2024年04月22日掲載

若手の離職を防止するオンボーディング設計 - 第6回・完 オンボーディングの前提にあるべきは、企業と社員の「相互投資関係」

小栗隆志 おぐり たかし
株式会社リンクアンドモチベーション
フェロー

 本連載の第1回・第2回では、若手社員が離職を決意するときの心理的原理とオンボーディングのゴールについて考察した。そして第3回~第5回は、社歴別に三つの時期に分けて、若手社員の離職理由を解説してきた。いよいよ、今回が連載の最終回となる。オンボーディングは、最終的に企業と社員の関係性の問題に帰着する。そこで、企業と社員の関係性について、歴史をたどるところから始めたい。

「相互拘束関係」から「相互選択関係」へ

 日本は第2次世界大戦後、世界でも類を見ないほどの経済成長を遂げた。その成長を支えたものの一つが、個々人の企業への強い忠誠心である。一人一人が会社や日本の将来を信じて、一生懸命に働いていた時代だ。企業も社員たちを家族のように扱い、企業としての一体感を高めていくことで、さらに強固な関係性を築いていった。
 その関係性をより強くしたのが、「年功序列」「終身雇用」といった日本的雇用慣行だった。この慣行が社会の常識になっていたため、かつては「転職は会社への裏切り行為である」と考える風潮があった。この状態では、「転職」という言葉が社員の頭に浮かぶことはめったになかっただろう。

 一方で、「この会社は社員を解雇しようとしている」などという情報が流れれば、企業も労働組合から激しい抗議を受けた。労使関係は厳しい緊張状態にあったため、企業は簡単に「解雇」という言葉を口にできなかった。

 今でこそ、見直すべきと言われることも多い「年功序列」と「終身雇用」だが、決してデメリットばかりではない。成長途上の企業においては、社員が長く定着してくれることは大きなメリットである。このメリットを享受するために、長く働くことに報酬で報いる「年功序列」や、安心を保障する「終身雇用」という制度がフィットしていた。
 企業は社員の将来を期待して、社員に経験や技術を提供し、社員は企業と自分の成長を信じて活動することができた。それは、お互いに裏切ることはないという「相互拘束関係」が前提にあったから、実現できたことなのだ。さらに言えば、経済が成長し続け、事業環境の変化が少ない環境だったからこそ、長く働くことで経験や人脈を蓄積して高い成果を生み出すことができた。そのため、「長く働く社員=優秀な人材」と認められていた。

 やがて、高度経済成長期が踊り場を迎えると、潤沢な資産を元手にしたマネーゲームが始まった。社会の空気もマネーゲームをあおり、結果的に日本経済はバブルを迎え崩壊に至る。グローバル競争の中で過酷な現実を突き付けられた日本企業は、従来のように定年年齢まで社員の雇用を保障し続けることが難しくなった。そして、1990年代後半から「希望退職」という言葉が新聞紙面に登場するようになる。企業側から、「相互拘束関係」の解消を社員側に打診し始めたのだ。この頃から、企業と社員の関係は「相互選択関係」に移り変わっていった。

 「相互選択関係」に適応するように、社員側の意識も変わってきた。経済成長に伴って生活水準は向上し、働く理由は「生活するためにお金を稼ぐ」というだけではなくなっていった。仕事を通じてやりがいを感じ、感謝の声をもらうことを重視したり、一緒に働く人たちとの仲間意識を大切にするなど、「企業に所属する理由」が多様になっていったのだ。「自分の価値観に合わせて所属する組織を選ぶ」ことが普通になってきたとも言えよう。そのような社員の意識変化に合わせて、人材紹介が活発化し、転職市場は拡大していった。転職が珍しくなくなった結果、「転職=会社への裏切り行為」であるという考えは薄れていった。
 また、価値観の変化だけでなく、雇用形態や事業環境の変化も転職市場の拡大につながった。例えば、人材派遣をはじめとする人材活用の新しい仕組みが生まれ、企業の雇用形態は多様化していった。また、DXへの対応などを背景に、新卒で採用して育てるのではなく、社内に設けた新たな職種について、専門人材を採用する企業も増えている。これらの背景には、企業は競争優位性を維持するために、長く培った経験則よりもイノベーションなどの新規性を求めるようになったことが挙げられる。結果として、「長く働く社員=優秀な人材」という等式は成り立たなくなった。

 このような時代の変化を受けて、企業と社員が互いを縛る「相互拘束関係」より、企業と社員が互いに選び合う「相互選択関係」のほうが、双方にとってメリットが大きくなったと言える。そして2000年代以降、労働市場や企業の人事制度は、「相互選択関係」に合わせていくこととなる。

「相互選択関係」だからこそ生まれた悲劇

 企業と社員が、お互いに最適な相手を選び合う「相互選択関係」は、双方にとって満足感が高くなるだろうと思うかもしれないが、その中で生まれる悲劇も存在する。まず、社員目線だと、「選ばれる社員」と「選ばれない社員」の二極化が進むのだ。

