2024年07月12日掲載

人的資本経営時代におけるトータルリワード戦略 - 第2回 金銭報酬

徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー

周川淳平 しゅうかわ じゅんぺい
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 人事戦略室 チーフコンサルタント

1.はじめに

 金銭報酬には「やる気の促進」の役割を果たすMotivatedの報酬(リワード)と、「安心感の醸成」の役割を果たすSecureの報酬(リワード)がある(第1回[図表5]参照)。企業の経営戦略と人事戦略を踏まえ、この二つの報酬(リワード)をうまく組み合わせると、報酬全体が有効に機能し、企業価値向上につながるものと考える。金銭報酬はコスト負担を伴うものではあるが、構築された報酬(リワード)の狙いや目的を従業員に周知することは重要であり、しっかりと理解・納得してもらえれば「人生を託したい職場」と評価されるだろう。

※本稿における意見に関わる部分および有り得るべき誤りは、筆者個人に帰属するものであり、所属する組織のものではないことを申し添える。

2.報酬戦略を取り巻く環境

 米国のPR会社エデルマンは、毎年、世界28カ国、約3万2000人を対象とした信頼度調査「エデルマン・トラストバロメーター」を実施している。2023年調査では「あなたの働いている会社を信頼していますか」のアンケートを実施しており、その調査結果において信頼しているとの回答は日本では47%であり、世界平均の62%に比べて残念ながら低い結果であった。この要因はいくつか考えられるが、失われた30年と呼ばれる長期にわたる経済の低迷が続き、賃金が伸び悩んでいたこともその一つであろう。
 厚生労働省が公表した「令和5年版 労働経済の分析」によると、1996年から2020年ごろにかけて、日本はOECD諸国の中でも労働時間が大きく減少しており、労働分配率も低下している。その結果、名目賃金や実質賃金の伸びはともに他国に比べて大きく劣後しており、国内のどの産業で見ても同じ傾向となっている。同省はこのように賃金が伸び悩んでいる背景について、五つの仮説を立てている[図表1]

[図表1]賃金が伸び悩んだ背景

①企業の利益処分の変化 企業の内部留保は付加価値額の増加等を背景に増加している。先行きの不透明感等、将来見通しの低さが企業をリスク回避的にさせ、企業が賃上げに踏み切れなかった可能性
②労使間の交渉力の変化 企業の市場集中度が高く、また、労働組合加入率が低いほど、賃金水準が低い傾向がある。労働組合組織率の低下等、労使間の交渉力の変化が賃金を下押しした可能性
③雇用者の構成変化 雇用者の構成(産業構成・勤続年数・パート比率等)割合を1996年で固定した試算値や、賃金の寄与度分解を見ると、雇用者の構成変化が賃金に影響している可能性
④日本型雇用慣行の変容 同一企業に勤め続ける「生え抜き正社員」割合は低下傾向で推移している。大企業では、「生え抜き正社員」の昇進の遅れも賃金を下押しした可能性がある
⑤労働者のニーズの多様化 ここ25年で就業者に占める女性や高年齢層の男女の割合が上昇している。女性や高年齢層では、希望賃金が低い傾向があり、また、相対的に求人賃金の低い事務的職業や運搬・清掃等の職業を希望する割合が高い

資料出所:厚生労働省「令和5年版 労働経済の分析」を基に筆者作成

 [図表1]のうち「①企業の利益処分の変化」は、財務省の「法人企業統計調査」でも直近の動向が示されている。2023年9月に財務省が発表した同調査結果では、金融と保険を除いた国内企業の内部留保(企業が手元に残している利益剰余金)は2022年度約555兆円で、前の年度より7.4%増加、内部留保が増えるのは11年連続で、過去最高となった。
 企業の内部留保は、設備投資や株主還元などさまざまな形で活用が可能であるが、リスクへの備えという考えがこれまで重視されてきたのかもしれない。一方で、昨今の経営環境の変化は、攻めに転じる視点でも「追い風」との見方もある。今後、どの分野に注力していくかは経営戦略そのものであるが、人事戦略と連動させ人的資本へ投資していくことも、企業価値を向上させる一つの重要な戦略と考える。

