徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー
上辻秀宜 うえつじ ひでき
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 人事戦略室 チーフコンサルタント
遠田 健 えんた たけし
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 リサーチグループ プリンシパル
1.はじめに
第2回で紹介した金銭報酬と同様、非金銭報酬にも「やる気の促進」の役割を果たすInspiredの報酬(リワード)と「安心感の醸成」の役割を果たすComfortableの報酬(リワード)がある(第1回[図表5]参照)。非金銭報酬ミックスを構築するに当たり、与える影響の範囲が、個人を対象とするものか組織全体を対象とするものかを把握して相乗効果を図ることが重要である。
そして、金銭報酬と非金銭報酬のそれぞれの報酬(リワード)が相互に補完し合うよう組み合わせると、報酬全体がさらに有効に機能し、従業員エンゲージメントや企業価値の向上をもたらすものと考える。
※本稿における意見に関わる部分および有り得るべき誤りは、筆者個人に帰属するものであり、所属する組織のものではないことを申し添える。
2.非金銭報酬の重要性
米国Gallup社では、毎年「State of the Global Workplace」として、世界中の職場環境や従業員エンゲージメント、幸福度、生産性などに関する調査報告を行っている。[図表1]は、2024年のレポートを基に日本と諸外国との職場の指標を比較したものだが、従業員エンゲージメント率や生活評価(日々の幸福度)が他国に比べて低い結果となっている。
[図表1]諸外国との職場の指標比較
-%-
区分 | 日本 | 米国 | 英国 | ドイツ | フランス | 中国 |
従業員エンゲージメント率 | 33.0 | 45.0 | 40.0 | 39.0 | 35.0 | 55.0 |
生活評価(日々の幸福度) | 5.5 | 6.8 | 6.5 | 6.6 | 6.4 | 7.0 |
日常のストレス | 60.0 | 55.0 | 50.0 | 52.0 | 53.0 | 45.0 |
日常の怒り | 25.0 | 20.0 | 18.0 | 19.0 | 20.0 | 15.0 |
日常の悲しみ | 30.0 | 25.0 | 22.0 | 23.0 | 25.0 | 20.0 |
良好な仕事市場の割合 | 40.0 | 55.0 | 50.0 | 53.0 | 50.0 | 60.0 |
新しい仕事を積極的に探している割合 | 30.0 | 40.0 | 35.0 | 38.0 | 35.0 | 45.0 |
資料出所:Gallup「State of the Global Workplace Report 2024」より筆者作成
エンゲージメントの低さは、働きがいややる気の欠如につながり、組織の生産性にも影響を与える可能性があるため、金銭報酬と非金銭報酬とを適切に組み合わせた戦略をとり、報酬全体の機能を向上させていく必要があると考えている。
金銭報酬と非金銭報酬の組み合わせについてはさまざまな研究があるが、代表的なものとしては、金銭報酬は金額が高くなればなるほど効果が逓減していくという特性であろう。KahnemanとDeatonの研究(2010年)によれば、感情的な幸福(毎日の感情的な経験や気分)は、年収が約7万5000ドルを超えると、それ以上は大きく向上しないことが分かっている。つまり、金銭報酬だけではエンゲージメントを高める効果には限界があり、収入が一定水準を超えると非金銭報酬の役割が高まっていく。
このように、企業価値向上のためには、金銭報酬と非金銭報酬とが相互に補完する組み合わせが重要であり、そのためには非金銭報酬に期待する役割を明確にした上で、戦略的に実施していく必要がある。
3.非金銭報酬とは
企業が価値創造を進めていくに当たり、重要な位置づけとなる非金銭報酬が果たす役割について考察していきたい。
第1回で「トータルリワード戦略のフレームワーク」として[図表2]を示したが、このうち非金銭報酬の7項目を取り出して概要を整理したのが[図表3]である。
