高田朝子 たかだ あさこ 立教大学経済学部卒業後、モルガン・スタンレー証券会社勤務を経て、Thunderbird School of Global Management(MIM)、慶應義塾大学大学院経営管理研究科経営学修士(MBA)、同博士課程修了。経営学博士。専門は組織行動、危機管理、ファミリービジネス経営。イオンディライト株式会社社外取締役、株式会社朝日新聞社再成長アドバイザー。主な著書に、『手間ひまをかける経営 日本一コミュニケーション豊かな会社の「関わる力」』(生産性出版)、『はたらく看護師のための自分の育て方 キャリア選択に活かす気づきのワーク17』(共著、医学書院)、『本気で、地域を変える 地域づくり3.0の発想とマネジメント』(共著、晃洋書房)、『女性マネージャーの働き方改革2.0 「成長」と「育成」のための処方箋』(生産性出版)、『女性マネージャー育成講座』(生産性出版)、『人脈のできる人 人は誰のために「一肌ぬぐ」のか?』(慶應義塾大学出版会)など。 |
管理職が罰ゲーム化する中での女性管理職増加大作戦
女性活躍の推進は、人口減少に喘ぐわが国の最重要課題の一つである。この30年で女性管理職比率は5倍以上になったといえども(課長級で1989年の2.0%から2023年には13.2%に増加)、気が遠くなるほど歩みは遅い。時間をかけた割に、女性管理職は社会的にいまだマイノリティーであり、クリティカル・マスの30%には程遠い。一方で、昨今は管理職に就くことは罰ゲームと揶揄される。先行きが不安定な中で、管理職になっても仕事量と責任だけが増し、その対価の魅力が小さいため、当事者にとってうまみがないと考えられているのである。
そのような環境下で、女性は管理職になることを強く求められている。そして、企業は彼女たちを育成し、働く環境をより一層充実させることが期待され、その進捗の公表が求められている。女性にとっても企業にとっても一筋縄ではいかない事態に直面し、もがいている。
女性管理職育成のために企業が脱出すべき三つの柵
このややこしい事態が一振りで解決するような魔法の杖はない。しかしながら、早急に脱出しなくてはいけない柵は明確に存在する。
①「女性枠」という考えからの脱出
女性管理職比率の数値目標の達成を政府からも株式市場からも求められている企業は、数値を満たすための行動を取り始めた。30年間遅々として進まなかった女性管理職比率が示すように、多くの企業は男性を圧倒的に優先して昇進させてきたのが現実である。長い時間をかけて積み上がった負債を清算するために、男性よりも女性を優先して昇進させることで、女性管理職の育成が急速に進んでいる。昨今、数値目標を達成するために多くの企業でよく見る風景である。
一連の流れの中で昇進した女性のことを称して、もしくは女性を優先して昇進させるプロセスそのものを、多くの企業は「女性枠」という言葉で大まかにラベリングする。このラベリングが、潜在的な問題を自らつくり出していることには気を使わない。
「女性枠」という言葉は決してポジティブなものではない。“実力ではなく、枠があるから優先された” “数値目標があるから仕方なく、能力の低い者にげたを履かせて、無理やり昇進させている” ——昇進した女性は、「女性枠」とラベリングされた瞬間から、現実の実力を評価されるのではなくて、分不相応の地位にいるという無意識の偏見の目で見られることになる。
長い間、企業は女性管理職が少ない理由を、「必要な知識や経験、判断力を有する女性がいない」と判で押したように説明してきた。ところが、時代の変化とともに、管理職に必要な知識や経験、判断力を有する女性が多く出現し、昇進のフィールドに出てきている。それまで男性のものであったポスト争いに参戦してきたことに対する戸惑いが、「女性枠」という言葉に凝縮されているのかもしれない。新しいカテゴリー(女性)を昇進において優先し、ポストの競争率が上がることへの無意識の抵抗の表れだろうと推察する。
奇妙な話である。そもそも昇進というものは恣意性を強く含む。定量化できる営業成績だけで昇進・昇格が決まるという企業はわが国にはほとんどないに等しい。特定の評価のされ方や、何らかの思惑によって昇進が決まるのが常である。男性の場合は学閥や派閥の昇進人事を飲み込むのに、それが女性になるとどうして抵抗を示すのだろうか。
昇進に多分の恣意性は含むが、分不相応な昇進というものは稀である。企業が継続体である以上、必要要件を全く満たさずに巨大なげたを履かせて昇進させるというのは、極めて非合理的である。業績への悪影響が自明な中で、強引に女性管理職比率を達成するためだけに、必要要件を満たさない人を昇進させる人事は現実的ではない。
大事な点は、昇進の順番の入れ替えは発生したにせよ、昇進可能な要件を満たした女性が昇進しているのが現実であるということである。そこにわざわざ、「女性枠」という言葉を付けて、あたかも実力以上の地位に就いているという印象操作をすることに何の意味があるのだろうか。意思決定の現場に多様性を担保するという本来の女性活躍推進の根底を、自ら損なっていることにほかならない。
