2024年08月23日掲載

人的資本経営時代におけるトータルリワード戦略 - 第5回 トータルリワードの効果測定

上辻秀宜 うえつじ ひでき
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 人事戦略室 チーフコンサルタント

徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー

1.はじめに

 トータルリワード戦略の目的である企業価値の向上とその持続性、社会的責任の観点から、報酬(リワード)の構成要素の現状(As Is)を効果的に測定し、あるべき姿(To Be)に向けて、変革を推進していくことは不可欠であると考える。本稿では、トータルリワードの効果測定について、深掘りし、考察していく。

※本稿における意見に関わる部分および有り得るべき誤りは、筆者個人に帰属するものであり、所属する組織のものではないことを申し添える。

2.トータルリワード戦略の概要

 金銭報酬と非金銭報酬には、それぞれ「やる気の促進」の役割を果たす報酬(リワード)と「安心感の醸成」の役割を果たす報酬(リワード)がある[図表1、2]。企業はこれらをバランスよく組み合わせ報酬全体を効果的に機能させることで、従業員エンゲージメントが向上し、企業価値向上につながると考えている。そして、各報酬(リワード)の狙いや目的を従業員に周知し、理解を得ることが重要であることは言うまでもない。

[図表1]トータルリワード戦略のフレームワーク

図表1

資料出所:筆者作成

[図表2]トータルリワードの4象限図

図表2

資料出所:本連載「第1回 トータルリワードの全体像」の[図表5]

3.トータルリワードの効果測定の重要性とアプローチ

 人的資本経営を実践していく上でカギとなる従業員エンゲージメントの向上は、報酬(リワード)のありがたみによって左右されることとなるが、その感じ方は、世代や性別など個人の持つ価値観によって異なる。また、報酬(リワード)を増やせば当然のことながらコストが増加するため、トータルリワード戦略における費用対効果を見極めることが求められる。したがって、トータルリワードの効果測定の重要性は極めて高いと考える。企業は限られたリソースを最適に配分するため、それぞれの報酬(リワード)がどの程度の効果を生んでいるかを正確に把握した上で、コスト効率の良い報酬戦略を策定し、従業員にやる気と安心感をもたらしながら、エンゲージメントを引き上げていくことが重要である。
 効果測定の具体的な手段として、エンゲージメントサーベイや人事データサーベイを活用した統計分析、パフォーマンス評価、離職率の変動を可視化し、定量的に分析を行うことが有効と考えている。
 企業におけるトータルリワードの現状を把握し、効果測定を行うに当たり、形式知データ(見えている人事データ)と暗黙知データ(見えざるエンゲージメントデータ)の両面からアプローチする必要がある。まず、形式知分析として人事データ分析調査を行い、次に暗黙知分析としてエンゲージメント分析調査を実施する。この二つの主要な手法を用いることで、現状の全体像を多角的に把握し、具体的な課題を明らかにすることができる[図表3]

[図表3]トータルリワードの効果測定アプローチ

図表3

資料出所:筆者作成

[1]形式知分析アプローチ(見えている人事データ)
 形式知分析アプローチは、明示的に取得・整理されている人事データを指す。例えば、従業員の構成データ、金銭報酬データ(給与・賞与・手当など)、非金銭報酬データの一部(評価データ、職場環境データ〔残業時間、離職率〕など)がこれに含まれる。事業で得られる付加価値の向上には、報酬(リワード)の水準の妥当性や趣旨の理解が重要である。これにより、従業員の満足度を高め、有能な人材を確保し、活力ある組織づくりが実現される。形式知データの分析では、各種数値や統計情報としてデータの可視化により、トータルリワード戦略の強みと弱みが明確となり、報酬(リワード)の適正化、管理・運営面での透明性、残業削減といった具体的な施策の必要性が浮き彫りになる。そして、改善に向けたアクションプランを実践することで、組織全体のパフォーマンス向上に寄与する。

[2]暗黙知分析アプローチ(見えざるエンゲージメントデータ)
 暗黙知分析アプローチは、「やる気を促す非金銭報酬(Inspired)」や「安心感を醸成する非金銭報酬(Comfortable)」に当てはまる従業員の感情や意識、職場の雰囲気など明示的に表現されにくい情報のデータを収集し、分析することを指す。これにより、従業員エンゲージメントや組織文化の現状を深く理解することができる。エンゲージメントが高まるほど労働生産性の向上、営業利益率の向上、離職率の低下、顧客満足度の向上など、企業活動のさまざまな指標に好影響をもたらすことが研究結果で示されている。従業員の仕事に対する意欲、上司や同僚との関係、組織に対する帰属意識などを測定したデータはレーダーチャートを用いて、経営方針の理解度、仕事のやりがい、組織からの支援など、複数の要素を視覚的に把握することができる。また、ポートフォリオ分析を通じて、各項目の優先順位を決定し、有効な施策を打ち出すための基盤を提供する。そして、部門別、年齢別、役職別といった多様な属性において、従業員の相互理解や相思相愛度合いを明確にすることで、属性に応じた効果的な施策を実施することが可能となる。暗黙知データは主観的な情報を多く含むため、分析には注意が必要であるが、これを適切に扱うことで、組織の隠れた課題を見つけ出し、改善策を講じることが可能になる。