[図表2]トータルリワード戦略のフレームワーク
資料出所:本連載「第1回 トータルリワードの全体像」の[図表3]
[図表3]非金銭報酬の概要
資料出所:筆者作成
当社が実施した人事課題のアンケートによれば、従業員が自社の人事制度の中で課題に感じているのは「やる気を促すための非金銭報酬(Inspired)」が35%と最多であり、以下「安心感を醸成する非金銭報酬(Comfortable)」と「やる気を促す金銭報酬(Motivated)」がともに26%、「安心感を醸成する金銭報酬(Secure)」13%の順になっている[図表4]。この結果から、非金銭報酬に対する従業員の期待は非常に大きいことが分かる。
[図表4]4象限で整理した人事課題のアンケート集計結果
資料出所:本連載「第1回 トータルリワードの全体像」の[図表6]
非金銭報酬の支給の目的はそれぞれ異なり、与える影響の範囲も対象が個人か組織全体かで、二つの観点があると考えている。
[図表5]の個人の観点の上段の評価と成長機会は、本人の「やる気の促進」につながる報酬(リワード)で、下段の承認やDE&Iは本人の「安心感の醸成」につながる報酬(リワード)であるため、この四つを「Individual View」と表現した。
また、組織の観点の上段の目標達成に向けたチームビルディングと戦略的人事配置は、組織の活性化につながる報酬(リワード)で、下段のチームワークを良くするためのチームビルディングや職場環境の改善は、組織全体での「安心感の醸成」につながる報酬(リワード)であるため、この四つを「Organizational View」と表現した。
[図表5]非金銭報酬の影響範囲
資料出所:筆者作成
4.やる気を促す非金銭報酬-Inspiredの報酬(リワード)
[図表6]は、「やる気の促進」につながるInspiredの報酬(リワード)に焦点を当て、個人と組織の観点から整理したものである。
[図表6]Inspiredの報酬(リワード)による個人と組織のパフォーマンス向上
資料出所:筆者作成
「Individual View」の「評価」「成長機会」という二つの報酬(リワード)は、本人がパフォーマンスを発揮して、評価され、さらに成長していく機会を提供するものである。適切な評価は、従業員が自身の強みや改善すべき点を理解するのに役立ち、自己成長の意欲を高める。成長機会とは、個人がスキルや能力を向上させるための機会を提供することである。具体的には、研修プログラムやキャリア開発のサポート、継続的な学習機会などが含まれる。これらの機会を通じて、従業員は自分の専門知識や技能を高めることができ、それが仕事の質や効率の向上につながる。これらの報酬(リワード)は、本人の気持ちを奮い立たせ、能力発揮につながっていく効果がある。
「Organizational View」の「チームビルディング(目標達成等)」「戦略的人事配置」という二つの報酬(リワード)は、組織の目線で、個々の特性やスキルを考慮し、最適な役割に人材を配置することで、各従業員が自分の強みを最大限に発揮できる環境を整え、目標達成に向けたチームを組成するものである。チームビルディングとは、定期的なチームミーティングやチームイベント、フィードバックセッションなどを行い、効果的な組織を構築することである。これにより、チームの目標達成に向けた一体感が生まれ、組織全体のパフォーマンスが向上し、生産性向上につながっていく効果がある。
このようにInspiredの報酬(リワード)により、個人の能力発揮と組織の生産性向上が相まって会社全体のやる気を奮い立たせてパフォーマンスを向上させるものと考えている。
5.安心感を醸成する非金銭報酬-Comfortableの報酬(リワード)
[図表7]は、「安心感の醸成」につながるComfortableの報酬(リワード)に焦点を当て、個人と組織の観点から整理したものである。
[図表7]Comfortableの報酬(リワード)による安全・安心な環境整備
資料出所:筆者作成
「Individual View」の「承認」「DE&I」という二つの報酬(リワード)は、従業員の一人ひとりが、自身の考えや言動、価値観を含めて、その正当性や妥当性を周囲から認められ、さらには多様なバックグラウンドを持つ従業員が平等に扱われることにより、自己肯定感の向上につながっていく効果がある。