 労働市場がオープン化することにより、企業は多くの人材にリーチすることが可能になった。今まで出会えなかったような優秀な人材に出会う機会が増え、結果として優秀な人材は引く手あまたになる。そのため、企業は優秀な人材を雇おうと、明確に年収差をつけるようになる。現在、エンジニアなどの希少性の高い人材は、新卒でも高額の給料で迎える企業が増えていることも一例である。

 一方で、選ばれない人材は、逆にとことん選ばれないリスクがある。希望する企業への就職が困難になった結果として、望んでいたキャリアや給料を得ることができずに、妥協しながら働くことになる可能性があるのだ。就職の選択肢が少なかった時代なら、諦めもついただろう。しかし今は、就職の選択肢が目の前に広がり、期待も膨らむ分、期待どおりにいかなかった場合に味わう挫折感も強くなった。これが、「相互選択関係」が招いた、社員側にとっての悲劇の一つだ。

 さらに悲劇的なのが、就労期間が長期化したことで、選ばれないリスクにさらされる期間も長くなっていることだ。
 国は、70歳まで社員を雇用することを推奨するようになっている。おそらくこの年齢は、さらに上がってくるだろう。少子高齢化が進む中、労働力人口を維持するために雇用期間の長期化が必至だ。そうなると、20歳そこそこで社会人をスタートするとして、50~60年もの間、企業内外で「相互選択関係」に基づく競争を強いられることになる。かつてないほどの長きにわたって、選ばれないリスクを感じながら働き続けなければならないのだ。

 企業においても、同様の悲劇がある。お互いに選び合うということは、「選ばれる企業」と「選ばれない企業」に二極化するということだ。かつては、集団就職に始まり、大学でのつながりや地元のネットワークなど、人の紹介によって採用ができた。しかし、やがてインターネットが普及し、多くの応募者が採用情報にアクセスできるようになった。応募者から見ると、それぞれの企業は選択肢の一つでしかないため、結果として「選ばれない企業」が増える。労働市場での評判が重要になり、不人気企業・不人気業界というレッテルを貼られてしまうと、採用するのも一苦労である。採用できたとしても、ほかに魅力的な企業が見つかればすぐに転職されてしまい、また採用に奔走することになる。

 さらには、就職段階での人気・不人気にとどまらず、入社後の社員への対応の良しあしも白日の下にさらされるようになった。厚生労働省によるブラック企業の公表や、社員によるクチコミのオープン化などが、それに拍車をかけている。人気企業はさらに人気になり、不人気企業はさらに不人気になるという構図が加速するようになった。「選ばれる企業」にとっては大変喜ばしいことであるが、「選ばれない企業」にとっては悲劇でしかない。

 企業にとっても社員にとっても、「相互選択関係」の時代においては、選ばれる側は自由度が高まり、選ばれない側は不自由度が高まる。連載のテーマであるオンボーディングにおいては、企業が選ばれる存在であり続けることが前提になる。では、企業が選ばれる存在であり続けるためには、どのような視点が必要なのだろうか。

あるべき関係性は、「相互消費関係」ではなく「相互投資関係」

 ここで、別の切り口から企業と社員の関係性を捉え直してみたい。
 企業は、社員の労働力を活用して事業運営を行い、売り上げや利益を生み出している。一方で、社員は「キャリア資産」を提供することで、企業から対価として報酬を得る。キャリア資産という言葉を使ったが、ここでは仕事で成果を出すための“原資”だと思ってもらいたい。例えば、労働する時間、提供できるスキル、活用できる人脈などが原資に当たる。そして社員は、「この企業は、自分のキャリア資産を提供するに値するか」を見ている。
 キャリアの浅い若手社員の場合、技術が未熟であり人脈も少ないことが多いため、最大のキャリア資産は時間である。彼らは企業に貴重な時間を提供しながら、今後の社会人生活に向けたスキルや人脈などのキャリア資産を蓄積しているのだ。将来の果実を得るために、今ある資産を提供するという点では、投資活動と同じである。その意味では、若手社員というのは「時間投資家」とも言える。

 時間投資家である若手社員に対して、企業は何を還元できるだろうか。「時間を提供してもらった分だけ給料を払う」というのは、労働基準法でも定められている当たり前の行為だ。それだけでなく、若手社員のキャリア資産を増やすことにつながるものを提供する必要がある。

 企業が若手社員に提供するものと言えば、仕事そのものだと考える方もいるかもしれない。ただし、その際に「売り上げの向上や、組織にとっての円滑な課題解決のために必要な仕事を任せる」というのは、企業側にばかり都合が良い考えだ。将来のキャリア資産につながらない仕事を提供していると、若手社員は自分の時間を「投資」ではなく「消費」することになってしまう。そうなれば、やがて彼らは、「時間投資先」としてより適したほかの企業を探し始めるだろう。

