野村 彩 のむら あや
弁護士 和田倉門法律事務所
はじめに
前回は本講座における「総論」として、なぜ今コンプライアンスが重要なのか、コンプライアンス違反が起こりやすい状況とはどのようなものかを検討した。今回は人事労務に関わるコンプライアンス違反を中心に、よくある違反の類型をピックアップし、その内容を紹介するとともに、違反となる理由や、どんなリスクがあるかを検討する。
具体的には、まず人事労務に直結する分野として、採用、時間外労働、ハラスメント、SNS利用、人事情報の取り扱いについて検討する。また、取引先との関係で問題になる独占禁止法・下請法の違反および反社会的勢力との関係について、さらにどの部門でも問題になるコンプライアンス違反として、インサイダー取引および窃盗・横領について見ていく。
人事労務に直結するコンプライアンス違反の類型
●採用
採用については、企業には比較的広い裁量があると言ってよい。これは、解雇が著しく制限されることの裏返しという面もある。つまり、わが国においては解雇権濫用の法理があるため、一度採用した従業員に軽々しく辞めてもらうことはできない。だとすれば、企業が採用時に慎重になることはやむを得ない。「本当にわが社に合っている人材だろうか?」と判断するためにさまざまな質問をすることは、それ自体が問題となるものではない。
とはいえ、採用時の最低限のルールは守る必要がある。例えば、年齢、性別、障害の有無によって、採用の機会に差を設けるようなことをしてはならない。「40歳以下の男性募集!」などの募集方法は違法となる。また、応募者の基本的人権を尊重しないような態様の面接や選考は許されない。
本人に責任のない事由、例えば出生地や家族に関する質問をすることはリスクがある。宗教や支持政党、購読する新聞などを尋ねることも、思想・信条に関わるものであり、望ましいこととは言えない。さらに、厚生労働省の考え方としては、身元調査も控えるべきとされている。
●時間外労働
人事労務に関するコンプライアンス違反のうち、最も頻度とリスクが高い類型の一つが、時間外労働に関するものだ。この類型として多いのが、「残業をさせ過ぎている」パターンと、「残業をさせたのに残業代を支払わない」パターンである。いずれも、残業をさせた上司や企業に刑事罰が科されることもある、重いコンプライアンス違反だ。
前者の「残業をさせ過ぎている」パターンとは、具体的には、労使協定で定めた時間を超えて労働者を働かせることである。しかし現場では、「労使協定なんて見たこともない」という管理職は多い。人事として、現場の時間外労働時間をどのように把握するかは喫緊の問題である。超えてしまってからでは手遅れなため、違法となるラインのかなり手前から、現場に警鐘を鳴らしていく必要がある。
後者のいわゆる「サービス残業」は、人事にとって頭の痛い問題である。前述の「残業をさせ過ぎている」パターンについては、人事を含む管理部門の対応で一定程度を防ぐことができるが、サービス残業のパターンはそうはいかない。そもそもサービス残業は、把握ができないところで起きるためだ。したがって、ある日突然、未払い残業代の請求訴訟を提訴されるということがあり得る。やっかいな点は、サービス残業をした従業員や、これをさせる上司は、往々にして私利私欲のためではなく「会社のため」に行っている――ということである。それゆえに、「不正のトライアングル」(前回参照)における「正当化」が非常に起こりやすい場面と言える。
したがって、対応としては、現場の意識改革を行うしかない。サービス残業は「ありがた迷惑」であり、単なるリスクである。この点を管理職・一般社員ともに厳に認識させることが必要だ。
●ハラスメント
ハラスメントも、頻度およびリスクの高いコンプライアンス違反の類型である。一方で、「どこからどこまでがハラスメントなのかが分かりにくい」という声が多い。これは当然と言えば当然で、“犯罪かどうか”という話なのか、“慰謝料請求をしたい”という話なのか、“企業の対応義務”の話なのか、“懲戒処分”の話なのか、それとも“炎上リスク”や“離職率”の話なのか――によってハラスメントの定義が変わってしまうからだ。
例えば、部署の大勢の面前で上司が部下に対して悪質な人格否定をした場合、侮辱罪に該当する可能性がある。また、人格否定された部下は、上司に対して慰謝料を請求できるかもしれない。さらに、そのような行為について企業には対応義務がある。しかしながら、侮辱罪の構成要件と、慰謝料請求が認められる要件と、企業の対応義務が求められるハラスメントの定義とは、それぞれ少しずつ異なる。まして、炎上リスクや離職率の話となると、定義などあってないようなものである。したがって、対応の検討に当たっては「今、どの段階の話をしているのか」を整理しないと話が食い違ってしまう。