「Organizational View」の「チームビルディング(チームワーク等)」「職場環境」という二つの報酬(リワード)は、組織内において互いを尊重し合い、メンバー同士の協力とコミュニケーションを促進するなど、チームワークを発揮して業務に取り組み、さらに職場環境においてもオフィスの照明や温度設定、デスク、会議室といった快適に仕事に取り組めるような工夫を施すものである。良好なチームワークや職場環境は、メンバー間の信頼関係を強化し、共同作業の効率を高めることにつながり、組織全体の心理的安全性が確保される効果がある。
このようにComfortableの報酬(リワード)により、個人から組織全体に至るまで、安全・安心の下に業務遂行ができるような環境整備がなされ、エンゲージメントひいてはパフォーマンスにも好影響を与えるものと考えている。
6.非金銭報酬志向の高まり
ここからは、非金銭報酬に関する時代背景と個人の観点での重要性について考察していきたい。
高度経済成長期の日本は、雇用へのコミットメントが非常に高く、金銭報酬志向と非金銭報酬志向の両方が強く見られた。これは、経済の成長により安定した収入を得ることができ、仕事を通じて自己実現や社会貢献を果たすことが求められていたためである。しかし、バブル崩壊後、経済的停滞やデフレ、リストラの増加により、雇用へのコミットメントは大きく変化した。金銭報酬志向は高いままである一方、非金銭報酬志向は著しく低下した。終身雇用制度の崩壊や非正規雇用の増加などにより労働市場の不安定化が加速し、安定した収入の確保が依然として重要視される一方で、仕事に対する内在的な価値が低下した。
一方で長時間労働や過重労働の一般化、若い世代を中心に仕事よりもプライベートや自己実現を重視する価値観の変化も見られ、非金銭報酬志向が高まるきっかけをつくり出した。総じて、1990年代から2010年代にかけての日本の雇用へのコミットメントの変化は、経済的要因、雇用形態や労働環境の変化、そして社会的・文化的要因が複合的に影響していると考えられる。
では、現代はどうであろうか。Gallup社の調査「State of the American Workplace」によると、自身のパフォーマンスが向上するような適切なマネジメントを受けていると回答している従業員はわずか21%であり、適切な指導・サポートが重要であることが強調されている。また、従業員の努力や成果を認めることで安心感と満足感を高めることも重要であり、承認を受けた従業員は、そうでない従業員に比べて、承認欲求が満たされ満足度が高いとされている。さらに、多様性、公平性、包括性(DE&I)を推進し、すべての従業員が尊重され、受け入れられる環境を提供することも不可欠である。
また、戦略的人事配置は、組織の目標達成に必要なスキルや知識を持つ人材を適切に配置することで、長期的な組織の成長と成功を支える役割も果たす。効果的な人材配置を行う企業は、平均より業績が30%高いことが示されている。さらに、チームワークの向上を目指したチームビルディング活動により、従業員間の信頼関係を強化し、コミュニケーションが円滑になり、良好なチームワークは、プロジェクト成功率を高める重要な要因として認識されている。特に、リモートワークやハイブリッドワークの設定においても、ストレスレベルが高いことが示されており、オフィスでの勤務が心理的な負担を軽減する一因となることも明らかになっている。
なお、組織全体での一貫した取り組みを実践するには、リーダーシップの役割が大きい。リーダーは、従業員のエンゲージメントを高めるための施策を推進し、多様性、公平性、包括性を受け入れ、個々のニーズや期待に応じたサポートを提供し続けることが求められるのである。
7.おわりに
トータルリワード戦略には、主に二つの目的がある。
一つは、“業績や企業価値の向上を実現すること” である。[図表8]のように、金銭報酬と非金銭報酬の各報酬(リワード)をパズルのピースのように組み合わせ、この二つの好循環により企業価値の向上を目指すというものだ。