4.トータルリワード効果測定サイクルとスパイラルアップ

 企業価値の持続的な成長と従業員エンゲージメント向上に向けて、トータルリワードの効果測定をただ実施するのではなく、①診断(サーベイ)、②変革(チェンジ)、③開示(オープン)のサイクルを回し続けることが必要である[図表4]。このサイクルは、企業の目指すべき姿(To Be)と現在の姿(As Is)のギャップを定量化し、それを埋めるために具体的な改善策を立案・実行するプロセスを含むことになる。

[図表4]トータルリワード効果測定サイクル

図表4

資料出所:筆者作成

①診断(サーベイ)
 まず、診断(サーベイ)は企業の現状を把握するための重要なステップである。サーベイを実施することで、従業員の声を直接聞き、現状の課題や改善点を浮き彫りにできる。これは企業が目指すべき姿とのギャップを定量的に明らかにし、具体的なデータに基づいた意思決定を支える基盤となる。また、サーベイを継続的に実施することで、企業の状況や従業員の意識の経年変化を把握することができる。これにより、短期的な変動だけでなく、長期的なトレンドやパターンを理解することが可能となる。

②変革(チェンジ)
 次に、変革(チェンジ)のステップでは、診断結果に基づき、As IsからTo Beへのギャップを埋めるための改善策を立案し、実行する。これは企業全体の変革を推進し、持続的な成長を目指すための具体的なアクションプランを策定する重要なフェーズである。この段階での適切な対応が、従業員エンゲージメントの向上や企業の競争力強化に直結する。さらに、経年変化を見据えた長期的な視点での変革を計画・実行することで、持続的な改善と成長を実現することができる。

③開示(オープン)
 最後に、開示(オープン)では、取り組みの進捗や方針を人的資本経営の観点で社内外に公表することで、透明性を確保し、企業価値の向上につなげる。このステップは、従業員やステークホルダーとの信頼関係を築くために欠かせないものであり、組織全体の一体感を高め、持続的な成長を支える基盤となる。また、経年変化を明確に示すことで、施策の成果や改善の進捗を共有し、未来に向けた目標設定や戦略立案の根拠とすることができる。

 企業は、トータルリワード戦略を通じてサステナブルな成長を実現するために、健康診断のような効果測定のサイクルを継続的に回し続けることが重要となる。診断(サーベイ)を定期的に実施し、常に現状を把握しながら、必要な変革(チェンジ)を迅速に実行し、その成果を透明性高く開示(オープン)することが、企業の競争力を維持し、持続的な発展を可能にする。そして、このプロセスを通じて経年変化を見て、スパイラルアップしていくことの重要性も忘れてはならない。

5.サーベイ結果の共有化

 サーベイ結果の共有化は、各部門にてリーダーが中心となり実施し、対話を通じて職場環境の改善を図る手法である。このプロセスは、自律的な職場改善を進めるための重要な機能となる。サーベイ結果の共有化が現代の組織に必要とされる理由は、職場の多様性や従業員エンゲージメントの向上にある。職場の多様性が広がる中で、チームの一体感を保つためには、従業員一人ひとりの意見や感情を把握することが重要である。トータルリワードの観点において給与や賞与といった金銭報酬だけでなく、承認、成長機会、職場環境などの非金銭報酬を含めた従業員のニーズを把握し、彼ら・彼女らが求める報酬(リワード)を理解することで、組織はより包括的で満足度の高い報酬(リワード)を提供できるようになる。これにより、従業員エンゲージメントだけでなく、組織全体のパフォーマンスの向上にもつながるものと考える。
 サーベイ結果の共有化を効果的に行うための基本的なステップは、次のとおりである。まず、データを収集し、分かりやすい形で可視化する「結果の見える化」である。次に、データを基に従業員と対話を行い、それぞれの組織単位で現状の問題点や改善点を共有する「対話ワークショップ」である。そして、一人ひとりが現場での対話を通じて職場の未来像を描き、それに向けた具体的な行動計画を立てる「アクションプラン作成」である[図表5]

[図表5]サーベイ結果の共有化

図表5

資料出所:筆者作成

 一方、サーベイ結果の共有化には、以下のようないくつかの留意点がある。
データを収集するだけで問題が解決するという誤解
サーベイから絶対的な解決策が得られるという思い込み
収集したデータを放置して逆効果になること
高頻度でサーベイを行うことの弊害
一度実施すれば十分と考えがちだが継続的な取り組みが必要なこと
 また、サーベイ結果の共有化は、サーベイによって収集されたデータを活用し、従業員との対話を通じて自律的に職場の問題を解決し、持続可能な組織づくりを目指すことにつながるため重要である。