以上を前提に、人事のスタートラインとしては、「企業の対応義務があるハラスメント」の定義を知ることが肝要である[図表1]。具体的には、労働施策総合推進法に定める「パワーハラスメント」、男女雇用機会均等法に定める「セクシュアルハラスメント」、男女雇用機会均等法および育児・介護休業法に定める「妊娠・出産・育児休業・介護休業等に関するハラスメント」(いわゆるマタハラ・パタハラ・ケアハラ)だ。なぜなら、企業としてはこれらが起きることのないよう措置を講ずべき義務があり、また実際に起こったときも調査義務などが課される可能性があるためである。この定義を知った上で、さらに知識を深めていくことをお薦めする。
[図表1]企業の対応義務があるハラスメントの定義
根拠法令 |
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パワハラ |
労働施策総合推進法 |
職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されることであり、①から③までの要素とすべてを満たすもの |
セクハラ |
男女雇用機会均等法 |
職場において行われる性的な言動に対する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、または当該性的な言動により労働者の就業環境が害されるもの |
マタハラ・パタハラ・ケアハラ |
男女雇用機会均等法、育児・介護休業法 |
・女性労働者の妊娠・出産等厚生労働省令で定める事由を理由とする解雇その他の不利益取り扱い ・女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、妊娠または出産に関する事由で、厚生労働省令で定めるものに関する言動により、当該女性労働者の就業環境が害されること ・育児休業等の申し出・取得等を理由とする解雇その他の不利益な取り扱い ・育児休業、介護休業その他の子の養育または家族の介護に関する厚生労働省令で定める制度または措置の利用に関する言動により、雇用する労働者の就業環境が害されること |
●SNS利用
従業員の不適切なSNS利用やそれによる炎上は、昨今問題になりやすいコンプライアンス違反の類型である。会社や上司の悪口をSNSに書くという行為は多く見られるが、このような行為は名誉毀損罪や侮辱罪、信用毀損罪、業務妨害罪のリスクがある。悪口を書かれた側に損害が生じた場合、損害賠償請求をされる可能性がある。人事としては、SNSの不適切な利用について懲戒処分の検討を行うことも必要だ。
●人事情報の取り扱い
氏名、生年月日、住所、顔写真などをはじめとする人事情報は、企業の中でも特に秘匿性の高い情報であり、慎重な取り扱いが必要だ。これらは、個人情報保護法上の個人情報となり、また、管理方法によっては不正競争防止法上の営業秘密に該当する可能性もある。いずれの法律も、情報漏えい行為について刑事罰がある、重いコンプライアンス違反の類型だ。
取引先との関係で問題となる類型
ここからは、人事労務には直結しないものの、取引先との関係で問題となるコンプライアンス違反の類型を紹介する。
●独占禁止法・下請法
独占禁止法は「経済の基本法」と呼ばれることもある重要な法律である。その定めは多岐にわたるが、留意すべき項目は、不公正な取引方法の一つである優越的地位の濫用だ。
そして、それをさらに具体的・画一的にしたものが下請法である。下請法は、独占禁止法の補完法とも言われる。要は「下請けいじめをしてはいけない」という法律だが、親事業者としてしなければならないことと、してはならないことが明確に定められている。いずれも把握しておかないと、うっかり違反することの多い項目であり、無知による違反が多いコンプライアンス違反の類型である。
何かを購買したり発注したりするときは、必ず下請法該当の可能性について検討するべきだ。下請法に該当する取引かどうかは、取引の種類と、自社および取引先の資本金の額によって決まる。資本金の額は、登記を確認することですぐに判明する。登記はインターネットでも閲覧できる。
下請法に該当する場合は、法定の発注書面を適切に交付するなどの義務[図表2]をすべて履行するとともに、禁止事項[図表3]を行わないように留意することが必要だ。
[図表2]下請法における親事業者の義務
書面の交付義務 | 発注の際は直ちに法律で定められた書面を交付すること |
支払期日を定める義務 | 下請代金の支払期日を給付の受領後60日以内に定めること |
書類の作成・保存義務 | 下請取引の内容を記載した書類を作成し2年間保存すること |
遅延利息の支払い義務 | 支払いが遅延した場合は遅延利息(14.6%)を支払うこと |
[図表3]親事業者の禁止行為
受領拒否 | 下請事業者に責任がない場合、注文した物品等の受領を拒むこと |
下請代金の支払い遅延 | 物品等を受領した日から起算して60日以内に定めた支払期日までに下請代金を全額支払わないこと |
下請代金の減額 | 下請事業者の責任に帰すべき理由がない場合、あらかじめ定めた下請代金を減額すること |
