2024年09月05日掲載

従業員のリスキリングを促進する企業の取り組み - 第2回 企業のリスキリング対策のフレームワーク

一般財団法人企業活力研究所
専務理事 福岡 徹
常務理事 小林康宏

 一般財団法人企業活力研究所の人材研究会(2022~2023年度)では、「従業員のリスキリングを促進する企業の取り組み」をテーマとして、報告書を取りまとめた。本連載は、そのポイントを抽出して整理したもので、2回目に当たる本稿では、企業のリスキリング対策のフレームワークに焦点を当てる。研究会メンバー企業のインタビュー調査またはプレゼンテーション聴取を行った上で、以下の取りまとめを行った。

1.リスキリング対策の視点

[1]「企業主導視点」と「従業員自律性視点」
 企業のリスキリング対策の現状を整理すると、以下の二つの視点が見られる[図表1]

①企業が、今後の事業運営につき、一定の方針を提示し、その方向性に沿った教育・訓練を提供する(以下、企業主導視点)

②企業が、従業員によるそれぞれの取り組みを促すこととし、そのために従業員の自律意識の向上を図るとともに、新たに必要なスキル等の再教育の機会やその推進の仕組みを提供する(以下、従業員自律性視点)

[図表1]企業のリスキリング対策の視点

①企業主導視点(企業が事業運営の方針を提示する視点)
企業が、今後の事業運営につき、一定の方針を提示し、その方向性に沿った教育・訓練を従業員に提供する

②従業員自律性視点(従業員の自律性を重視する視点)
企業が、従業員によるそれぞれの取り組みを促すこととし、そのために従業員の自律意識の向上を図るとともに、新たに必要なスキル等の再教育の機会やその推進の仕組みを提供する

[2]二つの視点の関係
 「企業主導視点」と「従業員自律性視点」は、双方を同時並行的に推進することが重要である[図表2]
 「企業主導視点」は、企業主導で従業員の学び直し行動を促すものだが、企業(幹部・組織)の今後の事業運営方針を示すことで従業員の迷いの低減につながり、それによって運営方針の実現に必要な、また質的に異なる新たな点を含む知見の獲得について従業員の積極的な活動・努力を促進するというアプローチである。これは企業(人事部門)の対策として、基本的な要素であると考えられる。
 「従業員自律性視点」については、リスキリングのポイントは新たなスキル等の再学習であり、それが有効に機能するためには、学習の実施者(従業員)の積極的な関与が必要であるという認識に基づくものである。また、変化が激しい現代においては、現場の状況に応じて適切に対応することが必要な場合もあるだろう。いずれにおいても、従業員の自律意識の向上によって従業員自身がモチベーションを高め、それによって新たな知見の獲得のための実際の行動を促進しようとするアプローチである。この視点は「企業主導視点」での対策と相まって、リスキリング対策を効果的に推進していく上では重要な要素であると考えられる。
 実際、これら二つの視点については研究会メンバー企業の多くから、各企業の課題に応じて対策を検討し、双方の視点からの対策を組み合わせて同時並行的に進めているとのコメントが聞かれた。

[図表2]企業のリスキリング対策に係る二つの視点の相互関係

図表2

2.企業主導視点での対策の方向性

[1]企業主導視点での対策の三つの方向性
 企業のリスキリング対策における「企業主導視点」に関して、多くの企業に共通する要素として、[図表3]に掲げた「知見深化方針」「新規探求方針」「組み合わせ方針」の3点の方向性があり、それらの方向性のイメージは[図表4]のように整理できる。

[図表3]「企業主導視点」における主要な方向性

方向性1

知見深化方針
社内の既存知見を基礎として、それを発展させるような高度な知見の獲得に資する教育

方向性2

新規探求方針
技術革新が急速な領域(DX/AIなど)における先進的知見の獲得のための教育

方向性3

組み合わせ方針
社内の既存知見の確保と新たな領域に関する新知見の獲得を並行させた教育

[図表4]企業主導視点での主要な方向性のイメージ

図表4

 以下、それぞれの方向性について説明する。

方向性1:知見深化方針
 知見深化方針は、社内の既存知見を基礎として、それを深化・発展させるような高度な知見の獲得に資する教育のことである。
 具体的には、次のケースが挙げられる。

事業に関連する領域における最先端の技術開発等の知見の獲得のための教育

既存知見の伝承に加え、さらなる深化した知識・スキルの向上のための教育

 この方針は、特に、コア事業・領域が比較的確固とした企業において強く見られる。
 従来の事業運営の中での教育対策(例えばOJTの中での将来課題に関する議論など)と似ているところがあり、企業の対策としても、従業員の対応の点でも進めやすい面があると考えられるが、単に従来の延長線上での教育を意味しているのではない。近年の社会経済環境は、急速な変化を示しており、例えば、地球環境問題や生物多様性の対応など、従来あまり強く意識されてこなかった課題に対して、近年では企業への要請が急速に高まっている。これらの課題に対応するには、従来の職務技能とは不連続な性質の事項やスキルについての学び直しが必要になり、相当に大きな事業内容の革新を求められることになる。こうした課題への対応が知見深化方針において大きな意味を成す。

