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平松隆円 ひらまつ りゅうえん 世界でも類を見ない化粧研究で博士(教育学)の学位を取得。国際日本文化研究センターの機関研究員(講師)、京都大学の中核機関研究員、タイ国立チュラロンコーン大学と同大学院の専任講師、タイ国立スアンスナンタ・ラチャパット大学の専任講師などを歴任。大手電機メーカーや化粧品メーカーなどでコンサルティングも行っている。専門は、化粧心理学や化粧文化論など。「所さんの目がテン!」(日本テレビ)、「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ)、「Japanology Plus」(NHK WORLD)などメディア出演も多数。主著に『化粧にみる日本文化 だれのためによそおうのか?』(水曜社)、『黒髪と美の歴史』(KADOKAWA)など。 |
1.私たちは人を見た目で判断している
子どもの頃に、「人を見た目で判断してはいけません」と言われた経験のある人は少なくないだろう。採用人事でも、容姿が採否に影響してはいけないと考え、最近では履歴書に顔写真を貼付させない企業も増えている。裏を返せば、それだけ私たちは「人を見た目で判断している」ということだ。
なぜ、人を見た目で判断するのか。そこには人間の経済原理志向が働いている。簡単に言えば、人は面倒くさがり屋だからだ。相手が誰かを知るには、本当はじっくり時間をかけ、いろいろ話をしたり行動をともにしたりする必要がある。けれども、現実にはそれは難しい。例えば、夜道で向こうから来る人が、不審者か否かを即座に判断しなければならない場合もある。そんな時「あなたは不審者ですか」と聞けるはずもない。だからこそ、手っ取り早く服装や髪型、化粧といった見た目で相手を判断する。もちろん、それによって相手を誤解することもある。
2.被服がもたらす心理的な機能
帽子や靴、衣服はもちろん、髪型や化粧、アクセサリー、ひげやタトゥーなど、身体を覆うものを被服と呼ぶ。私たちは、この被服を使って日々よそおい、以下の三つの社会的・心理的機能を果たしている。
① 他者に何かを伝える「情報伝達機能」
② 他者との行為のやりとりを規定する「社会的相互作用の促進・抑制機能」
③ 自分自身を確認し、強め、あるいは変える「自己の確認・強化・変容機能」
①の「情報伝達機能」とは、被服には必ず何らかの情報や意味があり、それを周囲にいる人に伝えている働きのことを指す。例えば、性別や年齢、職業や地位といったアイデンティティーに関する情報、保守的な人なのか急進的な人なのかといった態度に関する情報、派手な人なのか地味な人なのかといった人格に関する情報、喜びや悲しみといった心の状態に関する情報などがある。
そして、その情報によって、私たちは他者とのコミュニケーションを調整している。これが、②の「社会的相互作用の促進・抑制機能」であり、目の前にいる人との関わり方に影響を与える。それは単純に、仲良くしようとか、ちょっと距離を置こうということ以外にも、困っている人がいたら助けてあげようとする(援助行動)、何か頼み事をされたら引き受けようとする(応諾行動)、なぜか同じ行動をしてしまう(同調行動)ということなどにも影響する。通常は、規範同調的なきちんとしたよそおいをしていたり、自分とよく似たよそおいをしていたり、おしゃれで魅力的なよそおいをしていたりすると、社会的相互作用が促進される。反対に、だらしないよそおいや不衛生なよそおいをしていると、抑制される。
③の「自己の確認・強化・変容機能」とは、自分自身がどのような人間かを自分の被服に基づいて確認し、そのイメージを強めたり、あるいは変容させたりする働きのことをいう。意識するかしないかにかかわらず、私たちは朝起きてから寝るまでの間、さまざまな役(社会的役割)を演じている。誰かのお父さん・お母さん、◯◯株式会社の社員、人事部の部長など、実に多くの役を演じている。それを演じ分けるとき、私たちは被服を利用している。少なくとも、誰かのお父さん・お母さんのときの服装と会社に出社するときの服装は違う。いわば舞台に立つときの衣装と同じであり、その服装に応じた役を鏡や周囲の反応から確認し、役にふさわしい行動や態度を取るように自分を強めたり変容させたりする。
