加藤守和 かとう もりかず
PwCコンサルティング合同会社 ディレクター
1.はじめに
昨今、日本企業を取り巻く環境は大きく変わりつつある。地政学的リスク、感染症の世界的流行、新たなテクノロジーの革新、人口動態の変化など、ここ数年だけでも目まぐるしい変化が起きている。これらの変化に合わせて、企業も経営戦略・事業戦略を機動的に組み替えていかなければならない。VUCAの時代といわれるが、企業の舵取りを誤れば大企業や有名企業であっても、あっという間に苦境に立たされる時代となっている。
人材マネジメントも、大きな転換期を迎えている。戦略と人材は、切っても切り離せない関係にあるからだ。企業が大きな戦略転換を図っていこうとしても、それを支えていく適切な人材がいなければ、その戦略は「絵に描いた餅」になってしまう。事業転換と合わせて、人材ポートフォリオを機動的に組み替えていくことが必要になるのだ。
例えば、企業がDX化へ向けた戦略を立てたとしても、それを実行するデジタル人材が確保できなければ実現は困難になる。もちろん、他社とのアライアンスや外部委託などで解決できる部分はあるだろう。しかし、これらの戦略を通じて、企業としての真の強みであるコアコンピタンスの獲得に加え、事業モデルや技術の磨き上げによる加速的成長や発展までは期待しにくい。企業の主軸となるコアな戦略ほど、その中核となる人材を社内に抱える必要がある。
人材ポートフォリオの本質は、企業がこれからの経営・事業戦略上、必要な人材をバックキャストで推定し、人材の量と質を定義することだ。あるべき人材ポートフォリオの実現に向けて、現状とのギャップを可視化し、その差を埋めるための人材調達施策を講じながら、人材ポートフォリオをマネジメントすることが必要となる。人材調達は、採用による外部調達だけではない。内部人材を配置転換し、教育や実践を通して育て上げることも選択肢となる。リスキル・アップスキルは、まさに教育の一環と位置づけられる。
そして、これらを支える基盤ともいえる体制とデータがそろっている必要がある。具体的には、現場部門と人事部門が協力して人材マネジメントを動かしていく体制と、リアルタイムに社員の経験やスキルを確認して職務とマッチングできるデータが求められる。この一連のサイクルが人材ポートフォリオ・マネジメントなのだ[図表]。
[図表]人材ポートフォリオ・マネジメントの全体像
2020年9月に公表された「人材版伊藤レポート」では、「動的な人材ポートフォリオ」と表現しているが、人材ポートフォリオは静的なものにとどまっては意味がない。経営・事業戦略とともに俊敏にあるべき人材ポートフォリオを描き、採用や育成・配置転換などを組み合わせて、ダイナミックに実現していく。まさに「動的」でなければならないのだ。
私たちは数々の顧客企業に対して人材ポートフォリオ・マネジメントを支援してきたが、企業が人材ポートフォリオに取り組む背景にある課題は大きく二つに分類できる。
①事業構造の転換
②専門領域の強化
では、順に解説を進めよう。
2.事業構造の転換
冒頭に述べたとおり、企業を取り巻く事業環境は大きく変化している。中には、大幅な事業転換を必要とする企業もある。事業構造を転換するには、人材の大規模な再配置をしなければならない。大抵の場合、中核となる既存事業を維持しながら、新たな事業を立ち上げていく、あるいは成長事業を伸ばしていくことが求められる。その際に、人材リソースの再配分が必要になるが、単純に頭数をそろえればよいというわけではない。既存事業を守る人材も、新たな事業領域に攻める人材も重要であり、人選を誤ってしまうと事業そのものが沈みかねない。「誰を残すか」「誰を移すか」「足りないピースは何か」が事業の成否を分ける。中期的な人材ポートフォリオを描くとは、まさにどのような布陣で戦い抜くかを明らかにすることでもあるのだ。
ある企業では業務用プリンタを主力事業としていたが、紙での印刷需要が減ることが予測されており、事業構造の転換に迫られていた。そこで、業務用プリンタで培った技術を活かした新事業開発や、紙以外のものへの印刷技術の転用、需要拡大が見込まれる他事業領域への積極投資などが中期戦略の要として盛り込まれた。それを実現するために、事業ごとに必要とする人材の量・質を事業計画からバックキャストで算出し、大規模な組織改編と配置転換を行った。このような大規模な人員・人材の再配置を通じた経営・事業戦略の実現こそが、人材ポートフォリオを策定する狙いの一つである。
事業構造の転換とまではいかなくとも、ビジネスプロセスが大きく変わることが見込まれる際も同様である。テクノロジーの進化によって、大胆な省人化なども可能になってきている。例えば、金融機関などでは、事務業務の標準化・省人化などが随分と進んできている。それまでは、小さな支店などでも事務員が手作業で手続きを行っていたことも、事務センターなどに業務を集約し、AIによって一斉に書類を読み込んで機械処理を行っていくことも可能になっている。
