山本陽二 やまもと ようじ
社会保険労務士法人パーソネル・パートナーズ 代表社員
人事コンサルタント/特定社会保険労務士
1.押さえておきたい労働関係法令の基本
人事部に所属していたとしても、概して労働関係法令に関する知識は乏しいのではないかと勝手ながら思っている。実は私自身、社会保険労務士資格を取得しようとした動機の一つはそこにあったからだ。昨今実務では、働き方改革関連、育児・介護休業、パワハラ防止措置、無期転換、副業・兼業、高年齢者雇用など、さまざまな局面での労働条件に関連する法令が多くあり、HRBPとしても基本となる労働関係法令は押さえておくべきと思料する。
さらに労務関連の実務において最低限押さえておきたいのは、労働基準法(以下、労基法)と労働契約法(以下、労契法)の以下の部分である。
まず、労基法では「強行法規」であることを再認識しておきたい[図表1]。つまり、労基法は「公の秩序に関するものであることから、これに反する行為は無効」といった強制力を持っていることは頭に入れておく。
労基法13条
この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、この法律で定める基準による。
たとえ就業規則や労働条件明示書などで定めた労働条件であっても、「労基法に反するものは無効」となるということは認識しておきたい。
[図表1]強行法規としての労働基準法
次に労契法だが、例えば賃金等の労働条件の変更、有期労働契約の締結や更新時の実務、また退職勧奨や解雇への対応などは労契法の主旨を念頭に対応することが望まれる。HRBPは極めてセンシティブな課題を担当することもあるので、労契法3条および同条5項の主旨やそれに関わる裁判例・解釈等を踏まえて慎重に対応することが望まれる。
(労働契約の原則)
第3条 労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。
同条5項 労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。
なお、解雇は使用者側の権利ではあるが、解雇制限があること、さらには、たとえ就業規則の解雇事由に該当したとしても、必ずしも有効な解雇事由にならない。つまり解雇権の濫用と捉えられてしまう場合もあり得るので、慎重に対処したい(労契法16条)。
(解雇)
第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
2.労働問題への対応
[1]個別労働紛争の相談内容
解雇、配置転換、雇止め、労働条件の不利益変更、いじめ・嫌がらせなど個々の労働者と事業主の間の争いに、裁判とは別の立場で迅速に適正な解決を図る制度として「個別労働紛争解決制度」がある。これは、個々の労働者と事業主との間の労働条件や職場環境などを巡るトラブルを未然に防止し、速やかに解決を図るための制度である。相談内容で最も多いのが「いじめ・嫌がらせ」で全体の22.1%を占める。以下「自己都合退職」13.5%、「解雇」10.1%と続く[図表2]。
[図表2]民事上の個別労働紛争(相談内容別の件数)
資料出所:厚生労働省「令和4年度個別労働紛争解決制度の施行状況」
[注]( )内は、内訳延べ相談件数に占める割合。内訳延べ相談件数は、1回の相談で複数の内容にまたがる相談が行われた場合に、複数の相談内容を件数として計上したもの。
[2]パワハラ
2022年4月よりパワーハラスメント防止措置がすべての企業に対して義務化され、組織としての対応が求められることとなった(改正労働施策総合推進法)。HRBPとしてもパワハラ防止に向けた諸施策の実施について、リードしていかなければならない。
パワハラは、とりわけその行為が「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」なのか、「指導の範囲」なのかの判定が難しい。なぜなら、その境界線にグレーゾーンが存在しているからだ。確かに、事情聴取してもお互いが自身を正当化する主張に終始してしまい、判定が困難となる場合がある。その結果、安易に「指導の範囲」、つまり優越的な立場のほうが正当化される場合も多いのではないかと危惧する。というのも、「社内の相談窓口に相談しても無駄だ」という声が時々聞かれるからだ。もしそうだとしたら、いささか残念なことではある。
確かに、一般的に会社から評価され、上位の職位に就いている方は、そのマネジメントスタイルにおいて、厳しく部下を指導して成果を出している場合も少なくない。成果が出ている以上、それを会社として否定すること自体、困難な実情もあるだろう。
一方で、権力を背景に行き過ぎたマネジメントをしているケースもあると推察する。少なくともHRBPとしては、社員からの信頼を損ねることのないようにしたい。あくまでも公平性を担保して判定できるように関わることを意識する。せっかくの相談窓口を有名無実化してはならないのだ。