3.金銭報酬とは

 企業が価値創造に向け人的投資を進めていくに当たり、報酬(リワード)の中でも特にコスト負担を伴う金銭報酬について、どのような観点で制度構築していくことが望ましいか考察していきたい。
 第1回で「トータルリワード戦略のフレームワーク」として[図表2]を示したが、このうち金銭報酬の7項目を取り出して概要を整理したものが[図表3]である。

[図表2]トータルリワード戦略のフレームワーク

図表3

資料出所:本連載「第1回 トータルリワードの全体像」の[図表3]

[図表3]金銭報酬の概要

図表3

資料出所:筆者作成

 [図表3]の概要に記載のとおり、各報酬(リワード)は支給の目的や金額の算定基礎が異なる。人事戦略に合致した金銭報酬の組み合わせ(以下、金銭報酬ミックス)を構築するためには、それぞれの報酬(リワード)の役割を十分吟味して進めていくことが重要と考える。
 さらに、支給タイミングについても報酬(リワード)ごとにまちまちであり、その使途もさまざまである。例えば、毎月定期的に支払われる給与は、従業員にとって日々生活していく上で必要不可欠なもので、給与に上乗せして支払われる各種手当や福利厚生も同様に生活に直結する位置づけであり、これらを「Pay Now(即時払い)」と定義した[図表4]。一方、賞与は通常、事業年度の通期や半期など一定の期間での企業や個人の業績などに基づいて金額を確定させ、その後比較的早期に支払われるものである。また、株式報酬や退職給付のように、株式数や金額が確定した後、支払われるタイミングがしばらく先となるものもある。一般に株式報酬における株式の交付時期は、中期経営計画の期間ごとまたは退職時とするケースが多く、退職給付は、退職時に一時金または一定の年齢に到達後年金として支給されることとなる。これらを「Pay Later(後払い)」と定義した。

[図表4]金銭報酬の支給タイミング

図表4

資料出所:筆者作成

 また、給与や賞与などの既に受け取った金銭報酬を将来の備えとして、金額を増やすための「資産形成」も大切なPay Laterの報酬(リワード)の一つと考えている。

4.やる気を促す金銭報酬─Motivatedの報酬(リワード)

 企業が業績を引き上げ、企業価値を向上させていくためには、従業員のやる気を促していくことが重要と考える。やる気の促進(Motivated)の報酬(リワード)は、[図表3]の給与、手当(資格など)、賞与、株式報酬が該当する。これらのうち、給与は、金額算定において年齢や勤続年数などの年功的な要素を加味されるケースも散見されるが、一般的に、本人の保有能力や過去の貢献の積み上げなどにより金額が決まるケースが多く、手当(資格など)も本人の保有している能力に依拠するものである。したがって、Pay Nowの報酬(リワード)は、企業の求める人材像と金額算定要素が連動するため、人事戦略と(ひも)づいた報酬(リワード)の代表格といえる[図表5]
 一方、賞与や株式報酬のようなPay Laterの報酬(リワード)は、Pay Nowの報酬(リワード)に比べて、従業員にとっては日々の生活費としての期待も小さく、理論上はドラスティックな設計が可能である。このため、企業の経営理念やありたい姿(To Be)を反映することができ、経営戦略と紐づいた代表的な報酬(リワード)といえる。
 特に、株式報酬は、労働基準法上の賃金の「通貨払いの原則」との関係から、労働の対価として支払われる給与や賞与などとは明確に区別された枠組みとする必要がある。このような性質から、一部の役職の在任期間を算定基礎とするケースや、難易度の高いKPIを達成した場合に支給するケースも多くの企業で見受けられる。

