは人材要件と各要件に紐づく人材データをシステムに登録し、AIによって初期の配置案を作成した。「これで候補者の選出はできましたね。それにしてもあっという間ですね。これまで配置案の作成に数週間以上を要していたことを考えると感動します」。もう仕事が終わったと言わんばかりの竹田に対し、松本はたしなめるよう言った。「まだまだ仕事はこれからだ。これはあくまで初期案に過ぎない。候補者の中には各部門で名の知られたエース級社員も一定数含まれているし、各部門もそう簡単に首を縦に振らないだろう。この配置案を精査しつつ、後任者の選定も含めてシミュレーションを行う必要がある。配置案の作成を効率化できた分、われわれはその配置を通じて組織の生産性や成果向上を実現できるか検証に時間をかけないとね」
竹田は、今後の道のりの長さに圧倒されつつも、配置検討業務を通じて組織の生産性や成果向上に寄与できることに奮い立ったようだった。他の人事部メンバーも巻き込んで、配置検討はその後も続いていくのであった。
解説:人材配置におけるマッチング観点
[図表2]人材配置における四つのマッチングと七つの観点
人材配置におけるマッチングには大きく、「ジョブとヒトのマッチング」「ヒトとヒトのマッチング」「『将来』視点(育成・成長)のマッチング」「全体最適視点でのマッチング」の四つに分けることができる[図表2]。これらのマッチングを検討する際は、本人のスキル・経験や人材タイプ・コンピテンシー、働き方の制約といった「ヒト」に関する情報を基に、ジョブとのマッチングを図ることが多いが、ピープルアナリティクスを活用することで、その他のマッチングの種類や観点も組み合わせて、マッチングの精度を高めることも可能である。
ただし、こうしたマッチングの種類に合わせて社内で活用可能な人材データを定義・収集する際は、当該人材データを取得することが費用対効果(ここでは各社員の入力負荷等も含む)に見合うかを忘れずに検証しておきたい。人材要件に合わせて新規にアセスメントを設計・実施することも考えられるが、実際は時間的・金銭的に制約がある場合も多く、現行の評価項目・評価基準を活用するのが第一歩としては現実的な打ち手となる。しかし、配置検討に必要な観点に紐づく情報は、本来タレントマネジメントとして重要なインプット情報でもあるため、既存の評価方法や育成施策等の中に織り交ぜて収集し、今回の案件以外にも利活用できるように、費用対効果に見合うよう仕立てていくことが望ましい。また、収集した人材データがマッチング予測において有効な指標となっているか、統計技術を用いて相関性を導き出すだけでなく、人の目を通じて因果関係を紐解いておくことが望ましい。
【STEP3】分析結果から施策の立案:部門長と配置案を合意する
数週間後、人事部の執務フロアに商品開発部の鳴海部長が大きな足音を立てながら入ってきた。鳴海は当社には珍しく大手医療機器メーカーからの転職組で、開発畑を歩んできた生粋の技術者であり、こうと決めたら譲らない気難しい性格で知られる人物であった。鳴海は松本に向かって怒鳴りつけるように言った。「次年度の営業体制見直しに関して、うちの部門からリーダークラスの人材を何人か異動させる計画があると聞いたが本当か。もともと商品開発部は少数精鋭でやってきているし、次年度は複数の新商品開発も控えている。そのような状況で、さらに人員を削るなど考えられない、人事部は何を考えているんだ」
松本は鳴海の主張を遮ることなく最後まで耳を傾けた上で、次のように切り返した。「商品開発部の状況は存じ上げています。しかし、営業体制の変革は最優先事項であることは鳴海さんもご存じのはずです。とはいえ、ご懸念はごもっともと思いますので、人事部としては後任候補者案を取りまとめた上で、これから各部門にご説明に伺う予定でした。よろしければ今から少しお時間よろしいですか」
松本は鳴海を会議室に案内し、商品開発部の人員配置案を画面に表示させながら説明を始めた。「今画面に投影しているのが、商品開発部の現在の体制図です。そして赤枠で囲っている方々については、営業部へ異動いただきたいと考えています」。鳴海はすかさず割って入った。「やはり人事部は何も分かっていない。例えば、富澤が異動の対象になっているのはどういうわけだ。彼女は商品開発部でも主力商品のチームリーダーを務めている。今後も商品の性能を向上させるためには、チームに欠かせない存在だ」