返品 | 下請事業者に責任がない場合、受け取った物を返品すること |
買いたたき | 類似品等の価格または市価に比べて著しく低い下請代金を不当に定めること |
購入・利用強制 | 正当な理由がない場合、親事業者が指定する物・役務を強制的に購入・利用させること |
報復措置 | 下請事業者が親事業者の不公正な行為を公正取引委員会または中小企業庁に知らせたことを理由としてその下請事業者に対して、取引数量の削減・取引停止等の不利益な取り扱いをすること |
有償支給原材料等の対価の早期決済 | 下請事業者の責任に帰すべき理由がない場合、有償で支給した原材料等の対価を、当該原材料等を用いた給付に係る下請代金の支払期日より早い時期に相殺したり支払わせたりすること |
割引困難な手形の交付 | 一般の金融機関で割引を受けることが困難であると認められる手形を交付すること |
不当な経済上の利益の提供要請 | 下請事業者から金銭、労務の提供等をさせること |
不当な給付内容の変更および不当なやり直し | 下請事業者に責任がない場合、費用を負担せずに注文内容を変更し、または受領後にやり直しをさせること |
●反社会的勢力との取引
取引先が反社会的勢力であるからといって、直ちにその取引自体が犯罪などになるものではないが、現代において反社会的勢力と取引をするということは、コンプライアンス違反そのものに加え、自社のレピュテーション(風評、社会的信用)に致命的なダメージを与える行為である。
そもそも反社会的勢力と取引をすることのないよう、新規の取引先は慎重に調査を行う必要がある。また、取引をする場合も、万が一の場面を想定して、契約書に反社会的勢力の場合の解除条項などを入れておくべきだ。
実際に取引先が反社会的勢力であることが判明した場合は、毅然とした対応が求められる。他方で、従業員の身の安全も重要であり、警察や、反社対応に慣れた弁護士などの専門家に協力を求めることも多い。
全ての部門で問題となる類型
最後に、人事のみならずどの部門でも問題となる、コンプライアンス違反の類型を紹介する。自分が違反しないだけでなく、人事として従業員への注意喚起も行いたい。
●インサイダー取引
すべての上場企業において問題となるのがインサイダー取引である。また、非上場企業であっても、取引先や友人、家族、知人に上場企業やその従業員がいると、巻き込まれる可能性がある。
インサイダー取引とは「上場会社の関係者等が、その職務や地位により知り得た、投資者の投資判断に重大な影響を与える未公表の会社情報を利用して、自社株等を売買すること」を指すが、重要なのは、それによってもうからなくとも該当する、ということである。「M&Aをすると聞き、株価が上がると思って公表前に買っておいたのに、公表されたら逆に株価が下がって損をしてしまった」というような場合も該当するのだ。また、もうけようという気がなくとも該当する。「別にずるいことをしてもうけたかったわけではなくて、たまたま情報を知ったときに買っただけ」というような「うっかりインサイダー」も違法である。インサイダー取引が発覚した場合、企業においてインサイダー取引防止の体制が適切に構築されていたかが問われる。平時の管理や意識改革が重要だ。
●窃盗・横領・詐欺
窃盗罪や業務上横領罪などの刑法犯も、社内で起きることがある。
例えば、会社の備品やサンプル、製品などを権限もなく勝手に持ち帰って自分のものにしたり、知人にプレゼントしたりするなどの行為は、窃盗罪または横領罪となる可能性がある。また、出張のために交付された航空券をチケットショップに販売し、出張先には電車で行って差額を得るなどの行為は、業務上横領罪に該当することがある。あるいは、取引先を接待したとうそをついて、根拠のない経費請求をすることは詐欺罪になる可能性がある。
経費の不正については、事前承認や上長による事後の確認など、手続きの工夫で防ぐことが基本となる。
今回は、人事労務に直結する分野、取引先との関係、そして企業全体で問題となるコンプライアンス違反のよくある類型をピックアップした。次回以降は、個別の場面を想定し、具体的にどのように対応すべきかなどを検討していきたい。
※本連載は、【労務行政eラーニング】不正の防止・対応策を学ぶコンプライアンス講座(管理職・リーダー対象)、ケースで基本を学ぶコンプライアンス講座(全従業員対象)と連携しています。連載でコンプライアンスの学び直しに興味を持たれた方は、ぜひeラーニングの利用もご検討ください。
野村 彩 のむら あや 弁護士 和田倉門法律事務所 2001年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年立教大学大学院法務研究科卒業。2007年弁護士登録。鳥飼総合法律事務所入所。2016年、和田倉門法律事務所に参画。著書・論文に「【万一の際、適切に対処したい企業リスク】ハラスメント対応~いざ起きたとき、どう動くか~」(ウィズワークス株式会社)等。 |