そのためにもHRBPとしてできることは、このようなマネジメントの “癖” を早期に見つけることだ。周囲からの情報も含め、対処が必要と感じれば当事者に進言したい。もしかすると、当事者にはパワハラの意識がないかもしれない。もちろん、部下の過剰反応も十分にあり得る。伝え方は慎重に行うようにして、早い段階で注意を促すことも必要だろう。煙のうちに火消しをしたい。気になったら、社内のヒエラルキーに臆することなく、会社の良心として勇気を出して行動してほしいと願う。
優越的な立場から生じるパワハラは、上司・部下の関係だけではない。特にいじめ・嫌がらせは同僚同士でもある。
ここで、筆者が経験した事例を紹介しよう。“先輩社員の態度の急変に我慢できず、つい手を上げてしまった後輩社員” のケースである。キャリア採用で入社した社員の指導役となったA先輩が、態度を急変させて冷たくなった。それまで丁寧に指導してくれて、仕事以外のことにも相談に乗ってもらい信頼していただけに、先輩が豹変した理由が分からなかった。A先輩を問いただしてもまともな返答がない。その社員は先輩に裏切られたと思い、つい感情的になってA先輩に平手打ちをしてしまう。執務中の出来事だったので、すぐに情報が寄せられ調査することになった。結果としては、そのキャリア社員の存在を嫌った別の社歴の長いBからA先輩に対して「無視しろ」などの指令があったとのこと。A先輩は拒むことができず、冷たく接するようになったことが分かった。暴力は論外だが、第三者が陰で主導した嫌がらせであった。なんとも後味の悪い事例だが、Bのこれまでの言動に注意が及んでいなかった結果でもあると感じた次第である。
あらためてハラスメント自体は、自社内で解決することが原則であり、組織の自浄作用が望まれる。つまり、社内で解決できないとなると、前述の個別労働紛争解決制度の労働相談コーナー等に話が向かったり、場合によっては訴訟等に発展したりすることにもなりかねない。そうなると時間もコストも余分に取られてしまうので、未然に防ぐ対策を講じておくことは重要だ。
[3]セクハラ
昨今は、各社とも社内ポリシーの啓発やセクハラ行為をしたときの影響等について周知されているため自制が効いていると思われる。ただし、もしセクハラが起きたときに最も気をつけたいことは、被害者の心情に寄り添うことである。間違ってもセカンドハラスメント(救済を求めて相談したにもかかわらず、被害者が誘惑した、あるいはそれを誘発した等の疑いの目を向けるなどの2次被害が起こること)を侵してはならない。
“役員からセクハラを受けている” と、秘書から通報があったケースを紹介する。事の始まりは、その秘書が入社して間もなく役員から緊急時の対応との理由で、プライベートのメールアドレスをやむなく教えてしまった。ところがその後、業務外の時間に、個人的な内容のやりとりやしつこく食事に誘うなどのメールが頻繁に届くようになったことから相談があったものだ。その際、被害者(秘書)の意向を確認したところ、役員のスマートフォンに登録してあるメールアドレスを人事立ち会いの下で削除させることと部署異動であった。本件は役員も認め、すぐさま対応した結果、大きな事態には発展しなかった。早い段階で相談があり、すぐに対処できた事例である。
そのほかにも社内不正など労働問題は多岐にわたる。対応するには、精神的にも時間的にも多くの負担を強いられることになる。HRBPとしては、できるだけ未然防止に心掛けるとともに、解決に向けた最善策を講じていただきたい。
3.業務改善プログラム
業務改善プログラム(Performance Improvement Program)は、特に外資系企業に勤務している方はご存じだろう。その人材に求められる役割や成果に対して大幅に下回る社員に対し、改善プログラムを策定して具体的な課題を一定期間で実施し、それを評価する。基本的には、上司が主体となって行うものだが、HRBPも関与せざるを得ない案件である。マネジメント側にも何らかの問題がある可能性は排除できないからだ。
このプログラムは、あくまでも改善を目指すことに重きを置いていることを認識しておきたい。プログラム自体が退職勧奨を促進するものといった誤った認識があると、この制度自体に疑義が生じることとなり、立ち行かなくなるだろう。したがって、既に社員に対して相応の指導が行われていることを前提に、このプログラムが存在することを共有したい。
プログラムの実施前には、なかなか思う成果が出せない社員に対して、上司が課題と認識している点を明らかにして、日常のOJTを通じて改善に取り組むことが必要となる。自ら解決できるようにTo Doリストの作成を支援するなど改善に向けて必要なフォローを行う。そして、改善が認められなければ、その内容について双方で確認することだ。それでもなお抱えている問題があれば、その原因を把握して、さらに深堀りをする。そうしたPDCAをできるだけ早く回し、改善に向けた支援を継続していく。それでも改善が認められなければ、ここから業務改善プログラムを実施することとなる。