昇進の辞令交付の際に「あなたの昇進は、わが社も女性管理職を増やさなければならないからだ」「女性枠で昇進だね」などと上長から言われ、意気消沈した経験を持つ女性管理職は非常に多い。女性のモチベーションにも極めてマイナスな言動で、何ら恩恵をもたらさない。百害あって一利もない表現である。「女性枠」という考え方そのものから企業はすぐに脱却することが、まず必要と考えている。
②古典的人材育成方法からの脱出
女性管理職の育成では、今まで培ってきた男性主体の経験や前例から学ぶ比率を少なくすべきである。今のところ、わが国で生え抜きの女性役員がいる企業は極めて少ない。企業は役員レベルまでの女性を育てた経験値を現状では持たないのである。よって、長く行ってきた男性幹部(彼らの多くは専業主婦の妻を持つ)の人材育成方法が、常に女性管理職育成に有効とは考えにくい。
激変する時代に対応し、必要な知識や経験、判断力を養うためには、今までのやり方や前例を踏襲するべきではない。時代に合った育成方法を積極的に取り入れることを考えるべきであろう。具体的には、経験学習を強化すること、そこから汎用化して “自分ごと” に変換する能力を強化することが必要である。過去の勝利の方程式を学ぶのではなく、実際の経験を通して学ぶのである。
今まで女性は男性と比較して、広範囲な経験をする機会が少なかった。修羅場の経験は人を育てるが、ライフイベントを理由にもしくはそれ以外の理由で、女性にはしんどい仕事や修羅場の仕事を積極的に割り振らないケースが多かった。しかし、不安定で不連続に推移する社会に対して、自ら手を汚し、痛みを伴う経験をすること、そこから学習し、自分なりの対応方法や意思決定のやり方を紡ぎ出すこと、前例踏襲ではなく自ら意思決定をすること——意思決定の能力こそが今後ますます重要になる。この種の能力は、座学だけでは決して身につくことはないため、積極的に女性に修羅場を経験学習させることが不可欠である。
企業は自社で閉じたリーダーシップ育成プログラムに注力するよりも、多様な経験ができるような、企業の枠を超えた大きなネットワークの中に社員を放出し、そこで学ぶことを重視すべきである。身内ではない異業種、異文化の人びとから成るネットワークの中で経験を積むことが、結果的に人材育成にプラスになると考える。管理職の面白さとは仕事の面白さであり、仕事の面白さは事態をいかにコントロールできるかに大きく依存する。管理職を罰ゲーム化させないためには、自らの能力を上げ、事態をコントロールできる能力を磨くことが必要である。
今までの古典的な育成方法を全否定するつもりはない。ただ、年配者の自らの成功体験に基づく育成方法は、必ず陳腐化する時期が訪れることを心すべきであろう。
③阿吽の呼吸からの脱出
言わずもがな、わが国において長時間労働は日常的である。一緒の時間を長く過ごすことで、阿吽の呼吸が成立するようになる。言葉に出さなくてもお互いが考えていることや、気にしていることが大まかに分かるというのが、長く一緒に居ることの利点であった。加えて、わが国の組織は似たようなバックグラウンドを持つ男性の集合体で、同質性が極めて高く、お互いの意向を察することは容易であった。
しかしながら、リモートワークを含めさまざまな働き方が普及し、多様な人びとが意思決定に関わることが求められる現在、組織内で阿吽の呼吸を求めること、それに対応できる人を評価することは封印したほうがよい。言葉で表現しないと相手には伝わらないということを肝に銘じるべきである。これは性差の問題だけではない。考え方や育ってきた背景が違う人びとと協働するためには、言葉で表現することが不可欠である。加えて、働き方の多様化で物理的に一緒に居る時間が少ないと、相手の意向は察しにくい。何をしてほしいのか、どのような方針なのかなど、相手が分かるように言葉にし、理解し合えるまでコミュニケーションを取ることが最も重要になる。
相手にどう伝えればよいのか試行錯誤を繰り返し、自分なりのやり方を見いだすことが、組織全員にとって必要で、そのための努力と時間は惜しむべきではない。
脱出の先に見えるもの
組織がこれら三つの柵から脱出した先に見える風景は、今までとは全く異なるものであることは間違いない。
地政学的にも、わが国は難しい局面にある。追い打ちをかけるように、社会環境の変化は激しさを増し、先行きが不透明な状況が続いている。そのような環境で、わが国の企業は同質性の高い組織から異質な者を取り込む組織へと変化することを余儀なくされている。そのときに必要なのは守株待兎の態度ではない。ジェンダーなどの枠で人を見るのではなく、純粋に能力を理解し、評価することであり、人にも事象にもオープンな人や組織であることは間違いない。そのために、まずは三つの「脱出」を試みることが強く求められよう。