金銭報酬は現在や将来の生活費を賄うもので、多くの従業員が期待するものだが、同時に会社にとって負担が大きいものでもある。金銭報酬は処遇すべき人材像を明確にした上で、メリハリを付けて支給することが必要と考える。
一方、非金銭報酬もコスト負担を伴うが、工夫次第では、さほどコストをかけずに提供が可能で、特定の人だけをターゲットとせずに全員一律に分配することも可能な報酬である。
したがって、金銭報酬に加え非金銭報酬もうまく組み合わせ、やる気を引き出し、安心感を醸成することにより、従業員エンゲージメントが向上し「理想的な職場」へと変化していくことが期待される。そして、会社と従業員の間でWin-Winの関係が築かれ、「価値創造」につながっていくものと考えている。
[図表8]金銭報酬ミックスと非金銭報酬ミックスのパズル
資料出所:筆者作成
トータルリワード戦略のもう一つの目的は、“従業員の「人生を豊かにする」という社会的役割を果たすこと” である。
人生100年時代、就学20年、現役50年、老後30年とした場合、老後30年も、現役中に社会保険料や企業年金の積み立てを行い、年金などの支給がなされる仕組みとなっている。したがって、現役と老後の80年間という極めて長い期間の生活費を企業が賄っている構図になる。また、この現役50年間は、金銭報酬だけでなく非金銭報酬も、従業員のパフォーマンス向上の一助となっている[図表9]。
[図表9]報酬(リワード)と豊かな生活水準
資料出所:筆者作成
そして、いつの日か、自分の人生100年史を振り返ったときに、それを支えた報酬(リワード)のありがたみを感じるときが来るかもしれない。ただし、そのありがたみは、できれば現役中の従業員に感じてほしい。そして、一人ひとりが活き活きと、毎日楽しみながら職場に出向いてほしい。そのためには、人事戦略とトータルリワード戦略を結び付けて、従業員にしっかり理解・納得してもらうことが重要と考えている。
徳永祥三 とくなが しょうぞう 三菱UFJ信託銀行株式会社 トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー 公益社団法人日本年金数理人会 副理事長 日本アクチュアリー会正会員 日本証券アナリスト協会認定アナリスト 1994年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関するコンサルティング・営業・事務や三菱UFJフィナンシャル・グループおよび三菱UFJ信託銀行にて人事企画・運用、報酬委員会運営等に従事。2021年に業界初となる「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」を立ち上げ、現在は人事戦略、定年延長、女性活躍、ジョブ型人事制度、DC・ハイブリッド年金、資産形成等をテーマとした人的資本経営に関する企業向けコンサルティング部署の責任者を務める。 |
上辻秀宜 うえつじ ひでき 三菱UFJ信託銀行株式会社 トータルリワード戦略コンサルティング部 人事戦略室 チーフコンサルタント 事業会社の人事部にて、グループ人事戦略や企画・運用・労務など幅広い経験を経て、人事部長として組織を統括。その後人事コンサルティング部門の責任者として、上場企業から中小企業まで約50社に及ぶ各種人事制度改革プロジェクトに従事。現在、企業理念の実現に向けた経営戦略と人事戦略の連動、具体的な人事課題を解決する組織人事コンサルティングを実施。 |
遠田 健 えんた たけし 三菱UFJ信託銀行株式会社 トータルリワード戦略コンサルティング部 リサーチグループ プリンシパル 日本アクチュアリー会正会員、年金数理人、日本証券アナリスト協会認定アナリスト 2002年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関する数理計算、コンサルティングに一貫して従事。海外アクチュアリー会における論文発表、各種団体でのセミナー講演など多数の実績あり。2021年の「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」の立ち上げに参画し、現在はトータルリワードに関する情報発信の責任者を務めている。 |