そうなると、今までの事務職や一般職が担っていた業務が一気になくなることが想定される。しかし、日本の労働慣行の中では、雇用継続が大前提となる。そのため、現有人材の雇用を確保しつつ、別の業務に転換してもらわなければならない。では、どのような業務に就いてもらえばよいだろうか。それを明らかにするのが人材ポートフォリオだ。金融商品の個人向け営業、各種手続きのサポート窓口、販売促進企画などのミドルオフィス業務。どのような業務のボリュームが増え、どのようなスキルを持つ人材が、どの程度必要になるのかを見極め、配置転換と教育投資を行っていく。事務職や一般職の廃止を行う企業が増えてきているが、廃止した後にどのような業務に就くかの出口戦略も同時に必要となる。それを明らかにすることこそが、人材ポートフォリオ・マネジメントというわけだ。
3.専門領域の強化
もう一つの大きな課題は、専門領域の強化だ。企業が特定の専門領域を強化しようとすると、それに対応した専門人材が必要となる。特に、デジタル領域の強化は昨今の大きな課題である。デジタル人材が必要といっても、その幅は広い。AIエンジニアやインフラエンジニア、データサイエンティストやITアーキテクチャーなど多岐にわたる。自社のDX化を推進していくためには、どのような人材がどれだけ必要か、自社人材として持たなければならないか、自社で獲得可能か等を明らかにしなければならない。それを可視化していくのが人材ポートフォリオである。
ある企業では、DX化推進を実現するために、いろいろな職種で募集をかけ、デジタルスキルを持つ人材を採用してきた。しかし、数年間の積極採用の結果、「採用しやすい人材」群になっており、DX推進に必要な布陣になっていないことが分かった。DX人材の採用を強化していたものの、均一のやり方で進めたところ、採用成果に大きなバラつきが出てしまったのだ。同社では、改めて事業計画からバックキャストで考え、どのような領域の人材がどの程度必要になるかを検討した。その結果、今後の注力獲得ターゲットとしたのは、「事業開発人材」と「データサイエンティスト」であった。事業開発人材は同社の事業上の課題とデジタルソリューションを掛け合わせて事業化を構想・推進していく人材であり、データサイエンティストはデータに基づいて合理的な判断を行えるように意思決定者をサポートする人材である。
これらの人材の必要数やスペックを明らかにし、サーチファームの活用などを含めた採用投資を強化し、人材獲得にドライブをかけることとした。同社においては、特定の専門領域の人材に絞り込んで、人材ポートフォリオを描いたのである。
企業全体として専門力を強化するために、人材ポートフォリオに取り組む企業が出てきている。従来の日本企業は、総合職という「何でもできるゼネラリスト人材」を抱えて、柔軟な人材配置と対応力を持っていた。しかし、仕事の高度化・複雑化が進んできており、ゼネラリスト人材がパフォーマンスを上げていくのは難しくなってきている。すべての業務には、商流・ビジネスプロセス・ITインフラ・法規制などが深く関わっており、それらの最新情報をキャッチアップしてから成果を上げるまでの異動コストが高くつく。企業としても、ゼネラリスト人材をプールして柔軟に対応するモデルから、一定の時間軸をもって個々人の専門力強化に努めてもらうモデルへとシフトし始めている。
具体的には、まず企業が必要とする人材タイプを特定し、必要な人員数と持つべきスキルや専門力を定義した。その上で、人材タイプ別に専門教育を行うとともに、充足度合いとスキルレベルをモニタリングし、人材タイプ別の専門力向上に取り組んだのだ。まだまだ目指すレベルには遠いものの、確実に現場の専門力は上がっているそうだ。
「人材版伊藤レポート」において、経営戦略と連動した「動的な人材ポートフォリオ」が重要なパーツとして位置づけられている。世間でもその認識は広がっており、2022年実施の「人的資本経営に関する調査(経済産業省)」において、動的な人材ポートフォリオの重要性を認識していないという回答は4.2%にとどまり、重要性自体は強く認識されている。しかし、具体的な「対応策を実行している」という企業は10.5%にとどまっており、手つかずの企業が多くあることが見受けられる。それも、人材ポートフォリオの捉え方自体が漠としており、各社ともに手探りの状態で進めている実態を表しているといえよう。
本連載では、人材ポートフォリオ・マネジメントの具体的な内容や方法論について紹介していく。動的な人材ポートフォリオの構築に悩まれている企業の参考となり、人材ポートフォリオ・マネジメントの取り組みが進んでいくことを願っている。
加藤守和 かとう もりかず PwCコンサルティング合同会社 ディレクター 事業会社の人事部のほか、日系および外資系のファーム数社を経て現職。製造、製薬、広告、ITなど幅広い業界に対して、約20年間の人事コンサルティング経験を持つ。組織設計、人事制度構築、退職金制度構築、M&A、リーダーシップ開発、各種研修企画・運営など、ハードとソフトの両面からの組織・人事改革を支援する。著書に『ジョブ型人事制度の教科書』(共著、日本能率協会マネジメントセンター、2021年)、『日本版ジョブ型人事ハンドブック』(日本能率協会マネジメントセンター、2022年)、『「日本版ジョブ型」時代のキャリア戦略』(ダイヤモンド社、2021年)、『Future of Work』(共著/日本経済新聞出版社、2022年)、『ウェルビーイング・マネジメント』(日経BP、2022年)等多数。 |