松本は話を続ける。「富澤さんが商品開発部で実績を残されていることは周知の事実です。だからこそ、富澤さんには営業部でその手腕を発揮していただきたいと考えています。また、富澤さんは、より顧客接点のある仕事に携わりたいとのキャリア希望もありますので、今回の配置転換は富澤さんのキャリア志向にかなったものになると思います」
松本は、営業部の体制案で富澤の経験や知見が活きることを説明した上でこう続けた。「問題となる富澤さんの後任について、人事部で選出した候補者をご提案させてください」。松本は候補者案を示しながら説明を続ける。「まず富澤さんの後任には、商品開発部4課でサブリーダーをしている齋藤さんをご提案します。齋藤さんが担当されている商品も、富澤さんと同じ疾患領域に関するもので、現在担当されている商品をはじめ既存商品の高度化に貢献された実績があります。また、齋藤さんの個人の実力はもとより、チームリーダーとしてメンバーをまとめる力、他者を巻き込む力も高く、チームとしても高いパフォーマンスを発揮できる可能性が高いです」
鳴海は、まだ納得がいかない様子で松本に問い掛けた。「齋藤の手腕は私も高く評価している。商品知識などのキャッチアップは必要だが、富澤の後任として申し分ないとは思う。しかし、齋藤の後任はどうするんだ。抜けた穴が移動しただけで、人員が不足することに変わりはないだろう」
松本は鳴海の反応に深くうなずきながら回答した。「おっしゃるとおりです。なので、次は齋藤さんの後任を立てていくことになります。齋藤さんが現在所属しているチームは中堅クラスの人材もそろっていますし、齋藤さんの後任は同じチーム内の鈴木さんが適任だと考えています。このチームにも長く在籍していて、チームの中でのコミュニケーション量も多く、データを見る限り既にサブリーダーとして動きがとれていることがうかがえます」。
鳴海は鈴木の名前が挙がったことが意外な様子であったが、松本の提示したデータを興味深そうに眺めていた。松本は鳴海の反応に手応えを感じつつ説明を続ける。「したがって、商品開発部の人員補充は主任クラスの人材となります。商品企画部の青木さんは以前から商品開発部への異動希望を出しており、商品開発部員としての適性も十分ですので、他部門からの配置転換で現在の人員は維持できます」
鳴海は青木との面識はなかったが、大学時代の研究テーマや直近の担当業務から、一定の親和性があることは理解した。ただ、松本の示したデータだけで判断するのは疑念も残る。そこで鳴海は、この場では受け入れる判断は難しいとしつつも、青木の上司にヒアリングして見極めたいと申し出た。松本は、「もちろんです。急ぎ調整させていただきます」と答えた。後日、鳴海から松本の候補者案について了解の一報を受け、松本は鳴海を相手に交渉しきれたことに安堵しつつ、他部門の説得に向けた準備を進めるのであった。
数カ月後、松本は全ての部門長の承認を取り付けた上で、経営会議での社長報告に臨んだ。部門長の説得は一筋縄ではいかなかったが、松本が用意したデータに基づく候補者案は、各部門で想定していなかった人材配置の可能性を示すものだった。また、こうしたデータを基に部門長と対話する中で、候補者の人材要件をより詳細に把握することができ、その情報をシステムにフィードバックすることで候補者選出の精度を向上させることもできた。経営会議は無事に終了し、社長からは「多くの困難があったと思うが、よくぞここまで考え、話をまとめてくれた。私もこの体制なら必ずや“ソリューション営業”への転換を実現できるという思いを強くすることができた。ありがとう」
松本は会議終了後、達成感に浸りながらも次のアクションに思いを巡らせていた。しかし、松本は確信していた。「データを味方につければ、必ずや私たちは組織を変えていけるだろう」と。
解説:人員配置におけるピープルアナリティクスの活用例と考え方
ピープルアナリティクスは適材適所による最適配置の実現につながることは既に述べたとおりだが、 本稿で示した“玉突き人事”を含めた配置シミュレーションまでを実現するのではなく、“玉突き人事”までは考慮せず、「ジョブと人材のマッチングスコア/活躍予測度」の可視化までを実現するケースも存在する。特に、人事が主導して異動検討を行うのではなく、社内公募・社内FA等の制度中心に移行しようとする企業や、幹部クラスの配置検討を行う際の参考情報として活用する意図で取り組む企業で実践例がある。