3.外見に関する暗黙のルール
私たちが生きる社会には、外見に関する暗黙のルールが存在している。多くの場合、会社に行くときに派手なよそおいをすると批判される。つまり、「会社では派手なよそおいをしてはいけない」というルールがあるからだ。もちろん、それは法律のように明文化されているわけではない。日本という社会に生きる人々の間で、暗黙のルールとして存在している。だがこれは、日本ならどこでも・誰でも同じかといえば、そうではない。地域によっても違うし、世代や性別によっても異なる。場合によっては、その会社の業種や企業文化によっても異なる。だから、インターンシップに参加する学生や就活中の学生は悩む。
実際に、ある学生が相談してきた。「ファッションとビューティー業界に特化した広告代理店にインターンシップに行くのですが、会社からは『私服で来てください。ただ、お客さまの所に行くこともあるので、そのあたりは考えてください』と言われ、何を着ていけばいいか分かりません」と。素直に「リクルートスーツで来てください」と言われたほうが、よほど学生にとってはありがたかっただろう。会社に行く、お客さまに会う、そういった経験がない学生にとって、会社でどんなよそおいをするべきかは、分からなくて当然だ。
学生からすれば、自分の好きなよそおいをしたらいいのではないかと思うかもしれない。だが、他人からの期待に応えてよそおわなければならない。そうでなければ、その社会のルールが守れない人というレッテルを貼られ、誰からも相手にされなくなる。いわば、規範に則ったよそおいをすることは、その社会のルールを知っている、その社会に生きるにふさわしい人間であることの証明でもある。よそおいは個性であり、個人の自由と考えることもできるが、その一方で社会的な評価の基準になっていることも忘れてはいけない。
4.自分の伝えたいことが正確に伝わるとは限らない
例えば、ある女性がファッショナブルではあるけれど、控えめなスリットが入ったタイトスカートの保守的なデザインのスーツを着ているとしよう。女性は男性のクライアントに自分の能力を印象づけ、仕事への熱意を知ってもらおうと考え、そのよそおいを選んだ。ところが男性のクライアントはスリットに注目してしまい、女性が自分を性的に引きつけようとしていると判断するかもしれない。
社会的相互作用の中で、あるよそおいを選んだ動機や目的が、周囲にいる人に同じように理解されるという保証はない。そのため、私たちは「自分がどんなよそおいをしたいのか」ではなく、「周囲にいる人に意図したとおりの印象を与えるためにはどうすればいいか」を考えて被服を選ばなければいけない。自分が思うおしゃれなよそおいではなく、自分的には失敗したと思っていても、周囲がおしゃれだと思うよそおいをしなければ、おしゃれな人とはみなされないのと同じ。まずは、相手の立場になって被服を選び、どうよそおうかを考えなければいけない。その意味では、相手の立場に立って物事を考えられる力が必要とされる。
では、企業または人事担当者は、よそおいに対してどのように向き合っていくべきか。
5.人事担当者にとってのよそおい
よそおいは日々の役(社会的役割)を演じ分ける衣装でもある。自分の役職や業務にふさわしい役の衣装が何か分かっていなければ、ちぐはぐなよそおいをすることになる。また自分としてはカジュアルだけど身だしなみに気を使った被服を選んだつもりでも、会社の上司や取引先からはだらしないと受け止められる可能性もある。世代や生まれ育った社会、文化が違えば、よそおいから相手を正しく判断することは難しくなる。
グローバル化が進み、多様なバックグラウンドを持った人々がともに仕事をする今の時代には、どのようなよそおいがどんな印象を周囲に形成させるのかを知り、正しく印象管理を行えるスキルを身に付けることはとても重要である。制服とまではいかなくとも、一定の就業時のドレスコードを残しつつ、社員が自由に自らの役職や業務に合わせたよそおいは何なのかを学ぶ研修の機会を設けたほうがいいだろう。
自分が演じる役にふさわしいよそおいは何なのか。それを演じるために必要な情報を持つ被服は一体どれで、どうすれば自分の役を正しく周囲の人に伝えられるのか。実は簡単なようで、とても難しいことなのだ。