方向性2:新規探求方針
 新規探求方針は、技術革新が急速な領域(DX/AIなど)における先進的知見の獲得のための教育のことである。
 DX/AIなどの技術革新が急速な領域で事業を行う米国企業では、従業員を新たな技術に対応させるための再教育をリスキリングと呼んでいたという経緯がある。具体的には、次のケースが挙げられる。

DX/AIサービス供給事業における先端的技術の提供対応のための知見の獲得に必要な教育

 この方針については、企業がその事業運営方針(特に新たな事業展開の実施)を決定すれば、企業(特に人事部門など)は、その方針に従って従業員の「学び直し」のプログラムを提示しやすいと思われる。
 一方、従業員にとっては、企業のリスキリング対策に対応することは必ずしも簡単ではないだろう。新たな事業展開に必要な学び直し行動は、従業員にとっては一種の職種転換を求められることになるからである。したがって、新規探求方針での対策においては、従業員にとって、相当な対応・努力が求められることを踏まえ、従業員に対する十分な配慮も不可欠であると考えられる。

方向性3:組み合わせ方針
 組み合わせ方針は、社内の既存知見の確保と新たな領域に関する新知見の獲得を並行させた教育を意味している。
 具体的には、次のケースが挙げられる。

既存現業分野の業務におけるDX/AI技術の活用・導入により、新事業展開を行うための知見の獲得のための教育

事業の海外進出のための、既存知見の充実・確保と併せた海外オペレーションのための知見の獲得のための教育

 この方針は、事業領域を積極的に拡大しようとしている企業において強く見られる。単に方向性1の知見深化方針と方向性2の新規探求方針の対策を併用するだけではなく、事業拡大に関する事業運営方針を策定して、それに適合するリスキリング対策の実施方針を定めた上で、方向性1の対策と方向性2の対策を具体的に組み合わせるというケースもあった。
 組み合わせ方針の対策は、企業(人事部門)にとっては容易ではない。「組み合わせ」といっても、どのような対策の組み合わせで、またどの従業員に対して何を行うかについては、さまざまな課題がある。特に人事手法に照らしていえば、幅広い範囲の従業員に対して統一的な教育を行うのか、または何らかの基準を設けて従業員を類型化し、それに該当する層に対してそれぞれの教育を行うのかは重要な問題であろう。
 この意味で組み合わせ方針の対策は、企業において従業員に対する多様な配慮が求められる点で、方向性1の知見深化方針や方向性2の新規探求方針の対策とは異なる要素があるため、方向性1や方向性2と区分し、第3の方向性として示したものである。

[2]三つの方向性の関係
 これら三つの方向性については、企業ごとに、どれか一つの方向性に集約して対策を実施しているわけではない。多くの企業に共通して見られる要素を抽出すると、三つの方向性が挙げられるということである。つまり、企業においては、三つの方向性のどれかに大きな重点を置いたり、いくつかの方向性を組み合わせて実施したりしているという意味である。
 また、企業ごとの事例を見れば、部門ごとの事業内容、事業環境等において中心点が変わったり、複数の方針を重点として設定したりしていると考えられる。どの方向性を中心とし、どのように組み合わせるかを、各企業が選択・判断することが重要と考えられる。
 なお、三つの方向性について、企業ごとにアップ・スキリング、マルチ・スキリングなどの名前を付けている例が見られたが、同じ用語が必ずしも同じ意味で用いられているわけではないため、ここでは抽象的な略称によって示している。

3.従業員自律性視点での支援措置

[1]支援措置の整理
 本稿での「従業員自律性視点」とは、前述のとおり、企業のリスキリング対策として、企業がその従業員によるそれぞれの取り組みを促し、自律意識の向上を図るとともに、新たに必要なスキル等の再教育・訓練の機会やその推進の仕組みを提供する視点のことである。従業員の学び直しにおいては、企業によるリスキリング対策に対応し、従業員自身が「学び直し」に係る「意識・意欲」を高め、自律的に行うことが不可欠である。さらには従業員の中に学び直しに係る意識・意欲にとどまらず、実際に行動を変えて実行することが期待されている。
 一方、それらの取り組み内容については、企業ごとにさまざまな工夫・調整が行われており、その主要な対策について整理すると[図表5]のようになる。
 ここでは、対策の手法が従業員に対して直接的か、間接的かで分類するとともに、対策の段階(問題意識の開発、取り組みの方向づけ、進展させるための仕組みの構築)別に分類している。