「ジョブと人材のマッチングスコア/活躍予測度」を検討する上では、“スコアの算出方法(考え方)”、“ジョブの粒度”には特に留意したい。“スコアの算出方法(考え方)”については、“ジョブに求められる人材要件をどの程度満たしているか(=要件充足度)”や“同ジョブでの活躍人材に類似しているか”などの各種算出方法が存在する。また“ジョブの粒度”については、個別具体的に一人ひとりの粒度にまで落とし込むことが理想ではあるものの、個別に設定する入力負荷や、またデータ量の制約などからも自社に適した粒度を見極めていく必要がある。
3.おわりに
経営環境が激変する昨今、経営/事業で求める人材も急速に変化・多様化が進み、人事として迅速に対応することが求められている中で、実際にピープルアナリティクスを人員配置に活用する企業が増えてきている。ピープルアナリティクスを活用することで、人員配置検討における人事業務の効率化のみならず、現有人材の能力の最大限の発揮や本人希望にフィットする部署に再配置することで適材適所の実現、さらには、事業戦略の実現に向けた迅速な体制の構築を可能とする強力なツールとして実用化している事例もある。
もちろん、ピープルアナリティクスを活用した人員配置には限界がある。具体的には、各部門の人材に関する情報を全てデータ化することは難しく、ピープルアナリティクスによる配置案の精度にはおのずと限界があるからだ。そのため、人事部には事業戦略の実現に向けた人材ニーズを的確に捉え、活用し得る人材データを用いて作成した配置案に対して、データ化しきれない情報も含めて検証することが必要となる。しかし、これは、人事部が本来注力すべき事業戦略の咀嚼や関係者との対話など、人が注力すべきことに集中することで、より一層経営や事業に貢献するという意味でも非常に意義深い。本稿が、読者の皆さんの事業貢献に向けたピープルアナリティクスの取り組みに、少しでも資することができれば望外の喜びである。
※本ケースに登場する企業・個人等は全て架空の名称です。
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並木優斗 なみき ゆうと デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 コンサルタント 大手SIer企業内大学にて人材開発・育成業務に従事した後、デロイト トーマツ コンサルティングに入社。入社後は、要員・人件費計画策定、人事制度およびタレントマネジメントなどの人事施策の立案~実行支援、エンゲージメントサーベイ設計~実施支援や人事諸施策の展開など、幅広いコンサルティング業務でデータに基づく意思決定を支援している。 |
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松井和人 まつい かずと デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー 10年以上にわたり、一貫して「組織・人事」関連のコンサルティング業務に従事。近年は、ピープルアナリティクス領域に注力しており、最適配置に向けたデータ分析や組織内ネットワーク分析、エンゲージメント分析、幹部開発等の人材育成に向けた分析等、幅広い実績を有している。 特に直近は、AIを活用した異動配置検討をサポートするツール・サービスである“Talent Matching”の開発・提供に尽力している。 |
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山本奈々 やまもと なな デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員 パートナー 人事中計の策定、要員・人件費計画の策定(Workforce Planning)および最適化マネジメント、要員・人件費計画策定プロセスの高度化、人材のトランジション実行支援、組織・人事戦略策定、同一労働同一賃金、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)推進支援、ピープルアナリティクス、人事制度設計等、組織・人事関連のコンサルティングに幅広く従事している。 共著書に『要員・人件費の戦略的マネジメント ~7つのストーリーから読み解く』『"未来型"要員・人件費マネジメントのデザイン』(ともに労務行政) |