[図表5]Motivatedの報酬(リワード)による経営戦略と人事戦略の融合

図表5

資料出所:筆者作成

5.人事戦略と金銭報酬(Motivated)の関係

 ここで、人事戦略と金銭報酬(Motivated)の関係について整理したい。[図表6]は人事戦略と人事制度、金銭報酬の関係を図示したものである。

[図表6]人事戦略と人事制度、金銭報酬の関係図

図表6

資料出所:筆者作成

 従来、日本企業は年功序列を中心とした賃金体系を採用してきた。終身雇用を前提とした年功序列型の仕組みは、年齢や勤続年数に応じて給与が上昇し、定期的な昇給や賞与が実質的に保証されているため、右肩上がりの経済環境の中、従業員のライフステージに応じて安定的に収入が得られるメリットがあった。
 ところが、1990年代以降のバブル崩壊後、日本は長期にわたる経済の低成長期経済に直面し、企業の収益力が低下するとともに、グローバル競争の激化により経営環境が変化していった。このような背景から、企業は効率的な人件費管理と優秀な人材の確保を求めて、成果主義の導入を進めてきた([図表6]の左から右へシフト)。成果主義型では、成果やパフォーマンスに応じて報酬が支払われ、ある意味で合理的な考えに基づき運用がなされるため、社員のやる気を促すことにつながり、若手のモチベーション向上の効果も期待できる。
 年功序列型、成果主義型、どちらが良いということは一概には言えず、企業の経営方針や従業員の特性に合わせた最適な戦略を選択するために、処遇したい人材像を明確にしておく必要がある。例えば、若いときには給与が低く抑えられ、高年齢になるとパフォーマンスとは関係なく高い報酬を支払う仕組みが、果たして従業員からの信頼を得られるかなど、十分議論する必要があると考える。

6.安心感を醸成する金銭報酬─Secureの報酬(リワード)

 金銭報酬の中で日々の生活の支えとなる給与に加えて、補助的な位置づけとなるSecureの報酬(リワード)を充実させることにより、現在や将来の生活に対する安心感が醸成され、エンゲージメント向上につながるものと考える[図表7]

[図表7]Secureの報酬(リワード)による安心感の醸成

図表7

資料出所:筆者作成

 安心感の醸成(Secure)の報酬(リワード)の算定基礎は、本人の能力や成果とは関係なく、公平な条件の下で決まるケースが多い。福利厚生や家族手当、住宅手当などは支給要件に該当すれば誰もが支給を受けられ、資産形成も確定拠出年金では、加入者である従業員全員に投資教育を実施することが義務づけられている。
 退職給付についても、公的年金の補完として老後の所得保障機能を有しており、税制の優遇措置も享受できるものであり、Motivatedの報酬(リワード)ほどはメリハリを付けることを避ける傾向がある。ただし、最近では成果主義を反映する動きが進んでおり、[図表8]のとおり、確定給付企業年金を実施している企業は、本人の等級や成果をポイント化して給付原資を積み上げるポイント制を実施するケースが多い。

[図表8]確定給付企業年金の給付算定方法の導入割合

図表8

資料出所:当社総幹事の確定給付企業年金の状況を基に筆者作成

7.金銭報酬(Secure)の従業員への周知

 従業員は、金銭報酬のうち毎月支給される給与や手当、あるいは定期的に支払われる賞与に重きを置きがちである。特に退職給付は、支給タイミングが遠い将来であるため、従業員の関心は低いことが多い。当社で、企業に正社員として勤める9000人に対して、会社から退職給付に関する説明を受けたことがあるかのアンケートをしたところ、約半数が「説明を受けたことがない」、または「分からない・覚えていない」という結果であった[図表9]