繰り返しになるが、いきなり業務改善プログラムを実施するのではない。OJTを行った上での最終的な手段であり、一段上のステージでの取り組みであると認識しておく必要がある。さらに1回で改善できなければ再度行い、その結果によっては配置換えや降格などを検討することにもなる。いずれにしても、上司任せにしてはいけないことを念頭に置くことだ。
4.懲戒処分・解雇
就業規則にある服務規定や懲戒規定等に反した場合には、厳正に対処しなければならない。それが誰であろうと猶予を持たせてはならないのだ。HRBPとしても厳正に対応しなければならないことは言うまでもない。適切なプロセスを踏むことが求められる。処分の重さは前例との比較になるだろうが、丁寧に状況を把握することがポイントである。
また、懲戒解雇についても解雇予告をもってするのか、即時解雇なのか慎重にかつ素早く判断して対応したい。解雇予告手当を支給する場合には、解雇日と手当額を給与担当者などと確認しておくことも必要となる。
特に気をつけたいのは整理解雇である。いわゆる4要件(①経営上の必要性、②解雇回避の努力、③人選の合理性、④労使間での協議)が求められる。少なくとも、これらすべての要件を満たすよう抜け漏れがないように働き掛けたい(ただし、近年の裁判例では4要件ではなく、4要素として総合的に判断するケースも出てきている)。
5.休職・復職、退職
[1]休職・復職
私傷病による休職が長期にわたると想定される場合には、主治医による診断書を求める。また、自社の休職制度は正確に把握しておく。休職に入る際は想定される休職期間を確認しておく。その上で、休職期間を満了しても復帰できない場合の措置も確認して、当事者と共有しておきたい。また、期間中の給与や社会保険料の扱い、傷病手当金の手続きのフォローなど実務手続きもさることながら、制度内容は確実に把握しておきたい。
順調に回復して復帰することとなった際の時期や配置、そして復職プログラムの適用も本人の意向をくみ取り、産業医の意見も聞きながら進めていくこととなる。これら復職に関する手続きの際には、休職に至った原因が再燃することも想定しておきたい。特に精神疾患の場合には、その因果関係を明確にすることが困難なケースもあり、後になって実はハラスメントに起因するもので労災であると主張されることもある。言い分をよく聞いて、話し合いを進めることが重要である。
[2]退職
退職者に関してはインタビューを必ず行いたい。可能な限り退職に至る本当の理由を聞き取りたいからだ。「袖振り合うのも多生の縁」ではないが、少なくとも希望して入社したので、置き土産などと称して何か自社の改善につながるヒントが得られれば、有効に活用したいものだ。
6.まとめ――HRBPの役割とは
筆者が、かつて所属していた企業では、マネジャーの評価項目にエンゲージメント・スコアを取り入れていた。毎年グローバルで観測をしていたが、日本は他国と比して低い傾向にあったものの、対前年からの成長の度合いに重きが置かれていたため、HRBPも担当部門の伸長率を向上させるため、各マネジャーと議論をよく交わした。このスコアは、定量的に把握できるものとしてHRBPの成果が目に見える数少ない評価指標でもあった。もちろん点数だけでは測れない日常的なプロセスもあるわけだが、結果として水面下の活動が表に出て評価される場面でもあり、励みになったり、反省したりの繰り返しであった。
最後に、あらためてHRBPの役割について触れておきたい。『1兆ドルコーチ』(エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル著/櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)の中に、「人がすべて」というくだりがある。そこには、どんな会社であっても、成功を支えるのは人であること。そして、「マネジャーのいちばん大事な仕事は、部下が仕事で実力を発揮し、成長し、発展できるように手を貸すことだ」としている。まさに私が思うHRBPの役割と重なる。
人を活性化させて、その結果として強い組織が形成される。成果を出し続ける強い組織づくりに向け、良好な職場環境をつくり上げることがHRBPの使命ではないだろうか。
山本陽二 やまもと ようじ 社会保険労務士法人パーソネル・パートナーズ 代表社員 人事コンサルタント/特定社会保険労務士 大手総合建設会社、米系医療機器、大手卸売業等の人事部門、直近においては社会保険労務士法人や人事コンサルティング会社の代表を経て現職。 一貫して人事・労務畑を歩み、人事戦略の立案、人事制度設計、教育、採用、労働問題等、幅広く経験を重ねる。事業内容を十分把握し、経営方針や企業風土を踏まえた上で、公平で一貫性のあるトータル人事コンサルティングの提供を心掛けている。 |