6.トータルリワードの効果測定事例

 トータルリワードの効果測定の事例を、①残業に起因するモチベーション低下に向けた施策、②女性活躍推進に向けた施策という観点で紹介したい。

①残業に起因するモチベーション低下に向けた施策の効果測定
 長時間の残業は、従業員のモチベーションに悪影響を及ぼす可能性がある。残業が多い従業員は疲労が蓄積し、仕事への意欲が低下することが考えられる[図表6]

[図表6]残業に起因するモチベーション低下に向けた施策の効果測定

図表6

 この問題に対処するためには、見えている人事データや見えざるエンゲージメントデータを属性別に分析し、部門別・年代別といった属性別で従業員のパフォーマンスやエンゲージメントに関するデータを精査することが重要である。残業を減らすだけでなく、従業員のモチベーションを高めるための具体的な施策を実施し、評価制度の見直しやキャリア成長の機会を提供するなど、従業員が仕事に対して前向きな姿勢を持てるような取り組みを行う。残業とモチベーションの相関関係を理解し、適切な対策を講じることは、従業員エンゲージメントの向上と生産性向上に不可欠である。定期的なモニタリングと評価を行い、施策の効果を確認しながら、必要に応じて改善を続けていくことが大切である。

②女性活躍の推進に向けた施策の効果測定
 女性活躍に向けた現状の課題を抽出するには、見えている人事データから採用推移・人員状況・昇進履歴・残業実績や見えざるエンゲージメントデータから心理状況を把握する必要がある[図表7]

[図表7]女性活躍の推進に向けた施策の効果測定

図表7

 その結果として、女性の昇進率が低く、リーダーポジションに女性が少ないこと、そしてワーク・ライフ・バランスの問題により、出産や育児を経験する女性の離職率が高いことが挙げられるのであれば、女性のキャリアパスを明確にし、リーダーポジションへの昇進を支援するためのプログラムを開発することが重要となる。次に、ワーク・ライフ・バランスをサポートするために、育児休業の延長や短時間勤務制度を充実させ、女性がキャリアと家庭を両立しやすい環境を整えることが求められる。定期的なデータ分析と評価を行い、施策の効果を確認し、必要に応じて具体的な施策やKPIを設定するなどして改善を続けることが重要である。女性の活躍を支援するためには、具体的な制度整備と組織全体の意識改革が不可欠であり、ロールモデルの開示も必要と考える。これにより,女性がさらに多くのリーダーポジションに就き、ダイバーシティ経営が実現されることが期待される。

7.おわりに

 トータルリワードの効果測定の意義は、形式知データと暗黙知データを統合的に分析することで、包括的な人材マネジメントが可能になる点にある。例えば、報酬(リワード)の水準感に対して、これらのデータを分析することで、水準の妥当性や業界比較と従業員の受け止め方、双方向のアプローチにより、改善余地や効果的なアクションプランを検討することができる。そして、このアプローチを「やる気を促す金銭報酬(Motivated)」「安心感を醸成する金銭報酬(Secure)」「やる気を促す非金銭報酬(Inspired)」「安心感を醸成する非金銭報酬(Comfortable)」の4象限において、それぞれ検証していくことで、トータルリワード戦略の有効性を確認することが可能となる。
 トータルリワード戦略の主な目的は、“エンゲージメントを高め、業績や企業価値の向上を実現すること” と “従業員の「人生を豊かにする」という社会的役割を果たすこと” である。この目的を達成するためには、トータルリワードの各要素の現状(As Is)を効果的に測定し、あるべき姿(To Be)に向けて、人事戦略を実行し、変革を推進していくことが不可欠であると考える。

プロフィール写真 上辻秀宜 うえつじ ひでき
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 人事戦略室 チーフコンサルタント

事業会社の人事部にて、グループ人事戦略や企画・運用・労務など幅広い経験を経て、人事部長として組織を統括。その後人事コンサルティング部門の責任者として、上場企業から中小企業まで約50社に及ぶ各種人事制度改革プロジェクトに従事。現在、企業理念の実現に向けた経営戦略と人事戦略の連動、具体的な人事課題を解決する組織人事コンサルティングを実施。
プロフィール写真 徳永祥三 とくなが しょうぞう
三菱UFJ信託銀行株式会社
トータルリワード戦略コンサルティング部 部長兼フェロー
公益社団法人日本年金数理人会 副理事長
日本アクチュアリー会正会員 日本証券アナリスト協会認定アナリスト

1994年三菱信託銀行株式会社(現三菱UFJ信託銀行株式会社)入社後、企業年金に関するコンサルティング・営業・事務や三菱UFJフィナンシャル・グループおよび三菱UFJ信託銀行にて人事企画・運用、報酬委員会運営等に従事。2021年に業界初となる「人事制度と退職給付制度を融合したコンサルティング業務」を立ち上げ、現在は人事戦略、定年延長、女性活躍、ジョブ型人事制度、DC・ハイブリッド年金、資産形成等をテーマとした人的資本経営に関する企業向けコンサルティング部署の責任者を務める。