[図表9]退職給付の周知に関するアンケート結果

(設問)あなたは今勤めている会社や公的機関から、あなたが受け取ることができる退職給付について何らかの説明を受けたことがあるか

図表9

資料出所:当社2023年1月実施アンケート調査(正社員9000人を対象)より筆者作成

 また、老後の金融資産に関して、当社で20~50代の会社員や公務員等2000人に対してアンケートをしたところ、不安との声が60%以上を占めた。

[図表10]将来の金融資産に関するアンケート結果

(設問)老後に向けて、65歳到達時に十分な金融資産を保有できているか不安があるか

図表10

資料出所:当社2024年3月実施アンケート結果(20~50代の会社員や公務員等2000人を対象)より筆者作成

 確定拠出年金を実施している企業であれば、従業員向けに投資教育が義務づけられており、資産形成に向けた取り組みがなされている。最近では、個人型の確定拠出年金の普及も進み、NISA(少額投資非課税制度)の運用収益に対する非課税投資枠の拡大など、資産形成を行う機会が広がっている。さらに、2022年4月から高校でも、お金や金融のさまざまな働きを理解し、より豊かな生活やよりよい社会づくりに向けて主体的に行動できる態度を養うことを目的とし、金融教育が必修化された。
 企業においても、従業員がより豊かな生活を送れるように、資産形成に向けた支援を行うことは、将来に対する不安の払拭につながる。さらに、退職給付も含めた老後の生活を支える報酬(リワード)の全体像を、従業員に周知できれば安心感が醸成され、従業員エンゲージメントの一層の向上につながるものと考える。

8.おわりに

 トータルリワード戦略には、主に二つの目的がある。一つは、業績や企業価値の向上を実現することであり、もう一つは従業員の「人生を豊かにする」という社会的役割を果たすことである。
 前者の目的を達成するために、経営戦略や人事戦略からトップダウン的に報酬(リワード)の持つ役割を明確にして金銭報酬ミックスを構築することに加え、日々の生活を支え将来の備えとなる報酬(リワード)の特性も踏まえ、従業員目線のボトムアップの観点も含めて、あたかもパズルを組み合わせるかのように金銭報酬ミックスを構築することが重要である[図表11]。これが実現できると、報酬全体が有効に機能し、会社と従業員のWin-Winの関係が成立すると考えている。

[図表11]金銭報酬ミックスのパズル

図表11

資料出所:筆者作成

 また、後者の目的を達成するためには、[図表12]のように、豊かな生活を送るための水準をPay NowとPay Laterの報酬(リワード)を組み合わせて確保することが必要となる。それが実現できると、いつの日か、自分の人生100年史を振り返ったときに、それを支えた報酬(リワード)のありがたみを感じることになるかもしれない。

[図表12]金銭報酬ミックスの全体像

図表12

資料出所:筆者作成

プロフィール写真 徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー
公益社団法人日本年金数理人会 副理事長
日本アクチュアリー会正会員 日本証券アナリスト協会認定アナリスト

1994年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関するコンサルティング・営業・事務や三菱UFJフィナンシャル・グループおよび三菱UFJ信託銀行にて人事企画・運用、報酬委員会運営等に従事。2021年に業界初となる「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」を立ち上げ、現在は人事戦略、定年延長、女性活躍、ジョブ型人事制度、DC・ハイブリッド年金、資産形成等をテーマとした人的資本経営に関する企業向けコンサルティング部署の責任者を務める。
プロフィール写真 周川淳平 しゅうかわ じゅんぺい
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 人事戦略室 チーフコンサルタント
国家資格 キャリアコンサルタント

事業会社にて人事部門および経営管理部門で豊富な経験を積んだ後、コンサルタントとしてのキャリアをスタート。HR領域を専門とし、過去7年間で約30社の人事制度改定プロジェクトに従事。制度の設計から移行、運用支援まで一貫してサポートしてきた。
現職では、人事制度と退職給付制度を融合させたコンサルティングを提供。人事戦略の立案や人的資本経営の推進に加え、定年延長や女性活躍推進といった個別テーマにも積極的に取り組んでいる。