 つまり、キャリア資産につながるものを還元していかない限り、若手社員は企業に時間を投資し続けてくれないのである。仕事を通じて将来に生かせる経験や技術を得たり、社内外の人脈を広げていくなど、企業も社員も互いにキャリア資産を自覚的に積み重ねていくことで、両者の関係性は持続する。実は、第3回~第5回で解説した社歴別の対応方法は、該当する年代の若手社員がキャリア資産を積み重ねるための方法論でもあったのだ。
 ちなみに、昨今の「人的資本開示」の流れもあって、「社員のキャリア資産を積み重ねるための企業の取り組み」が社内外から注目される状況へと変化してきている。

 ここまで、企業から社員に対する還元について述べてきたが、相互関係である以上、社員から企業に対する還元についても同じように考えなくてはならない。社員が企業にキャリア資産を投資するように、企業も社員に対して金銭という資産を投資している。特に若手社員は、すぐに企業に大きな利益をもたらすことは難しいため、将来的に成長して成果を還元するしかない。若手社員が、単に給料をもらうために目の前の仕事を淡々とこなし、仕事に飽きたら辞めるということを繰り返していたら、企業は提供する金銭資産を単に「消費」することになってしまう。
 最近では、「新卒で入った会社はキャリアのファーストステップである」という風潮がある。企業と社員との立場の強さの違いや時代的背景から、この風潮を完全には否定しない。しかし、企業は社員の将来を期待して投資しているのだということを、若手社員側にも理解してもらえると、より健全な関係性を築けるだろう。

 企業と社員が、報酬と時間とを刹那的に交換し合っているだけだと、それぞれの資産をすり減らす「相互消費関係」になりかねない。その関係では、企業も若手社員も互いに「選ばれない」側に回ってしまい、ともに望まない未来が待っているだろう。そうではなく、企業は社員に経験や技術を提供し、社員は企業と自分の成長を信じて活動するべきだ。互いに将来の資産向上を期待しているような関係は、まさに「相互投資関係」であり、それでこそ企業と社員の将来の可能性は広がっていく。

相互選択の時代、選ばれ続けるために必要なのは「信頼」

 ここで、本稿の前半に立ち返りたい。かつての「相互拘束関係」では、「企業は経験や技術を提供し、社員は企業と自分の成長を信じて活動していた」と伝えたが、これは「相互投資関係」においての目指す企業と社員の在り方と同じなのだ。「相互拘束関係」と「相互投資関係」における理想的な企業と社員の関係性は同じものだが、その前提に違いがある、と言うことができる。「相互拘束関係」は「互いに裏切ってはならない」という緊張感が前提にあったが、「相互投資関係」は「互いに将来を期待する」という信頼感が前提にあるのだ。

 企業と社員がお互いに選び合うことができる時代において大切なことは、社員は企業の将来を期待して自分自身を磨き続けることであり、企業は社員の将来を期待して機会を提供し続けることである。そして、その前提には、互いの将来を期待するという「信頼インフラ」が必要である。相互選択の時代に、選ばれ続けて自由を享受できるかどうかは、「信頼」に値する企業や個人であるかどうかにかかってくる。

 第2回で、オンボーディングのゴールは「戦力化」ではなく「一体化」であるとお伝えした。これは、単に戦力として若手社員を捉えるのではなく、ともに企業の発展を目指す仲間となることをゴールとする考え方だと言える。「一体化」をゴールとしたオンボーディングのプロセスでは、若手社員が「この会社は、自分の貴重な時間を提供するに値するのか?」と悶々(もんもん)としている時間が短くなり、「この会社で一緒に成長していこう」と腹を決めて過ごす時間が長くなっていく。このプロセスを実現するには、企業が若手社員を信頼し、その将来を期待して、キャリア資産を高めるための機会投資を惜しまないことが必要だ。

 やがて、若手社員は自分と自社の関係を「私たち」と自然に表現できるようになっていく。本連載では、これを「We感覚」と表現した。「We感覚」を獲得できたときに、若手社員は新規事業を生み出す企画者になり、次世代の若手を力強く育てる指導者になる。そして、次の管理職候補になっていくことだろう。経営者としては、「We感覚」が育まれた人材が多く自社に存在している状態ほど安心できることはない。

 昔も今も、企業と社員の理想的な関係は変わらない。ただし、その前提には「緊張」ではなく「信頼」の2文字がなくてはならない。オンボーディングでは、お互いの「信頼」を築いていくことが最も大切なのである。

プロフィール写真 小栗隆志 おぐり たかし
株式会社リンクアンドモチベーション
フェロー

早稲田大学卒業後、2002年に株式会社リンクアンドモチべーション入社。営業・コンサルティングに従事し、幅広い顧客の組織変革を成功に導く。2011年に株式会社アビバ(現:株式会社リンクアカデミー)取締役就任。2014年に株式会社リンクアカデミー代表取締役社長就任。2017年に株式会社リンクアンドモチべーション取締役就任。組織から選ばれる個人(アイカンパニー)創りを支援する個人開発部門の統括責任者を務めた後、2023年より現職。