[図表5]「従業員自律性視点」によるキャリア自律促進の対策の整理

  従業員における問題意識の開発 具体的な取り組みの方向づけ 具体的行動を進展させるための
仕組みの構築
従業員への直接的対応

上司面談(事業環境等の変化の状況の認識共有)

全体・層別研修の中でのプログラムの組み込み

経営層と従業員の間のコミュニケーション機会の設定

上司面談(キャリアプランと教育内容とに関する擦り合わせ)

研修参加への支援(労働時間の弾力化等)

プログラム受講手当/資格手当の支給

ポスティング/キャリア・マッチング制度の実行

他社での研修の組み込み

副業の柔軟化

社会人大学院等への受講勧奨・支援(集中した基盤教育が効果的な場合)

人事評価でのチームワークの評価

従業員への間接的対応

社内情報発信の強化

上司(中間管理職)への支援

- 企業を取り巻く状況についての統一説明資料の提供

- 本社人事部門主導のキャリア相談員の配置

多様な研修プログラムの提供

オンライン研修など、受講しやすい仕組みの整備

上司(中間管理職)への支援

- 事業部門ごとの教育方針の策定

業務改善提案プロジェクト/表彰制度

[2]支援措置の在り方
 従業員自律性視点での企業の支援措置については、従業員に対して直接的な対策だけではなく間接的な環境整備を含めて対策を講じること、また、個人・部門の対応の進捗状況に応じて適切な対策を講じることが重要である。そのためには、[図表5]に示したような、さまざまな対策を企業の状況に応じて組み合わせることが重要となる。
 また、企業(人事部門)が社内で推進するに際しては、中間管理職層の関心・協力を十分に得られるように配慮することも重要である。研究会での議論では、企業の中間管理職の中には、現在の業務遂行を最優先課題と位置づけ、従業員の学び直しは優先度の低い課題として認識している者も少なからず存在するとのコメントも聞かれた。しかし、実際のリスキリング対策の推進は、中間管理職層の調整・努力によって進展するという面が大きいと想定される。このため社内、特に中間管理職層の協力を得るような配慮、また、その支援を行う対策は、リスキリング対策の遂行およびその効果の実現のために重要な課題であるといえる。

[3]従業員の「自律」の意味

 従業員自律性視点の対策で触れた従業員の「自律」の意味を検討すると、次の二つの要素が指摘できる。

従業員の「自発性・積極性」の側面を重視する要素:具体的対策としては、1on1での意識形成、ジョブ・ディスクリプションでの業務の明示、社内公募(ポストマッチング)など

従業員自身の「選択・キャリア構築」を重視する要素:具体的対策としては、講座選択型研修、副業、職種転換の希望対応(キャリアマッチング)など。また、この要素に関連して従業員の働く時間や場所についての選択肢を拡大する場合も見られる

 これらの要素は、似通った面を持つため、明瞭に区分できるものではないと思われる。前者の「自発性・積極性」の要素は、企業主導視点の対策と比較的親和性が高い。後者の「選択・キャリア構築」の要素は、個々の従業員の選択内容が、企業の事業運営方針と比べて相違が生じる可能性があるなど、企業主導視点の対策との親和性が必ずしも高くない面があると考えられる。
 こうした観点からすると、従業員自律性視点からのリスキリング対策の実施に際しては、前者の「自発性・積極性」の意味での自律が重要であり、企業が従業員に期待する再学習の内容について誤解が生じないよう、十分な説明、運営調整が求められる。
 なお、従業員自律性視点の観点からの学び直し行動を促進する対策(従業員の行動を支援する対策)を実施する場合において、企業としては、その成果がすべて当該企業の事業運営の改善に還元されるよう期待していると思われる。しかし、実際には従業員が自律的に学び直しに取り組んだ場合、一部の者は、その成果を社外で活用しようとするケースも出てくると想定される。この点に関しては、企業にとっては、一定の割り切りが求められる局面も出てくると考えられる。

[プロフィール]

プロフィール写真 福岡 徹 ふくおか てつ
一般財団法人企業活力研究所 専務理事
1986年に通商産業省に入省し、2018年に経済産業省を退官。この間、経済企画庁、外務省、農林水産省、消費者庁や独立行政法人産業技術総合研究所(現国立研究開発法人産業技術総合研究所)でも勤務。2019年から一般財団法人企業活力研究所の専務理事として、同財団の業務を推進。
プロフィール写真 小林康宏 こばやし やすひろ
一般財団法人企業活力研究所 常務理事
1989年日本電気株式会社入社、モバイル通信関連および日本の政策に関する渉外業務に従事。2023年6月より現職。一般財団法人企業活力研究所の事業運営の事務取りまとめおよび人材研究会事務局を担当。