2024年09月27日掲載

Point of view - 第261回 三宅香帆 ― 働いていて本も読めない社会でリスキリングは可能か?

三宅香帆 みやけ かほ
文芸評論家
京都市立芸術大学非常勤講師

1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。小説や古典文学、エンタメなどの幅広い分野で、批評や解説を手掛ける。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)等多数。

「リスキリング」を推進するコロナ禍以降の働き方

 コロナ禍以降「リスキリング」という言葉が、世間に広がった。
 リスキリングとは、新しい職業に就いたり、現在の職業で必要なスキルを得たりするために、学び直すことを指す。つまり、現在のスキルでは対応できない仕事の変化に追いつくためのスキルアップ全般のことである。特にデジタル分野やグローバル化の進む分野において、学び続けることは重要だ。目の前の仕事だけをしていても、時代の変化に対応することはできない、もっと学び直しをする機会をつくらなければいけない、そのように考える人にとっては身近な言葉かもしれない。ちなみに2024年6月下旬に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2024」においても、リスキリングの項目は存在している。岸田首相はリスキリングを賃上げ政策の一項目として重視しているのだ。
 ちなみに、リスキリングと似た言葉で、「リカレント教育」という言葉もある。リカレント教育が「仕事を一回辞めて、大学等で学び直しを行う」ことを指すのに対し、リスキリングの特徴は「仕事を続けたまま、余暇で学び直しを行う」点である。つまり、仕事を辞めたときに(要は転職の合間や退職後に)学ぶのがリカレント教育、仕事を続けながら学ぶのがリスキリングということだ。――実はコロナ禍以前の日本では、リカレント教育のほうが注目されていた。コロナ禍以降に初めて、リスキリングという概念が本格的に広がり、「仕事を続けながら、一方で副業のような形で学び直しを行う」ことが政府によって推進されるようになったのだ。
 つまり、私たちは今、「働きながら学ぶ」ことを推奨されている。
 確かに現代は、仕事をしつつ学ばなくてはいけない項目が増えているのかもしれない。転職も昔よりしやすくなったがために、別業界の勉強をする人もいるだろう。あるいは、管理職になったときに備えてマネジメントなどについて学ぶ人もいるかもしれない。デジタル業界のような知識の変化が激しい業界で、学び続けなくては仕事ができない人もいるのではないだろうか。私たちは「働きながら学ぶ」ことが必要とされている。
 しかし、問題はここからだ。確かに、日本の政府は働きながら学ぶことを推奨している。日本社会の今後の働き方にとって必要なのはリスキリングである、と定義している。それは間違っていないだろう。誰もあまり異論はないように思う。ですが、と私は言いたくなる。――「ですが、果たして今の日本は、働きながら学ぶことのできる環境なのでしょうか?」と。

なぜ働いていると本も読めないのに、学ぶことはできる、とされているのか?

 私は2024年4月に『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)を刊行した。タイトルどおり、働いていると本が読めないなあ、と感じた会社員時代の実体験から生まれた本だ。「なぜ日本人は今、本も読めないくらい忙しくなってしまったのか」という問いから始まり、明治時代から現代に至るまでの労働と読書の関係を歴史的に記述することによって、現代特有の「本が読めないくらい忙しい」原因を解説した。
 この本への反響は、自分が想像していたより大きかった。とにかく「私も働いていると本が読めないのだ」という声がたくさん集まった。
 同書では、「仕事のための本は読めるが、仕事に関係ない本は読めない」事象に重点を置いて解説した。一方で、反響としては「いや、仕事に関係ある本であっても、なかなか読めないんです!」という声もたくさん集まった。これは予想外だった。例えば、書店員や編集者のような出版関係の人々から「なかなか本が読めなくなって」と苦笑された。あるいは、バリバリ働いている都会のビジネスパーソンから「最近は仕事関係の本もなかなか読めなくなった、読まなきゃなと思っているのだけど、どうにも疲れてしまって」と言われた。
 もちろん異論もしばしば見掛けた。「働いて本が読めないなんて個人の怠惰だ、僕は読めている」という声もSNSでよく目にした。それはそれで個人の体験として正しいし、決してそういった声を否定したいとは思わない。それでも、たくさんの人が、「働いていると、本を読む時間を取ることが、本当に難しい」と口をそろえて言うのも確かなのだ。なにせ労働と読書の歴史を(つづ)った新書が『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルを付けたことで17万部超(電子書籍含む)も売れているという事実こそが――このタイトルへの共感を物語っているような気もする。
 働いていると本が読めない。その原因は、現代特有の働き方にある。単に労働時間の問題ではなく、現代の私たちを取り囲む働き方こそが、本を読めない原因になっている。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、このような結論に至る。
 だとすれば、「現代日本における普通の働き方」を続けている限り、「働いていると本が読めない」という状況から抜け出すことはできないように思える。
 さて、このような社会でリスキリングを推奨しようというのだ。私はリスキリングに関する報道を見るたび、首をかしげたくなる。そもそも働き方が変わらなければ、「学び直し」は難しいのではないだろうか? なぜなら、現代の日本人の働き方では、どれだけリスキリングを推進されても「学び直し」をする労力や時間を取ることが難しい――「学び直し」をする時間が本業の邪魔をすると思われてしまう――からだ。

成長のために必要なものとは?

 そもそもリスキリングとは、アメリカのデジタル人材育成の文脈で使用されていた言葉である。日本のリスキリングの第一人者である後藤宗明氏(一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事)はそう語る。つまりアメリカのシリコンバレー的な、流動的で自主性の強い働き方を前提とする発想だ。確かにアメリカの働き方においては、余暇で学び直しをして、また別の職場に変わることも重視され得るだろう。
 しかし日本では、そもそも終身雇用を前提とする企業も多い。長時間・長期間、企業にコミットしてくれる人材を重視する傾向がまだ残っている。もちろん現在は変化の渦中にあり、10年前よりずっと転職への抵抗感は減ってきたし、長時間労働が正義だなんて思っている人は少ないかもしれない。しかしそれでも、リスキリングによって成長業界へ移ろうとする意欲を持ちやすい働き方かといわれると――リスキリングをできるような余暇のある働き方ができる人は、いまだ少ないのではないか。
 政府がリスキリングを推進しようとする背景には、労働力を成長産業に移行させたい、人材の流動性を上げたい、といった意図がある。しかし「肝心の労働力になる人々が、リスキリングをできるような余裕のある働き方をしているのか?」という観点は抜け落ちているように見える。
 成長期の子どもが、たくさんの睡眠と栄養を取らねばならないように、労働者もまた、自身を成長させたいのなら、そのための栄養を取ることができる環境に身を置かなければ――つまり勉強する時間を十分に取らなければ、成長できないはずだ。
 そうだとすると、私たちは、働きながら学び直す時間――つまり成長するための栄養を、どう取ればいいのか。その問いの答えは、私たち自身の働き方にあるはずだ。
 もっと現代日本は、社会全体で、働きながら読書したり勉強したりすることができる世の中に変えていくべきではないか。リスキリングを推進するためにも、企業に勤める人々の働き方への考え方を変えるべきではないか。日本の未来はそこにしかないように、私は思う。

※後藤宗明「『リスキリング』という言葉との出会い~日本における浸透の歴史~」
https://note.com/muneaki_goto/n/n480aae4d2efa